「「あなたがいないと寂しい」」家族を想うとき cmaさんの映画レビュー(感想・評価)
「あなたがいないと寂しい」
「ケン・ローチの映画が始まる! 観なくっちゃ!」と、思ってようやくこの日。やっと観れる、というわくわくと、覚悟にも似た緊張感と。今回もやはり、ひたすらのめり込む100分だった。
ケン・ローチ監督を意識するようになって、随分経つ。作品を重ねるごとに、題材がどんどん身近になっているように思う。こと本作は、他人ごととはとても思えず、まさに「自分ごと」。仕事と家庭のバランスの難しさ、介護職のハードさ、宅配業の負担、「お客様」を振りかざしたクレーム、寛容さのかけらもないやりとり。海の向こうの遠い話どころか、ドアの内外で繰り広げられている日々の光景とオーバーラップする。世界は、どんどん縮んでいるのかもしれない。息苦しいほどに。手書き風のタイトルロゴが、家族宛てのメモに使われる、不在連絡票のロゴから採ったものと気付き、原題に込められた意味にはっとした。
そのくせ、映画館の出口で「絶望に向かうしかない」と呟いていたおじさんには猛烈に反論したくなって、この文書を書いている。確かに、ラストは明るさとはほど遠い。けれども、私がまず思い起こすのは、家族みんなが揃った夕食がドライブに転じる夜。それから、介護中に古い写真を見せ合い会話を交わす昼下がりだ。ほんのひとときなのに、彼らの生きている(生きてきた)時間がぎゅっと凝縮されていて、物語にあたたかみとふくらみを与えていた。
記憶鮮やかな前作「わたしは、ダニエル・ブレイク」の力強さが再燃するのでは、という淡い期待もあった。病院で妻が啖呵を切るくだりで、もしや、と思ったが…カタルシスには至らず。(病院に集まる人々は、エネルギーが枯渇しているのだから致し方ない。)一致団結の盛り上がりを避けたことで、個人の不幸せは社会のせい、こんな世の中に誰がした、などという安直な着地点を、断固拒否しているようにも思えた。社会が悪いと言い続けても、誰かがなんとかしてくれるわけではない。社会と個人は対極ではなく、地続きだ。では、彼らは(私たちは)どこで逸れ、何が誤ったのかと、今も必死に頭を巡らしている。
ふと、ジョン・レノンが亡くなった日の、知人の話を思い出した。彼は、その訃報を床屋のラジオで聞き、ショックでそのまま帰ったという。その話を本人から聞いた私と友人は、ケープをつけたまま街に彷徨い出る姿を想像し、それほどの事件だったのかと感服した。…しかし、それから数年後の冬、改めてその話を出したところ、「髪は切り終わっていたので、髭剃りを止めただけ」とあっさり言われ、私たちはひどく拍子抜けした。けれども、それもそうだなぁと納得した。
だから、というのは唐突かもしれないけれど…お父さんには、格好悪く帰ってきてほしい、と切望する。ガス欠とか、ゴミ箱に突っ込んで車が故障するとか、なんでもいいので。
きっと、皆は暖かく迎えてくれるはず。笑いながら、照れながら。
そんな姿をぐるぐる想像しながら、寒さに負けないように家に帰った。