劇場公開日 2020年2月28日

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「現代社会の問題の本質を浮き彫りにした傑作」レ・ミゼラブル 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5現代社会の問題の本質を浮き彫りにした傑作

2020年3月3日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

怖い

難しい

「シェルブールの雨傘」デジタルリマスター版を観たばかりだからだと思うが、主人公の警察官ステファンがシェルブールから来たというだけで、不思議な親近感があった。

 移民を受け入れているフランスでは、人種と宗教の入り混じった難民問題があり、時に事件や事故に発展している。加えて世界的な傾向である経済的な格差もあり、自由・平等・友愛を表わす三色旗を戴いて他人に寛容なはずのフランスが、ファシズムの国みたいに不寛容になりつつあるようだ。最近の新型コロナウイルスの流行では中国人が経営する日本レストランの壁に酷い落書きをされているのが報道された。大変に懸念される事態である。
 フランスでは哲学が必須科目となるのは高校生からだが、小学校や中学校でも自分で物事を考えさせるのが授業の基本的なやり方となっている。答えの出ない問題についても考えさせる。哲学の国フランスならではである。
 自分で考えるのは持続力と忍耐力、要は精神的な強さが必要だ。フランスは教育のおかげで精神的に強い人を育てることが出来ていた筈なのだが、今世紀に入ってからのIT技術の向上が裏目に出てしまい、自分で考えることが出来ない人を増やしてしまった気がする。ネットで調べれば簡単に解るのであれば、何も苦労して自分で考えることもない。我慢強くひとつのテーマを考え続けることで精神力が鍛えられて、他人に寛容な人間になれるのだが、人によってはIT技術がそれを阻害しているという訳だ。
 IT技術が悪いと言っているのではない。テレビが世間に広まったときは「一億総白痴化」などと騒ぐ人もいたが、テレビのせいで日本人の全員が劣化したとも思えない。一部の人だけだ。同様にIT技術のせいで人類すべてが劣化することもないだろう。ただ、一部の人々は自分で考えることを放棄しインターネットの情報を鵜呑みにする傾向がある。
 以前には「宗教は麻薬」という言い方もあった。それも同じことだ。宗教の教義を無条件に盲目的に守るだけで救われるなら、そんな簡単なことはない。信仰は悩みを放棄することに等しい。最後の最後まで自分で悩む人間だけが公平で公正な見方ができる。

 ビクトル・ユゴーの「レ・ミゼラブル」で主人公ジャン・バルジャンがマドレーヌと名乗って市長を務めたモントルイユの、更に郊外にあるモンフェルメイユが本作品の舞台である。ファンティーヌが娘コゼットを悪党のテナルディエ夫婦に預けた街だ。ジャン・バルジャンはミリエル司教の寛容によって救われる。自らも、市長となった後にファンテーヌを救い、テナルディエ夫婦から酷い虐待を受けていたコゼットを救い出す。
 本作品の登場人物のイスラム教徒が言い放つ「怒りはいつまでも残る」という言葉に象徴されるように現代のモンフェルメイユは怒りの巣窟である。人間を肌の色や宗教、出自などで差別する人々が、互いに憎み合い、いまにも暴動へと発展しかねないほど沸騰している。その危ういバランスの中で権力を振りかざすのが先任の警察官たちだ。最後は俺が法律だとまで叫ぶ。
 ステファンは新任の一日目にその光景を目にして、彼らの人間性のレベルの低さにげんなりしつつも、警察官としての職務を果たそうとする。しかし住民たちの怒りはもはや収まりがつかない温度に達している。
 怒りが充満した作品で、観ているこちらが息が詰まる。哲学の国らしい寛容さはもはや影も形もない。パリからそう遠くないモンフェルメイユがこのような状態であるなら、パリも推して知るべしだ。教育の低下は過激な暴力に直結する。
 映画の冒頭でサッカーのフランス代表が優勝したシーンが映し出され、熱狂し換気する人々が映し出される。自国のチームを応援するのはナショナリズムである。ナショナリズムは往々にして熱狂と歓喜を生むが、それは同時に他国への憎悪、他の共同体への憎悪、他人への憎悪を生む。サッカーでフランスチームを応援した人々が、今度は互いに憎しみ合うのは当然だ。同じ精神性なのである。
 暴力の連鎖は憎しみの連鎖であり、怒りの継続である。どこかで誰かが勇気を出して非暴力の姿勢を明らかにし、寛容を訴えなければ、争いは収まらない。しかしこの状況でそんなことができる人間が現れる可能性はかなり低い。モンフェルメイユに平和が訪れるのはかなり先になりそうだ。
 ラストシーンの評価は分かれるだろう。唐突なラストに見えるかもしれないが、これでいいと思う。それ以上描くことは何もない。だからここで終わる。説明過剰なハリウッドのB級作品に慣れた方々には不満かもしれないが、フランス映画らしいラストだと言えるだろう。現代社会の問題の本質を浮き彫りにした傑作である。

耶馬英彦