レ・ミゼラブルのレビュー・感想・評価
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コソ泥少年が悪魔に変わるまで
暴動に至る病、みたいな貧民窟の1日(だっけ?)の話。陽気な貧民街のコソ泥少年が悪魔に変わるまで、みたいな。いいところでスパッと終わる。
なんでしょう。面白いのだけど、たぶん、なんとなく、シティ・オブ・ゴッドみたいなのと比べちゃってるのかな、もうひとつケレン味があるほうが好きみたい、自分。
移民社会が生み出す格差、貧困
「よく覚えておきなさい、世には悪い草も悪い人間もいるものではない。ただ育てる者が悪いばかりだ」 『レ・ミゼラブル』覚書その6第一部ファンティーヌ 第五編下降 。冒頭のユゴーの格言が心に響きました。移民、貧困が生み出す分断、格差社会のフランスでは移民1世、2世などが人口の4分の1以上を占め本作の舞台のような殺伐とした社会で生まれ育った人達のやりきれないお話です。いずれ来る日本での話でもあります。日本でも少子高齢化社会を迎え、AI社会による単純労働のロボット化による労働者大幅削減が予測される中でも目の前の労働力不足から工場作業員、建設現場、コンビニ店員、飲食店店員、海外労働者などの現場では主にアジア諸国から実質的な移民受け入れが進む中で他人事ではありません。現実的に大阪市生野区20%、長野県川上村15%、群馬県大泉町13%、長野県南牧村11%と人口に占める外国人流入が進む中で今後2世、3世が増加し国籍や肌の色が多様化する社会が進んでくるのは必然ですよね。光と影でいう光の部分ではダルビッシュ、大高なおみ、八村塁、サニブラウン、ケンブリッジ飛鳥などスポーツ部門ではハーフ、クオーターの活躍はすでに当然の流れです。今後、日本でもアーティスト、俳優などでも純粋日本人ではない肌の色の違うスーパースターが生まてくる日も近いでしょう(戦後から芸能界における朝鮮系の方々の活躍は周知の通りですが)影の部分として本作のような殺伐とした社会が点在していく社会も出てくると思います。
正当ともいえる爆発
大人からの暴力を受け少年は、悪のカリスマになる。
夏のパリ郊外の犯罪多発地区モンフェルメイユに転属されて来た警官のステファンが、同地区出身のベテラン二人とトリオを組んでパトロールに出る。
スラム化した高層団地地区では、ジプシーのサーカス団から赤ちゃんライオンの盗難が発端で地元ギャングと一触即発に。
アメリカやブラジルの話しかな?と思うほどに荒れた雰囲気で、近年イエローベストデモなどがある2019年のフランス・スラムの実態をドキュメントタッチだが、緩急のある演出と映像でリアルを見せられる。
右往左往の末とりあえず、騒動を収めたと思った警官達と我々観客も、最後の数10分で少年イッサから、凄まじい復讐を受けて、奈落に落とされるラストは、結構な衝撃。
日本の女性層向けに入ってくるシャレオツなパリ物映画の裏側で、起こる格差と貧困と犯罪に鋭い視線があり、若干もたつくところもあるが、今見るべき作品
ジプシーサーカスの子ライオンを、ある種の無邪気さから連れ出した少年イッサは、父親やジプシーや警官などの大人達から暴力や抑圧を受けて、驚くほどの統率力と巧みな戦術で、復讐を開始する姿が、悪のカリスマの誕生物語を彷彿させる。
絶望の闇
闇が深い。
小説「レ・ミゼラブル(あゝ無情)」の舞台として知られ、現在は犯罪多発地区の一部となっているパリ郊外のスラム街の現在を描く。
小説は愛に生きる人々のすれ違いと時代が生んだ不幸を描いたが、ここには一切愛がない。
権力と暴力を振りかざす悪徳警察官、市長とは名ばかりのチンピラの元締め、元ギャングのボスでモスクの運営者、粗暴で無学なサーカス団、そしてすべての大人に虐げられる子供たち…
移民と低所得層だけが暮らす街の混沌で、悪意と暴力と愚者しかない無情。
小説「レ・ミゼラブル」の六月暴動に相当する暴動シーンがあるが、それはそこに生きる者たちの「怒り」そのものだった。
創作であり、実際に起きた事件ではないが、ラジ・リ監督の実体験がベースになっているということで、一定のリアリティを感じた。
多様性を認めた理知的に話し合いで解決したいと考える警察官ステファン(ポマード)の存在はおそらく監督の現身(うつしみ)であって救いであると感じた。
それと同時に、彼であってもどうにもならないほど、すでに人にも街にも絶望するしかないことが無残であった。
圧倒されるとともに、問題提起のみで解決方法がない現実の重さがのしかかり、陰鬱な気持ちになった。
北風と太陽
日本人にはすんなり入ってこない
ここはフランスなのか?
行ったことは有る程度の外国。日本に居てるとき抱いてたイメージを現地で反芻するだけで、たいして詳しくはなってないのに知った気になってる自分が怖い。
この映画、これがフランス?、しかも名作の舞台になった地域なのかと思うとめまいがする。貧困/スラムの問題ではなく移民社会とフランス社会の衝突が生む混沌が”ああ無情”である。
俗世間を仕切る”市長”と呼ばれるアフリカ系ボス。ボスも口を出せないイスラム指導者イマーム。ロマ人の団体そして白人警察官。それぞれが必死に生きている。価値観の違う人たちがともに生きてゆく難しさを痛感させられる。
DETROIT並みに救いのない映画だがこれは現在進行中。後戻りして昔のフランスにもどることはないのが ”レ・ミゼラブル”ということか。
移民してきた監督だからこそ使えた題名。文化を守るより再構築。カンヌ映画祭の審査員にもなってるところを見るとフランスも変わりたいんだろう。
歴史は繰り返す。暴力支配の限界を知るはずなのに。
レ・ミゼラブルのタイトルの意味が分からなかったが・・・・
フランス革命がなぜ起こったのか?そんな問いかけが今の今でも問われ続けている。
治安維持と平和維持は必ずしもリンクしないのだろう。
それは、人間の本性に暴力趣向が潜在するからなのだろう。人を殴り、殺したりすることが人間の趣味や嗜好の中に存在するからなんだろうと思いいたってしまった。
やさしさや思いやりと言った感性も持ち合わせながら、しかし、思いやる相手にその心情が言葉以外で伝わったときにしか平穏の日々は訪れない。
恐怖による屈辱を与えられた人間は復讐を誓う。自分自身の受けた屈辱感を癒す方法はそれしかない。そんな決心をしてしまう。火炎瓶は投げられるだろう。暴動は屈辱を味わった人間の感情の塊なのだろう。負の連鎖。その鎖を断ち切る方法などない。
では、どうすればいいのだろうか?
それは支配などできもしないことをしないことだ。
それは、オオカミのように生きることなのだろう。
守るべきもののみ自分自身の責任の範疇はそこまでなのだろう。
バカなおせっかい焼き老人のような真似だけはするまい。
そんな事を深く誓った映画だった。
社会を写している
コロナウィルス対策…
このタイトルをつける勇気に一票
大人はわかってくれないへのオマージュなのか
昔のフランス映画のイメージは、ヌーベルバーグか濃厚恋愛語り、最近はそれにコメンディが加わった感じだったが、さらに近年ある意味「らしからぬ」社会問題を正面からシビアに切り込んだ映画がくるようになった。
舞台は同名の小説でコゼットを迎に行くパリの郊外で、犯罪多発地域らしい。どこか見たことのある巨大団地群がそびえ、廊下が落書きされているそれらに住むのは移民、この子供ら、様々な出身、宗教の住民たち。定住しないロマたち。行政は必ずしも味方ではなく、自衛団がいて店の所場代をとり、ムショ帰りが仕事を探して町をフラフラしている。
彼らはギャングやマフィアではない。日常的に発砲事件が起きて、麻薬の縄張り争いがあったりするわけではない。リアルだがどこか詩的でもある。それはとてもフランス的とも思った。
映画はジャクソン・ポロックの絵を見ているようだった。一つ一つの色が加えられてく様子を見ながら、最終的にはどうしていいものかまったくわからない。
タイトルに惑わされぬ様に…
正直に申し上げて、ヴィクトル・ユーゴーにも、ジャン・バルジャンにも、あの『レ・ミゼラブル』にもご縁が無かった不勉強な私。
コロナウィルス騒ぎで新作公開が延期になったおかげで、こういう普段あまり手を出さない分野の作品に出会えるのは不幸中の喜びでもあるね。
「フランスって他のヨーロッパの国に比べて黒人が多い国なんだなぁ…」
と、ワールドカップの度に漠然と感じてはいた。ただ、当然あそこにいるのはスーパースターな訳で、実際にはやはり国内で大半のアフリカ系の移民は格差や貧困の中で喘いでいる。
この作品は、差別や格差、宗教を内包しながらストーリーが進むし、いがみ合いや暴力も描かれるものの、決して物語は重苦しいだけでなはなく、登場人物たちも根っからの「ワルモノ」ではない。
皆、それぞれの立場で自分や環境・仕事と向き合おうとしながら、人間として当然のエゴがあり、その一方で大切な守るべき家族を持っている。
それでも終わらない暴力の連鎖。
そしておとずれる怒涛のラスト。
抑圧された彼らの蜂起。
「彼」は投げるのか。
「彼」は引き金を引くのか。
「彼」は何を目撃するのか。
思わずブルっとさせられる幕切れに感心。
タイトルに惑わされぬ様に。
怒りと恐怖の再生産
どんな国にも近寄らない方がいい区域や貧困層が住んでいる地域がある。パリ近郊にもそんな団地があることを「最強のふたり」で見た。
なんて大きくて色んな人達が居る団地なんだろう。動画とドローンが得意なメガネをかけた男の子は、賢い目で自分の周りの世界をじっと見ている。ニワトリ盗んで父親に何度もひっぱたかれて罵られたイッサは、動物好きの男の子だ。子ども達はみんなくっついて小突きあいながら、お腹はすかせているけれど、一緒に遊んでしゃべって笑ってる。
ちょっとしたきっかけが暴発を生み出した。そのタネを蒔いたのは、この地域を「守る」という名目で、お互い様的関係を保持している大人達だ。
ジャンバルジャンに食事と寝床と銀食器まで与えた司教と、警官のステファンを重ね合わせてみた。子どもを持つのはいいもんだよとステファンは言ってた。そんなことを考えているうちに、映画は終わった。考えざるを得なくて、でも、スピード感と意外性があってとても面白い映画だった。
どこもかしこも都市化して、子ども達が大人に内緒で、こっそり、ワクワクと、例えば野良犬(今はいないか)なんかを育てる場所も無いのは、おんなじなんだな。
育てる気がないなら、子どもを生まないで!と訴えた、「存在のない子供たち」のゼインの言葉を思い出しました。
地域住民と地廻り警官の闘い
レミゼの現パロ
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