劇場公開日 2019年12月13日

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「不在だけが存在する世界で。」家族を想うとき ytoshikさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5不在だけが存在する世界で。

2021年12月3日
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悲しい

知的

ケン・ローチというだけで、忘れられない名シーンがよみがえってくるが、そこにまた一つ、という感じ。
不条理と言ってしまえば、全てが片付きそうな陳腐さがあるが、現実の辛苦には十分な理由があって、家族のためにブラックにはまりこんでいく様は、日本でもリーマン根性で多くのモノを失ってきたが、新たな時代にアッフデートされて提示された形。
そういう意味では、邦題の家族を想うとき、も家族を養うという中での相克みたいな話に作品を貶めてる所は残念。
原題の不在通知に象徴されるような、不在のやり取りに現代の新たな没交渉のブラックさを投影している点は、一段と深いえぐり具合を感じた。でもまぁ、それを見事なまでに表現した、とはならなかったけれど。

雇用(責任)者の不在、労働者の不在、でマニュアルとルールだけがあり、履行と罰金、弁済だけがある仕事に主人公は存在する。
親の不在、教師の不在、隣人の不在やらが更に家族を追いつめ、助け手の存在も出会うことなく、生活者(としての向上)における指標だけに左右される毎日。
社会が悪い、会社が悪い、とだけ言いたいわけではないだろう。ソレを構成して発展させているのは他ならぬ主人公であり、その辛苦が一過性、時限的であるかのような自己暗示で毎日を通過していくのだ。
今や資本主義は、持てるものが更に集める事を是認して多くを分配するか、持たざる者を持てるようにするか、そんな二元論も混沌化するほど、道を失っている。人をなんだと思っているのか?!と言うほど、辛い思いの所にいる人はそのシステムから離脱する勇気を持ってほしい。
家族を幸せにしたいという自己欺瞞は、不条理でもなんでもなく、今それが存在しているのか、という話。将来、未来の話ではなく、今、幸せか、しかないんだという事。今、幸せが存在しているか、不在通知がそれを知らせるのかもしれない。
ケン・ローチといえば、という映画だが、これもまたサッカーネタが出てきて、その部分だけは羨望のやり取り。いつか日本でも配達人と推しクラブで言い合いたいもの。家族に幸あれ。

ytoshik