「その先の未来」家族を想うとき ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)
その先の未来
この映画のオリジナルタイトル「Sorry We Missed You」、
映画のストーリーに沿って意味を考えたら、「分かってあげられなくてゴメン」あたりだろうか。
家族が、それぞれに向けた率直で温かい言葉だと思う。
だから、その先の未来で、この家族は困難を乗り越えるのではないかと信じたくなる。
働きたい時に、働きたいように自由に働くといった夢のようギグ・エコノミー。
だが、実は、このリッキーのように、自分のリスクでさまざまなものを補わなくてはなららず、そして、ノルマに絶えず追い回される。
昔、イギリスの社会福祉を表す象徴的な「ゆりかごから墓場まで」という言葉を学校で習った。
高度福祉社会を表す表現だ。
しかし、イギリスは、サッチャー政権下の大きな方針転換の一環として多くの規制緩和を行い、公的保険や福祉も民間に委ねるなど公的なサービスを後退させた。
自分の才覚で頑張ってね、というやつだ。
金融分野では「金融ビッグバン」として語られ、ロンドンが世界の金融市場としての地位を高めたが、介護分野はコストとして省みられることはなくなってしまった。
それが、アビーの置かれた状況だ。ノルマに加え、人手は足りず、リッキーの状況とさして変わらない。
アビーがいくら人として接しようと心掛けても、まるで、介護を待つ人を物のように扱わないと仕事が回らない現実。
サッチャー改革で、医療従事者も海外に流出し、その悪影響は今も残り、列をなす病院の患者の待ちくたびれた表情で語られる。
ブレア政権は、この状況を改善しようとしたが、時すでに遅く、イギリスの政治家は、自分達の無策を省みず、欧州連合(EU)の拡大で国外から流入した労働者に原因を求め、怒りの矛先を向け、3年前の国民投票で決まったのが、EU離脱、いわゆるブレグジットだ。
12日のイギリス総選挙では、与党保守党が圧勝し、来年1月の離脱が現実的になったが、未だ多くのことは決まっておらず、不透明感は高い。
多くの製造業者はイギリスを後にし、大陸欧州に拠点を移している。
そして、この3年で、イギリスの通貨ポンドは大きく下落し、イギリスの一部の輸出産業は潤った。しかし、移民にとっての働く場所としての魅力度は低下し、ドイツやオランダなどが、クオリティの高い移民の受け入れ先の候補として手を挙げている。
政治はいつも人々を欺き、置き去りにする。
イギリス人の多くは、ブレグジットの負の側面を本当に理解してるのだろうかと考えてしまう。
イギリスは栄光を取り戻せるのか。
Queenのギタリスト・ブライアンメイが、既にイギリスは大英帝国ではないのだと皮肉っていた。
そして、
これほどではないにしても、僕達の社会も似たようなものではないか。
人手不足と言いながら、ワーキングプアは減らない。
AI人材が不足してると大々的に語られ、政府や企業はその深刻さを強調するが、介護や保育の人手不足や低賃金環境の解決は遅々として進まない。
移民労働者を受け入れるといっても、公平に扱われる確信もない。
加えて、ギグ・エコノミーが少しづつ社会を侵食している。
最近見たニュースの食事の宅配サービスで働く人達の現状は、リッキーの置かれた状況そのものだ。
震災復興はまだ道半ばなのに、政治は高級ホテル50棟の建築をチラつかせる。
獣医学部新設は、十分な雇用を生んだか。その地域の経済を活性化させたか。
政治のお金の使い所は間違っていないか。
ケン・ローチ監督が、是枝裕和さんとのNHK番組での対談で「こうした社会格差などをテーマに映画を作ると、非愛国者のように言われるが、意味が分からない」と言っていた。
是枝裕和さんが、「万引き家族」で賞を取り、政府関係者から要請された面談を断ると、非国民と非難するものがいた。じゃあ、国民栄誉賞を断り続けるイチローも非国民か。
ちょっと考えるだけで、胸糞が悪くなることばかりだ。
政治や市場原理主義に翻弄されるちっぽけな家族。
経済が縮小すれば、社会的弱者にしわ寄せが行くのは必然だ。
既に共働きで仕事に追われ、時間が削られ、分断されている。
ギグ・エコノミーは更にこれに拍車をかける。
家族の会話の時間さえない。
疲労だけが蓄積されていく。
親はもはや子供の人生の道先案内人になることが出来ないのか。
怒りをぶつけあうだけなのか。
セブが、リッキーに、まだ働き方が足りないのではないかと言っていた。
セブも、ギグ・エコノミーに洗脳されてしまったのか。
政治から回答は得られそうにない。
僕達は今、人間や政治・社会システムの愚行が、こうした状態を生んだということを認識し、どうするか真剣に考える時に来ているのではないか。
僕は人間だからこそ変えられるのだと信じたい。
映画は娯楽で社会テーマは重いと言う人もいるかと思う。
しかし、僕達は、自身の知識や経験のみならず、現実からも逃れることは出来ないのだ。
でも、人間であるからこそ、イマジネーションを働かせて対処することも可能なはずだ。
是非多くの人に観てもらって、考えて欲しい。
原題タイトル「Sorry We Missed You」は、家族や親しい人に向けられた素直で温かい言葉ではないか。
リッキーの車を止めようとした、アビーも、セブも、ライザも、解答はなくても踏み出したのだ。
僕達も今ハッキリした解答はなくても、どうありたいのかを示すことは出来る。
リアルな現実を突きつけながらも、何かその先の未来を見つめようとする作品だったと思うのは、僕だけではない気がする。
トラックドライバーです。
莫大な収入を得ていましたが、お節介な「働き方改革」とやらのおかげで方向転換を余儀なくされましたね。
睡眠は増えましたが収入は激減してしまったので、個人事業主をたたみ一般社員に戻った次第。
従兄妹の治療費を払うためのトラックでしたが、例に漏れず家庭はぶっ壊れました。
あー、やれやれ。
1800円払って、ここまで気持ちの沈む映画も久しぶりでした。
家族に会う時間が作れなくてごめんと言う意味ではないでしょうか?
労働者階級の、俺が働いて家族を養わなければと言うマッチョイズムが、それゆえに資本家につけ込まれて利用され、自分の首を絞めていることも批判されていると思います
こんにちは。家族を思うときのコメント参考になります。自分も先週土曜日、アップリンク吉祥寺で中国ドキュメンタリー映画監督、ジャ.ジャンクーさん作品の帰れない二人を観て来ました。この帰れない二人の作品も、2人の共演を通じて、21世紀の中国社会の急激な変化を通じてかつ、世界全体が思いやり、親切さ、寛容性、助け合いの精神、アナログ~デジタル化、スピードアップ化でゆとりを失う事の警告を風刺した映画です。最近の世界のドキュメンタリー映画は今までのライフスタイルをこのまま続けていいのかを問う作品が多くなっています。今後もレビュー期待しています。