マティアス&マキシムのレビュー・感想・評価
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おそろしく稚拙で愚かな男ども
知性のある男は、情緒に欠けるのか。
言葉遊びをするわりには、行動の意味を考えない。
焼きもちの表し方が幼稚園児並で、あまりに稚すぎて、国民性なのか性差なのか、何だか腹立たしくなってしまった。
しかも相手の身体的な弱点を突くなんて、卑劣としかいえないし。幼馴染だから許せるのかもしれないけど、謝る相手違うし。
恋愛映画としては、まったく共感できない展開でした。
【ゆれる】
若さという勢い。
友情なのか、恋愛感情なのか。
寄せては返す波のような感じは、ウォーターベットに勢いよく腰掛けた時の思いがけない揺れと同じで、ジェンダーに関係なく誰もが通り過ぎるようなことだと思う。
そして、この作品は、もうひとつの揺らぎ、自身のジェンダーについて、トランスジェンダーとして生きるのか、与えられたジェンダーそのままに生きるのか、苦悩というより、若者らしい気持ちの揺れを描いているのだと感じる。
好きとは何だろうか。
自分の気持ちが勝ってしまって束縛したくなったり、パートナーの才覚を傍らで支えてみたり、突き放すような叱咤激励もそうかもしれない。
秘めた気持ちを優先するのか。
新たに踏み出す、お互いの一歩に新たな人生を見出すのか。
答えは人によって様々だろう。
若さの勢いが勝つこともある。
だが、相手の、そして自らの将来を考えることだってあるに違いない。
トランスジェンダーを扱う映画を観る度に、いつも噛み締めるのは、自分の無意識と向き合うのが、本当に難しいことだ。
客観的な思慮のつもりが、いつのまにか上から目線になっていないか。
この作品では、トランスジェンダーとして生きていくのか、仕事や将来のことも含めて、もう少し時間をかけて考えてみたいという葛藤を抱える人もいるはずだと改めて気付かされる。
顔のアザを、個性として受け入れていても、ふとしたはずみで、相手を傷つけるような心ない言葉がついて出たりする。
どんな人間にも、ダメと分かっていても相手を傷つけたり、自分を上手くコントロール出来ないことはある。
いろんな迷いのなかで僕達は生きているのではないのか。
僕は、マットはマックス当ての推薦状を携えて見送りに来たのだと思う。
サプライズではなく、そこに至るまでの葛藤のなかで、引き止める気持ちが大きかったこともあるだろう。
しかし、何であれ、お互い一歩前に進むのだ。
トランスジェンダーか否かに関わらず、誰にでも訪れるような人生のワンシーンだ。
皆、同じなのだ。
セクシュアル・アイデンティティはどこまで「無意識」か
いや〜フランス系の映画は本当に難しい………セリフ以外の情報(景色の映像や音楽)からキャラの心の機微を読み取るのが本当に苦手なので、そもそも映画鑑賞に向いてないんだけど笑。映画はやっぱり独特の疲労感があるよね………。
僕は自分がトランスジェンダーのパンセクシュアル。だから、マット!ぼけ!ビビんな!マットがすこしでも動いたら大きく変化するのに!って思って見ていたけれど、それは僕が自分のセクシュアリティを自覚しているからの立場なんだろうな、って見終わって気づいた。
キスはするのに下着を拒む、理性と感情のあいだでグラグラ揺れるもの。そういう「本人ですら知らないセクシュアルアイデンティティ」。でもセクシュアルアイデンティティってなんなんだろう?とも思った。
好きな人を好きだから好き、とシンプルに思えたらいいのに、いろんなことが立ちはだかるがゆえに、自分の感情「だけ」に従うわけにはいかないのが、すこし悲しさすらあった。そういう意味ではとても悲しくて切なくて、だからこそ「じれったい」、「子どもじみた」恋だった。
マックスもマットもほんのり自覚はしていたけれどあえて無視していたものに、火をつけられてしまったんだろうなぁ。マックスはなんか……「きみがきてくれるなら拒まない」という、受け身だけれど強い気持ちがあるように感じた。あの嵐の夜のシーンで。だからトリガーはきっとマットにあった。
本人ですらコントロールできないような感情、あるいは本人ですら「これがなんなのか」わからない胸の痛み、それをある程度の年齢や地位になってから手にしたらそりゃ驚くしもてあます。
推薦状を最後まで渡さなかったのは、「行ってほしくなかった」からなのか、「ギリギリまで会う口実ができる」からなのか、マットもよくわかってなかったのかなぁ。
あのラストシーン、なんだよ、来たのかよ!って思いつつ、その後の彼らがあまりにも気になる。どうするんだろう。
「どうなるんだろう」ではなくて、「どうするんだろう」、と思う。あのあと彼らがどうするのか。あそこまできたら流れに身を任せて「どうにかなる」嵐の夜の二の舞ではなく、自分たちで選べるでしょう。自分たちがどうするのか選べるはず。どうするんだろう。マットの立場とフィアンセ、マックスの渡航。いちばん「欲しい」のはなんなのか、それがわかれば障壁も対応も見えてくるけれど、「欲しい」という本能にどこまで彼らは従えるんだろう。
続きを求めるのは野暮だけれど、気になるよね……。
これは野暮な予想だけれど、なんだかんだ、出発日を遅らせる話が本当になって、ふたりでホテルかどこかで最初で最後の恋愛関係を楽しんだあと、もうマックスは二度と帰ってこなかったんじゃないかなって気がする。マットは最後は必死に笑って送り出す。爽やかに。爽やかってすごく切ない。
君がいなくなるのは奇妙だ
今更ながらドランの虜になりそうです...
「君の名前で僕を呼んで」が大好きで、ドランがこれを見て感銘を受けて作った作品と聞いてずっと楽しみにしていました。「君の名前で僕を呼んで」とは全く違うが通じる新たな傑作でした。
全編通して非常にリアルな作品でした。特にマティアス達、幼なじみの集まりはリアルというかもはやドキュメンタリー?と思うくらいにみんなの会話や表情が自然。一人一人の心情のアップダウンを、鼓動が聞こえるようなリズムのカメラワークで撮っていて、ハラハラしながら見ていました。(特にゲームのシーン)そしてマティアスとマキシムの心の揺れは、細かな表情や長すぎじゃない?!と思うくらい丁寧な間によって、痛いほど伝わってきました。だからこそ雨と切れかけの電球の音の中、部屋へ進むマティアスのシーンは印象的でした。慌てて洗濯物を取り込むみんなとすりガラスの向こうで愛を確かめる2人の対比は、素敵すぎました...
そしてなんといってもラストが好きです。この作品はラブストーリーというより人間愛だと思います。だからこそ最後の電話で知る真実は、男同士の恋愛とか友情を超えた愛とか、そういう軽いラブストーリーじゃなくて、このあとくっつくとかくっつかないとかどうでも良くて、もっと深いものなんだと思い知らされました。
胸が苦しくなる
ことあるごとに反芻
思いがけない自分
とてもBL的なので見る人を選ぶかも
真面目で友達から言葉警察と言われているマティアスと複雑な家庭で育ち無口なマキシムは幼なじみ。自主映画の撮影でキスした事からマティアスは自分の中に複雑な感情が芽生えるが…
みんなが待ってたグザヴェエ・ドラン監督の最新作。
とてもいいBLだなぁと思いながら気づいた。
そもそもドラン監督の映画は少女漫画的ではないかと。
少女漫画は人間関係(恋愛、友情、親子)からくる感情を描く事が多い、少女漫画ではその心象風景が絵で表現されよりわかりやすく頭に入ってくる。
ドラン監督作品も人間関係の行き違いを描く事がほとんどで、心象風景がそのまま画面に美しく展開する、誇張されたそのシーンはアーティスティックにも見えるけれど、漫画的でもある。
少女漫画に影響を受けているそぶりが無いのでそれが作家性だと思うけれど、少女漫画好き、BL好きとしては嬉しいかぎり。
友達とピアノ
優しい余韻
終始、灰色の映画。音楽なら短調。
純粋に愛
目が口ほどにものをいう というのはこのことだ。 切ないという言葉は...
目が口ほどにものをいう というのはこのことだ。
切ないという言葉は綺麗すぎてあてはまらない。ささくれのようにチクチクと痛い。
恋愛だとか友情だとか、そんな感情を区切ってしまう言葉なんて使いたくない。
ただ、絆と愛情がみれたと思う。
友人でも恋人でも親でも、人を想うことに素直になれたら、ぼくらはどれほど幸せなのだろう。
世間の目や立場なんて取っ払って、ひとりの人間と人間で向き合えたら。
青春と純愛をこうも巧く混ぜながらも切り離して描き出せるドランはすごい。
ねっとりとしていているので苦手な人もいるだろうけど、同性愛の映画と思わずに、すべてを恋愛に繋げずに、ボーダーレスな“愛”の話だと思って観てほしい。
ときどき出てくるホームビデオのような撮り方がかなーり好きだった。映像演出がとっても上手くて、魅せる撮り方をするドランがぼくは好きです。
あとフランク。あいつずるいよ。むちゃくちゃかっけえもん。
じわじわ来る名作✨ 「え?何これ…」と芽生えた恋心に向き合えず翻弄...
ふとしたきっかけで、何年も何年も隠していた想いが溢れることだってあ...
キスシーンのための映画
湖や食事シーン、ピアノの音、離れてしまう彼
ドラン版"君の名前で僕を呼んで"
ストーリーはその映画をドランさんの脳に通したら
こうなるというような感じ。
マティアスの悶々とした姿にはわらけてくる。
中盤〜終盤のキスシーン
あれが1番撮りたかったのではないかと
思われるほどの美しさだった。
とても官能的。
…気づいたら手を合わせて見ていた。
煙たがられていた友達の妹の台詞が
この映画の真髄なのかな?
主人公達の周りの人達の台詞を噛み砕きたくなる。
作家性
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