「イギリスの雇用問題と家族の不和から問題提起する、ラヴァーティとローチ監督の人間社会劇」家族を想うとき Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
イギリスの雇用問題と家族の不和から問題提起する、ラヴァーティとローチ監督の人間社会劇
「麦の穂をゆらす風」「わたしは、ダニエル・ブレイク」のケン・ローチ監督82歳の時の社会派映画。舞台はイングランド北東部にある人口約30万人のニューカッスル・アポン・タインで「わたしは、ダニエル・ブレイク」と同じです。生活が厳しい状況下で苦しむある4人家族の希望の見えない現実が赤裸々に描かれています。原題は『Sorry We Missed You/ご不在につき失礼」になっていて、主人公リッキーが新しく就く宅配事業が使う不在届の言葉とういことです。ただ映画を観終えて思うのは、この英語タイトルを直訳した『会えなくて残念です』が、過酷な勤務時間を強いられて家族の時間が取れないリッキーの子供たちに対する懺悔のようでもあり、それは訪問介護で一人住まいの孤独で時に我儘な人たちの世話をする妻アビーも同じです。一度はマイホームを構えたものの不況の煽りを受けて手放し、借金だけが残るという不運から家族の歯車が狂いだしたようです。家族の生活費と借金返済のために働き詰めになるリッキー・アビー夫婦の悲壮感と暗転の物語、けして気軽には観ることが出来ないリアリティのホームドラマでした。日本題名の「家族を想うとき」は、その意味でとても分かり易く表現されたタイトルであると思います。
この夫婦が直面する高収入でも保障の無い職種に関して、解説を調べるとゼロ時間契約(Zero Hour Contract)という言葉が出てきました。これは1970年代から見られるようになったイギリス独自の就労形態と説明されていて、日本の契約社員とは異なります。映画のタイトルバックの真っ黒なカットに、リッキーと雇用主の男性マロニーの会話が流れるのが前作「わたしは、ダニエル・ブレイク」と同じ手法でも、宅配事業者は映画の中で終始リッキーに威圧的でルールを最優先にした態度を貫きます。リッキーはフランチャイズ契約のオーナーという個人事業主になり、仕事に必須の搬送用バンの持ち込みかレンタルの選択を迫られる。結局妻の車を売って、新しくローンでバンを買うことを決めます。このあたりの脚本・演出の生活感の出し方が巧い。リッキーが決断した理由は、週6日働いて1200ポンド(当時の日本円で17万から18万)の高収入。2018年頃のイギリスの物価が分からなくとも、月で70万円を超える金額は魅力です。ゼロ時間契約は、職種によって労働時間と収入の不安定につながる問題点がある反面、当時の宅配業が成長産業であったことから、正しく使用すれば雇用主と従事者双方に利益をもたらすはずでした。しかし現実は甘くない。最初からきついノルマを課せられ、時間厳守の厳しさ、急用の休みも取れず、事故や怪我も自己責任の上、罰金もある。全てのリスクを背負わないと続けられません。この映画が制作された2018年頃、このゼロ時間契約は、雇用主が一方的に利益を得ているとイギリスで社会問題になりました。映画は、この宅配業の実態を簡潔明瞭に描き、疲労困憊になりながらも家族のために働くリッキーを追跡していきます。そして自家用車を失いバス通勤のアビーの苦労も、個別の要介護の人達とのコミュニケーションを丁寧に描いて、夫婦の姿を借りた社会の矛盾の告発をしています。最も印象的なのは、強盗に襲われたリッキーの大怪我の検診を待つアビーが、職場から掛かって来た無慈悲な電話に我慢ならず、夫の携帯を奪って怒りをぶつけ、待合室の人たちに謝りながら泣き出すシーンでした。
それでも夫婦二人だけなら、何とか支え合い借金返済をしながら生きていけたでしょう。問題は、2人の子供の成長を辛抱強く支える親の役割です。特に高校生の長男セブを不良少年に設定したことで物語が展開するコンセプトのため、作為が無い訳ではない。妹ライザが心配するくらい学校をズル休みして、不良グループの仲間とつるんで街の至る所に落書きをし、遂には万引きに手を染めてしまう。甘やかした訳ではないが、厳しく躾けた訳でもない。親の苦労を観ているのに何故反抗的なのか。かつてマイホームでは家族4人楽しく生活していたが、仕事に忙しい両親にもっとかまって貰いたいのか。ここには、精神的に不安定な15歳から16歳の男の子の甘えが、類型的且つ不変的に表現されていました。個人的に良いと思ったのは、彼が描く落書きのデザインと、小冊子にまとめたグラフィックデザイン。両親は大学進学を望み高校の退学を心配していますが、セブには画家の才能がある。この才能に驚くリッキーのシーンが、この家族のドラマの唯一の救いでした。そして、一度歯車が狂った人間関係は、不幸にも事故や事件でしか歩み寄れないものです。
このローチ作品は、社会的リアリティを追求したドキュメンタリータッチに特異な家庭劇を加えた、八方塞がりに陥るリッキー家族の苦悩の人間ドラマとして成立しています。ポール・ラヴァーティの脚本、ケン・ローチの演出の一つの到達点と言っていいと思います。
おはようございます。
大先輩(ですよね)から、連日ケン・ローチ監督の拙レビューに共感を頂き、素直に嬉しいです。有難うございます。
社会派の巨匠、ケン・ローチ監督。新作は無理でしょうが、彼の方の意思を引き継ぐ、是枝監督の様な方がもっと出て来て欲しいな、と思っています。今週は仕事と所用で久方ぶりに映画館には行かないのでノンビリです。たまには良いですね。では。返信は大丈夫ですよ。



