マティアス&マキシムのレビュー・感想・評価
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やさしい人々に囲まれたふたりの物語
幼馴染のマティアス(ガブリエル・ダルメイダ・フレイタス)とマキシム(グザヴィエ・ドラン)。
もうすぐ30歳のふたりには、ふたりのほかにも幼馴染の友人たちは何人かいて、いまでも仲がいい。
友人の別荘で仲間と過ごすことになったある日のこと、友人の妹の依頼で、マティアスとマキシムは彼女が製作する大学の課題映画に出演する羽目になってしまう。
そしてふたりに求められたのは、男性同士のフランス式ディープキス。
たしか、ふたりは高校時代にも一度だけ、パーティの余興でキスした経験はあったが・・・
といったところから始まる物語で、ゲイのマキシムに対して、マティアスは女性の婚約者もいる。
しかしながら、マティアスもマキシムのことが気になってくる・・・
公開中の日本映画『窮鼠はチーズの夢を見る』と同じく、同性愛者と非同性愛者間の恋愛を描いているが、まるでアプローチは異なります。
あちらは作り物感が強かったのですが、こちらは自然。
本当に登場人物の感情の動きが自然。
オーストラリアに旅立とうとしているマキシムは当然のことながら、新進の弁護士として働くマティアスの、揺れ動いていく感情がちょっとした仕草や視線で表現されています。
で、それだけならばそれほど傑出した映画とは思わないのですが、この映画の素晴らしいところは、周囲の仲間たちの描き方。
いろんな社会的地位にいる仲間たちなのだけれど、マティアスとマキシムの間柄については、どことなく何となくなにかあることには気づいている。
しかし、腫れ物に触るような態度ではなく、ごく自然。
ひとりの人間同士としての付き合いをしているが、ここぞというところでは優しくなる。
終盤、クライマックスのラヴシーンの直前、仲間内でいざこざが起き、最終的にはマティアスがマキシムに対して「この赤痣野郎」と罵ってしまう。
それが恋心の裏返しだと、仲間内では気づいてしまう。
ここからの微妙な空気感がいい。
それとなくマティアスとマキシムの関係を修復しようと、さりげなく、ふたりを近づけていく・・・
このような優しさは、その直前にも描かれていて、マティアスの婚約者が「旅立つ最後のパーティだから」といって、はじめは出るのを渋っていたマティアスを会場まで自動車で送り届ける。
女性の婚約者としては、マティアスがマキシムに恋心を抱いていることを知りながら・・・
この映画にある種の透明感や清涼感を感じるのは、マティアスとマキシムの純粋さだけではなく、周囲のひとびとのやさしさにあるのではないかしらん。
映画での汚れ役は、マキシムのヤク中の母親(半年はクリーンだと説明されているが)と、家族に干渉しないマキシムの弟で、マキシムにとって、もっとも厄介だったのが家族だということがわかる。
それは、彼の顔の赤痣のようなもので、切っても切れないものなのだろう。
と、誉め言葉ばかりを並べたが、グザヴィエ・ドラン監督のいつもながらの気取った映像表現はいくつか気になりました。
冒頭のフランス式ディープキスのフェードアウトは効果的だけれど、その後、何度か登場するフェードアウトは、時制を混乱させている感があります。
また、終盤のラヴシーン、またもやフレームの上下を狭めて、ふたりだけの世界を表現するのだけれども、これも余計な感じ。
ということで、ま、悪癖はあるものの、私的で詩的な透明感のある映画、と評価します。
やっぱりドラン
古巣に戻ってドランらしいテンポや音楽で満載感ありますね。
ハリウッドで撮ったり原作物は荷が重かったのかもしれませんね。
ただ初期の勢いからすると変にまとまっている感があり、まだまだ
迷い道なのかもしれませんね・・・
秘めた想い
劇中を通してマキシムの秘めた想いが曝け出されるのは物語も後半のキッチンでの場面、しかも受け身な態度が何とも言えないもどかしさを感じるし、彼の気持ちに共感しながら観ていると込み上げてくる感情が、、、。
マティアス自身が気持ちの変化に戸惑い葛藤している姿を中心に、台詞での説明や劇的に感動を煽る演出も殆ど見当たらない、清々しい青春映画として。
明らかに皆とは違う家庭環境があり、一人旅立つ理由、母親との険悪な関係性、どこか寂しげな表情を浮かべながらも自分の人生を進ませる方向へ、マティアスの母親がマキシムを見つめる優しい目線、全てを感じ取ったかのようなフランクの行動、顔に痣がある理由。
破滅的で暗くて可愛そうに思える映画にでもなりそうなのに、仲間たちの明るさと愛らしく感じるグザヴィエが演じるマキシムのキャラ、互いの秘めた想いが秘めたまま綺麗な思い出として残るような、知らなかった自分の気持ち、隠したままの気持ち、色々な感情全てが自分な訳でどの自分を曝け出し生きて行くのか。
ラストは清々しく、残された想いを大切に、マキシムは戻らない気がする、、、最初から彼の表情に注視しながら本作を鑑賞しなければ、グザヴィエの手腕、衰えず!
2020/10/14 アップリンク吉祥寺にて。
二度目の鑑賞。
グザヴィエにあるイメージのまま、最初からマキシムはソッチの人かと勝手に思いながら観ていたが、マットに対して"理解したい"と訴える姿や常に受身な態度、分かりやすいマットの反面、マキシムの気持ちが難しく思え、最後まで"はぐらかす"ような態度のマキシムを理解したくて堪らない鑑賞中。
前作にハマれず今思うと「たかが世界の終わり」から下降気味に思われたグザヴィエと勝手に、本作で衰えない才能を輝かせた彼の役者としての存在感も含めた、これからも期待大な年下の映画監督って稀さ。
イケてないドランの新境地
イケてないドラン。
身なりもヘアも態度もだらしない。
顔に赤痣をつくっている。
体つきも顔も少したるんだ感じ。
家庭は関係性も家計も破綻している。
今回のドランは自分から洗練さを剥ぎ取っている。
自虐的に。
片や相手の男は対照的に洗練されている。
リッチで社会的評価も高い。
(ものすごくウジウジしてるけど)
思春期のヒリヒリした切実感と高揚感が売り物だったドランも、既に31歳。
作風の経年変化も注目していたが、この「かっこ悪さ」を打ち出すあたり、そして母親との確執もマザコンからの脱却をしたように見えるあたりも、オトナというか妥協というか、ある意味彼個人の成長なのかもしれない。
それだけに、反面切れ味がなくなったような気もする。
それでも終盤の見せどころでは、それまでのやや冗長な流れが長い前フリだったことを悟らせ、一気に開花させる展開にどぎまぎさせてくれるのはさすがだ。
ケベック製なのにそんな調和を微塵も感じさせない、ドラン製オリジナル。
かっこわるくてもいい。
ただ、まだまだセクシーにトンガっていてほしい。
違和感…
確かに美しく撮られており、音楽も良い。個々の場面における台詞や演出も良いと思う。
だけど、それが集められたときにこう展開するのだということがどうしても合点がいかない。なんだかいつのまにか違う惑星に着地してしまったみたい…
でもこれはいわゆるフランス映画全体に感じる違和感かもしれない。(ドランはカナダ人だけれども…)
そういう意味では英語で撮られた前作よりは違和感が少ない気もする。
幼なじみの恋?
うーむ、BL物は個人的には好まないけど
ちょいと違うのかな?と期待して鑑賞。
心情の移ろいが画面からひしひしと伝わってくる
よい作品でした。
けどね、厳しいかも?だけど男女の幼なじみの
恋愛ドラマが、男男に置き換わっただけとしか
思えないんだよなー。
同性を愛してんの?
あれ?友達として見れてないの?俺?
って葛藤が全く描かれてないって思います。
だから、とっても仲良し、7歳の頃一緒に牧場を
作る夢があった無二の親友としばらく会えなくなる
ことに関して、最初は冷静を装っていたけど、実は
離れて生活することが辛い、辛すぎるほどに想いあって
たってことがわかりました!
男って大事な友達に素っ気なく対応するもんだし、、、。
こんな話に強引にラブシーン挟んだに過ぎない作品に
見えちゃうんだよなー。
僕の感覚は古いのかな?
今の時代、同性愛の葛藤なんて描くこと自体
アレレ感なのかな?
今時の青春と恋愛模様
青春。毒親からの自立。友情と恋愛の間。そのどれもがアレグロのテンポで協奏曲を奏でるように描かれる。あくまでロマンチックに詩的に。登場人物は若者もおばちゃん連中もよく喋る。対照的に、主人公二人は決して心の内を語らない。観る人に想像の余地を残す仕上げが監督らしいと思った。
「二人はキスしたことあるの?」「俺は男だぞ」「あなた達の時代はそうだったかもしれないけど今は違うの。」つまり性別に関係なく好きならそれでいいという、主人公の一人の妹の発言が、ドラン監督の「普通の恋愛映画として見てほしい」気持ちと時代の空気を代弁していた。
読めない行間が多過ぎる映画
最初に、、、
トロントから来た薄っぺらい弁護士の登場シーンは秀逸でした。
しかし、、、
これまでも直接的ではなく、行間で感じてくださいというタイプの映画を作ってきたグザビエくんですが、今回の映画は読めない行間が多過ぎ。
例えば、植木鉢と植木鉢の跡とか、一体何の意味があるの?
主人公の言動も見終わった後でトータルで考えれば理解できなくはないけど、見ている間は「?」の連続でした。
グザビエくん、煮詰まっちゃったのかな?
それとも時間に追われて見切り発車しちゃったのかな?
一生表現していきたい?
前作ハリウッド進出のジョンドノヴァン〜を観逃しているので、それは省いてもドランはホモセクシャリティ、ジェンダーにおける、また家族関係の苦悩や抑圧、愛憎や葛藤について、ライフワークとして表現し続けるのかしら?
前作は観てないから分からないけど、段々と薄味になってきてる?って感じました。
mammyのカメラワークや音楽の効果的な使い方が凄く好きで、そこを期待してしまってるからか、
今回の作品は、生まれていた(私はマティアスは自覚は無かったけれど昔から恋愛感情があったと感じた)ジェンダーレスな恋愛感情の受け入れ方、苦悩、
マキシムの家族に対する苦しみや哀しみ等、上手くてドランらしい作品でしたが、写真家でも通用しそうな印象的なポートレート写真の様な表情のアップシーンや、そこだけ切り取ってポストカードにしたいと思えるような行間の表現が心に響く程では無く、上手くまとめられた薄味に思えてしまった。
でも、作品を作り続けていく中でずっと刺激的なモノをというのは難しいし、このままジェンダーレスと家族問題の苦悩の映画ならドラン監督❗️「それでも恋するモントリオール」みたいな(笑)
と言っても、まだ若い監督なので方向性や作風を変えるのも楽しみです。
ずっと映画を作り続けて欲しいと思います。
これでいいのでは?と思えるようになる年月
ある程度年を取ると、幼かった頃無理だったものを受け入れることができるようになることがある。
この話の主人公たちは監督と同じくらい、20代最後らしい。カナダのような国では多分若者だけど子供ではない。その辺の感覚は日本とあまり変わらないと思う。恋愛について何も知らない状態ではなく、それなりに次何起こるかの予想はつく。
わかった上で幼かった頃押しつぶした気持ちを気付いてしまった男性二人の恋愛ドラマを、彼らの友達や家族や生活を通してテンポよく描いている。モントリオールは家の外に物干しがあって、乾燥機じゃなく外で洗濯物をほす場合があるとか知れて興味深かった。
今まで見たことがあるグザビエ・ドラン監督作品の中では一番いいと思う。ロマンス向いているのでは?
本当はもう星半分あげたいところなのだが、毒母親は個人的にはもういい。
ドラン監督の創る世界感に一目ぼれ
映画の一場面を取るために愛の無いキスをしただけなのに、そこから恋心が芽生えてしまう。これだけ読むと、良くある恋愛モノの始まりみたいだけど、マティアスとマキシムは同性。じゃあ、この映画はLGBTの恋愛の苦悩を中心に描いているのかと言うと、そうではない。LGBTをテーマにしているような雰囲気はあまりなく、好きになってはいけない人を好きになってしまった二人の純粋な恋愛物語が描かれている。
愛してはいけない人を好きになってしまった葛藤、それでも気持ちを抑えきれない衝動、マキシムの感情が叙情的な描写でスクリーンを通してヒシヒシと伝わってくる。
結局、告白の返事を直接聞くことはできなかったけど、最後に全てが分かる。それが直接の返事よりもマティアスの気持ちを如実に表していて切なくなる。成就しなかった、甘い切ない初恋物語を観たような気分。
今回、初めてドラン監督作を観たけど、監督の作り出す世界観にどっぷりはまってしまった。
”ジョン・F・ドノヴァンの死と生”もそうだが、音楽や映像はかっこい...
”ジョン・F・ドノヴァンの死と生”もそうだが、音楽や映像はかっこいいのだけど、何故か眠くなる。
同じ年にドラン作品を2作も観られるのは嬉しい限り。 期待値あげ...
同じ年にドラン作品を2作も観られるのは嬉しい限り。
期待値あげるクセがついているので、本作はかなり落ち着いた気持ちで鑑賞。
人物に寄せて表情をみせるカメラアングルや美しい情景をさしこむ映像はドラン監督の相変わらずの感性の素晴らしさ。
マカフィ=ケヴィンのシーンなんて、スローな映像と選曲にしびれたし
看板の画図らを見上げるところは、マックス色々拗れてるんだなぁとちょっと心が辛くなった。そして、リヴェットやフランシーヌの優しい目線。
感情や表情を作品の中にとけこませる感覚はやはりドランて凄いなぁと感じる
一方で、ドラン監督ならではの激しい会話の応酬の演出と沢山のエピソード。
これらが自分には供給過多に感じてしまった。激しさと静けさのシーンの対比が魅力の一つなんだろうけど、なかなかその魅力を感じる感覚をつかむ気持ちになれなかった。
大好きな「アンヌ・ドルヴァル」が久々にドラン作品に戻ってきて嬉しかった反面、彼女の役柄の姿が自分には悲しく写ってしまったのもあるかも(母親の内面像はいつものドランだったので気になりませんでしたが)なので、あまり感情移入することなく時間だけが過ぎてゆくわりと辛い時間、、
だったのですが、、、
ラスト15分の感情の爆発
Mの農場!!
あぁ、作品の題名はそういうこと!?
あぁ、爪噛むマティアスいたよね?!
なんといおしい!
120分中105分が全てはこの時のためにあったとは、、
15分でこれほどまでに感情を沸き上がらせてくれるとは正直、全く想像してなかった。
マティアス父のオフィスとの電話なんて、
マックスの気持ちがめっちゃくちゃ伝わるから涙無しには見られない
そして、あのラスト
もうズルいよ、マティアス!
でも、本当によかった!
あとは二人で勝手にやってね by フランク
全てを知った上でもう一度観たい
若き天才は堕ちない
グザビエ・ドラン監督作の中で最も好きな作品となった。
初の英語作品である「ジョン・F・ドノヴァンの死と生」から
次の監督作が本作。そして本人が主演を努める。
前回の大作映画から一変、インディーズのような雰囲気を醸し出す本作は
私の心を最も射止める一作となった。
わたしが同性愛映画に求めるものは、
「もはや同性愛者がこの世に存在することに意味など無くなること
(言い換えれば、その存在に誰も疑問を持たなくなること)」だが、
この作品はまさにそんな映画になっている。
印象的だったシーンをいくつか書き出したい。
①マキシムの母の表裏
これはマキシムがオーストラリアに向かう前に母親の家に寄ったシーンで、
料理名は忘れたが、マキシムが好きだった何かを作ろうかと母親が問う。
母の優しさを感じるいいシーンかと思いきや、最後に母親の態度は様変わりする。
息子に金を乞うのだ。
この行為でもし前半のやり取りが純粋な思いからだったとしても、
白が灰色になるように、100%の優しさではなくなってしまう。
でもこういう裏切り方をしてくるのが家族だよな、とこちらまで
胸が痛くなるシーン。
②マティアスがエレベーターに乗っているシーン
会社のエレベーターに乗り合わせた男性社員と思われる2人が
女性のほうをちらちら見てコソコソと話す場面。
女性のほうも気づいているようで、ほんの少し顔を傾ける。
しかしこれに男性社員のほうは気づかず、気づいているのはマティアスだけ。
そのときの悲しげな顔と言ったら・・・
(たぶんこのシーンで泣いた。)
今でも書いていて泣きそうなんだけど、たぶんこれは自分にも経験があるから。
マティアスはこういう環境でずっと過ごしてきたんだなと思うと、
その心の内の孤独に耐え難い寂しさを感じる。
③マティアスが窓越しに、マキシムが途中まで吸ったタバコの火を消してポケットに入れるのをみて笑顔になるシーン。
このシーンは本当に今年いちばんいいシーンだった。
こんなシーン撮れたら、本当に監督冥利に尽きるよなあ…。
たぶんなんとも思っていない人が、同じ行動をしてもそれこそなんとも思わないというか、
むしろマイナスな感情になるはずなんだけど、そこで笑ってしまうのが
本当に"愛"というか、可愛くて仕方ないんだな~って感じで。
何歳になったってキュンとするシーンだよ。
マティアスって他にあんな笑顔みせるシーンなんてないよね。
他にも書きたいシーンが山ほどあるけど、
・若手弁護士とカフェにいくシーンとか(こんときのマティアスの表情も絶妙で、演技がお上手なのだなきっと)
・弟の留守電がくだらないシーンとか
・怪我したマキシムを世話してくれる同僚がなんか無駄に可愛いしエロいとか(関係ない)
もちろん雨の中、窓越しのキスシーンも最高でしたな。
(最初の映画撮影でのキスシーンは見せないで、この後半やっと見れた!
ってなる感じも上手!)
本人は「君の名前で、僕を呼んで」を意識したと言ってたけど、
それ以上に美しかった!!!まず手にキスするのも最高だった!!!
出演者も本当の友人たちのようだけど、その空気感も良かった。
ドランは最初自分が出演する気は無かったらしいが、ドランだったから
こんなにも美しい作品になったんじゃないかな。
(というか本人が出たがってなかったのが結構意外だった。)
この作品で、今までのドランのイメージが覆された部分があって、
もっとふわふわした軽い付き合いをする人だと思ってたんだけど、
全くそんなことないんだね。
マティアスもマキシムたぶんドランなんだろうし、
そしてわたしなんだなあ・・・(どことなく気持ち悪い文章)
そのくらい共感しきってしまった・・・。
パンフレットも買ってしまったし、
あ~2回目観に行こうかな~~・・・
言いたいことは沢山あるのだが
まず一言でまとめるなら中々難しい作品だった。
大前提として私が洋画を見慣れていなく、字幕を見ながらテンポの速い掛け合いについていけなかったというのがあるのだが、、
上級者の振りをして道路のセンターラインを車で走っているような演出はなんだったのか、定期的に(私が確認できたのは2回だが)犬が横切るシーンはなんだったのか、水面との境目を溺れてるように映しているのはなんだったのかなどというのを考えようとしたのだが、そもそもストーリー展開についていけずそんなことを考える余裕がなかった。
映画を見るのは中々難しい。
さて、この映画のラストシーンだがハッピーエンドともバッドエンドとも言い難い、そんな簡単な言葉では言い表せないようなラストだった。基本そのどちらかだろうと今まで考えてきた私はまだまだ初心者なのだろう。
予告動画を見た段階ではお互いの恋愛に対する葛藤が描かれているものだと思っていたが、そもそも中盤では2人の絡みがほとんどなくお互いをどう意識しているかというような描写もなくどちらかというと家族関係を中心に描かれていた。
恋愛映画という単純な括りではないのではないか?と感じた。
もう一度見たら理解できるのだろうか。否、見方が変わるだけで物語を理解するにはまだまだ考え方が足りていないだろう。
フランス語でも勉強してみようか
愛の伝え方を知らない2人
マティアスは男女の恋愛しか知らないし、
マキシムはストレートとの恋愛を知らない。
最後まで手探り状態の2人。
観ていて焦ったくてモヤモヤ。
距離の縮め方はハラハラした。
痣を舐めるシーンもう一度観たい。
ごめんなさい理解できなかった…
美しい映像と音楽と、少女漫画のようなボーイズラブの描き方。
もともと純粋なボーイズラブものが得意ではなく「君の名前で僕を呼んで」もハマれなかった私には、登場人物たちの心情や監督が伝えたいことがさっぱり理解できず楽しめませんでした…。
もうちょっと分かりやすくして頂けると助かるけど、それだとこの絶妙な空気感が壊れてしまうだろうことも分かるので、なんとももどかしいです…。
あと30歳にしてはパーティのノリが学生みたいでちょっと違和感。あれが普通なのでしょうか。。
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