家族を想うときのレビュー・感想・評価
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年の瀬に重量級。
長く勤めた仕事を辞めたことがある。
心身が整えられずに…。
40才になったばかりの頃だったか。
何とか見つけた新しい仕事はこの映画と同じ「自営業」だった。「パートナー契約」という名前だった気もする。
リラクゼーションのお店。そこに管理者は常駐していない。刻々と変動する客が入れる予約のホワイトボード、そこを本社のカメラがライブで見つめている。
そしてもうひとつ。「相互監視カメラ」があった。同僚ではない。職場ではない。お金を稼ぎたいもの同士が一時身を寄せる場所には何かうすら寒いことを感じることがあった。
「働くこと」の「意味」がとても薄く感じる職場だった。
それまで「働く意味」なんて、それほど考えずに済んで来たが、限界はすぐにやって来た。元の職場に戻りたいと腹が決まった。
ケン・ローチの描く働く場はあの職場と同じ香りがした。
働くことで家族が壊れていく。まったく矛盾している。
ただ、これからこんな職場は増えていくのだろう。そして、今働く職場もだんだんとそうなっていくのだろう。
制度も社会も狂っている。人間も狂わないと家族も狂わないと生きていけない。
狂わないと生きていけないなんて、生きているとは言わないのだと思う。
いろんなことを考えさせてもらった。
働くこと、生きること、家族のこと、私の父のこと。父も無理をしていたところもあったのかもしれない。
すごい作品。ケン・ローチ監督、やっぱりすごい。
その先の未来
この映画のオリジナルタイトル「Sorry We Missed You」、
映画のストーリーに沿って意味を考えたら、「分かってあげられなくてゴメン」あたりだろうか。
家族が、それぞれに向けた率直で温かい言葉だと思う。
だから、その先の未来で、この家族は困難を乗り越えるのではないかと信じたくなる。
働きたい時に、働きたいように自由に働くといった夢のようギグ・エコノミー。
だが、実は、このリッキーのように、自分のリスクでさまざまなものを補わなくてはなららず、そして、ノルマに絶えず追い回される。
昔、イギリスの社会福祉を表す象徴的な「ゆりかごから墓場まで」という言葉を学校で習った。
高度福祉社会を表す表現だ。
しかし、イギリスは、サッチャー政権下の大きな方針転換の一環として多くの規制緩和を行い、公的保険や福祉も民間に委ねるなど公的なサービスを後退させた。
自分の才覚で頑張ってね、というやつだ。
金融分野では「金融ビッグバン」として語られ、ロンドンが世界の金融市場としての地位を高めたが、介護分野はコストとして省みられることはなくなってしまった。
それが、アビーの置かれた状況だ。ノルマに加え、人手は足りず、リッキーの状況とさして変わらない。
アビーがいくら人として接しようと心掛けても、まるで、介護を待つ人を物のように扱わないと仕事が回らない現実。
サッチャー改革で、医療従事者も海外に流出し、その悪影響は今も残り、列をなす病院の患者の待ちくたびれた表情で語られる。
ブレア政権は、この状況を改善しようとしたが、時すでに遅く、イギリスの政治家は、自分達の無策を省みず、欧州連合(EU)の拡大で国外から流入した労働者に原因を求め、怒りの矛先を向け、3年前の国民投票で決まったのが、EU離脱、いわゆるブレグジットだ。
12日のイギリス総選挙では、与党保守党が圧勝し、来年1月の離脱が現実的になったが、未だ多くのことは決まっておらず、不透明感は高い。
多くの製造業者はイギリスを後にし、大陸欧州に拠点を移している。
そして、この3年で、イギリスの通貨ポンドは大きく下落し、イギリスの一部の輸出産業は潤った。しかし、移民にとっての働く場所としての魅力度は低下し、ドイツやオランダなどが、クオリティの高い移民の受け入れ先の候補として手を挙げている。
政治はいつも人々を欺き、置き去りにする。
イギリス人の多くは、ブレグジットの負の側面を本当に理解してるのだろうかと考えてしまう。
イギリスは栄光を取り戻せるのか。
Queenのギタリスト・ブライアンメイが、既にイギリスは大英帝国ではないのだと皮肉っていた。
そして、
これほどではないにしても、僕達の社会も似たようなものではないか。
人手不足と言いながら、ワーキングプアは減らない。
AI人材が不足してると大々的に語られ、政府や企業はその深刻さを強調するが、介護や保育の人手不足や低賃金環境の解決は遅々として進まない。
移民労働者を受け入れるといっても、公平に扱われる確信もない。
加えて、ギグ・エコノミーが少しづつ社会を侵食している。
最近見たニュースの食事の宅配サービスで働く人達の現状は、リッキーの置かれた状況そのものだ。
震災復興はまだ道半ばなのに、政治は高級ホテル50棟の建築をチラつかせる。
獣医学部新設は、十分な雇用を生んだか。その地域の経済を活性化させたか。
政治のお金の使い所は間違っていないか。
ケン・ローチ監督が、是枝裕和さんとのNHK番組での対談で「こうした社会格差などをテーマに映画を作ると、非愛国者のように言われるが、意味が分からない」と言っていた。
是枝裕和さんが、「万引き家族」で賞を取り、政府関係者から要請された面談を断ると、非国民と非難するものがいた。じゃあ、国民栄誉賞を断り続けるイチローも非国民か。
ちょっと考えるだけで、胸糞が悪くなることばかりだ。
政治や市場原理主義に翻弄されるちっぽけな家族。
経済が縮小すれば、社会的弱者にしわ寄せが行くのは必然だ。
既に共働きで仕事に追われ、時間が削られ、分断されている。
ギグ・エコノミーは更にこれに拍車をかける。
家族の会話の時間さえない。
疲労だけが蓄積されていく。
親はもはや子供の人生の道先案内人になることが出来ないのか。
怒りをぶつけあうだけなのか。
セブが、リッキーに、まだ働き方が足りないのではないかと言っていた。
セブも、ギグ・エコノミーに洗脳されてしまったのか。
政治から回答は得られそうにない。
僕達は今、人間や政治・社会システムの愚行が、こうした状態を生んだということを認識し、どうするか真剣に考える時に来ているのではないか。
僕は人間だからこそ変えられるのだと信じたい。
映画は娯楽で社会テーマは重いと言う人もいるかと思う。
しかし、僕達は、自身の知識や経験のみならず、現実からも逃れることは出来ないのだ。
でも、人間であるからこそ、イマジネーションを働かせて対処することも可能なはずだ。
是非多くの人に観てもらって、考えて欲しい。
原題タイトル「Sorry We Missed You」は、家族や親しい人に向けられた素直で温かい言葉ではないか。
リッキーの車を止めようとした、アビーも、セブも、ライザも、解答はなくても踏み出したのだ。
僕達も今ハッキリした解答はなくても、どうありたいのかを示すことは出来る。
リアルな現実を突きつけながらも、何かその先の未来を見つめようとする作品だったと思うのは、僕だけではない気がする。
じわじわと…自覚させられ…疲弊
まさにケン・ローチの現代ドラマで、非常につらかった。
今回の内容は、自らにも関わるようなことばかりで、じわじわと圧を受けられている実状を目の当たりにさせられ、自覚させられ、見終わってからもずっと疲れたままだ。
いわゆる映画音楽なるものは一切ない。ストーリーテリングや展開はシンプルで、過激でもないし劇的でもない。しかしながら、作品への興味というか集中力はこれまでにないものだった気がする。
ネット通販のこと、仕事のこと、家族のこと…何かしら心を揺さぶる事柄が秘められているはず。
イギリスのことながら、これはまさしく紛れもなく悲しい現代社会であり、見ていてつらい。日本にケン・ローチがいなくてよかったかも…
ケン・ローチ、怒りの一撃
この映画は巧妙で、観ている側も家族の争いに引き込まれて、「何が間違っているか」を見失いそうになるんだけど、主人公一家は頑固オヤジと多感な反抗期の子どもがいるどこにでもある家庭で、その家庭を壊すものをケン・ローチは暴いて明確にしていく。
「わたしは、ダニエル・ブレイク」よりもさらに研ぎ澄まされたケン・ローチの怒りが全編を貫いている。主人公の息子セブの「何かが間違っている」という問いにケン・ローチは答える。「あなたたちは間違っていない、愚かでもない。間違っているのはあいつらだ。」
ずしりと重い
ロングライドさんのご招待の試写会にて
ケンローチ監督が引退撤回してまでも描きたかった
大きい資本に搾取されるばかりの
フランチャイズの個人事業主のドライバー
労基法みたいな救済措置もなくて
人並みな生活を送ろうとすると
罰金やらで逆に借金が増えていくことも
こんな現実に監督は怒り心頭なんだというのが映画のラストからも伝わってきた
働き方改革とか言っても
結局は大企業の利益(つまりは議員の利益)しか考えない日本も
ちょっとした違いはあれど同じ問題を抱えているなと考えさせられる映画
考えて欲しいっていうのが監督の伝えたいこと、ですよね!?
試写の後にトークショーがあり
映画関係者じゃなくて
日本の個人労働者向けのNPOの方が来て
日本の現状や問題点を映画になぞらえてお話しされていて
とても興味深く聞いてしまった
映画ってこういう広がりがあるから良い
そしてトークゲストを選んだロングライドさんナイスです!
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