「突然ですが、グローバル人材ってなに⁉️」レ・ミゼラブル 琥珀さんの映画レビュー(感想・評価)
突然ですが、グローバル人材ってなに⁉️
私は、世の中のことは今もよく分かってないのですが、今よりももっと分かっていなかった10年くらい前まで、正直に言うと『経済成長』とか『グローバル化』というものを何となく正しいものだと思ってました。それで税収が増えて年金や健康保険の財政基盤が安定するなら、みんなハッピーだし、何かの事情で経済的に困っている人たちにも、増えた税収のなかから制度的に補填ができれば、概ね世の中は上手くいくはずだ、と呑気に納得してました。
ところが。
もとより政治的な思想信条を持たず(つまり都合のいい自分好みの解釈はしないように心掛けているということです)、専門的知識も持ち合わせていない超素人の私から見ても、企業のグローバル化とか最適化というのは、要は世界で一番安いコストで物を作れるところでつくり、なるべく物価水準の高いところでそれを売る。そういうことらしい、ということが最近(遅過ぎる❗️)分かってきました。
だから、例えば、UNIQLOが世界に冠たる衣料メーカーになるためには、日本のような先進国の人間に払う給料は極力少ない方がいい、ということになる。
UNIQLOを批判しているのではなく、グローバル競争で勝とうとすれば、そういうことが起きる、ということだと思うのです。
かつてはフランス国内で比較的人件費のかからなかった旧植民地からの移民やその子孫も、グローバル化の中では、フランス国内に取り残されたまま、雇用も、いくあてもなく困窮してしまう。
日本では移民受け入れ自体がそもそも制度的に殆どないので、グローバル化の弊害が顕在化しづらいのですが、職がなくて困っている人は、ヘタをすれば自助努力が足りない、とか自業自得による〝負け組〟扱いされてしまいます。
しつこいようですが、別に企業を批判しているのではなく、企業だって生き残りのために海外展開しているのであって、国内の雇用を他意があって減らしてるわけではないはずです。
経済成長とかグローバル競争に勝つ、ということを企業活動から、就職・入社後の昇格などの個人レベルに掘り下げていくと、結局は自分さえ勝てば、自分さえ生き残れば安心できる、ということになって、周りの人のことを思い遣ることが〝勝ち残るため〟のメソッドとしては不要になるような怖さがあります。
メディアで喧伝されている絆とか繋がりという優しい概念との共存関係が、私にはうまく想像できないもどかしさがあります。たぶんメディア関係者は、あなたはどっち?と問われれば、みんな勝ち残ってきた側だと口にはしないけれど、心のうちでは自覚している人たちだと思うのですが。
勝ち残るメンタルの人が、成長戦略を推進する国や企業から求められる人材の指標のひとつとなって定着しているのだとしたら、中堅の人たちや若年層において一定割合でメンタルを病む人が生まれてしまうのは、もうグローバル化を目指す経済の中では構造化してるということではないでしょうか。
この映画のラストシーンは、あとは自分の想像力で考えなさい、と我々自身に委ねられましたが、以上のようなことを脈絡なくつらつらと考えてしまいました。
グローバル化の裏に移民と貧困の問題はあるから、この映画を見て、グローバル化について考えを進める感性は素晴らしいと思いました。
この社会の中で生きる人全てが、生きられないとならないけど、グローバル化はそれを許さない。グローバル化と言いながらその恩恵はごく一部の金持ち成功者のものだけ