ダブル・サスペクツのレビュー・感想・評価
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みんなビンボが悪いんじゃ
この監督なら娯楽映画じゃないよな、と心して視聴。刑事ものというより、意外に深い味わいの人間ドラマ。ロシュディ・ゼムの人情派署長がいい味を出している。神の助けを求める若手刑事の存在もアクセント。音楽も控えめだが効果的。監督の生まれ育った町の現実を描いているらしいが、それだけにリアル。貧困と犯罪の街で、ひたすら嘘をつき続ける若者たちがいる。みんなビンボが悪いんじゃ。
ある老女の他殺が発見され、事件を解決する流れを 警察官目線での犯罪捜査の様子を描いた作品。
この映画は、事実を基に作成されたみたいだけど、
フランスの取り調べの様子なんか、
虚偽の誘導尋問で供述を引き出していて、
なんかそれって大丈夫って感じだった。
不思議なのは、犯人が共犯だった場合
裁判に持っていく前に供述を本人達に相違点を話し合わせ、
2人に確認して書き直していました。
どちらの力関係が強ければ、
弱い方は裁判の前に供述を変えられ本当に正しい証言なのか?
疑わしいなぁと思う。
国によって司法制度も違うだろうし、色々と考えさせられた。
詳細はこちらにあります。
https://www.wowow.co.jp/detail/116667
地味だけど現実的
レア・セドゥが出てるけど、彼女のモデルとしてのきらびやかさや、スタイリッシュさは出てこない。フランスの貧民街で生きる、移民の警察署長と配属された新米刑事、そこで暮らす貧しい犯罪者達を描く。犯罪も手の込んだ複雑な殺人事件でもない。映画にするようなエンターテインメントさも描いていないが、自白を迫る刑事たち、最初は互いに白を切る犯罪者が、次第に相棒のせいにする様になる心理描写がうまい。
必見。人は言葉や記憶により、真実を構築していく存在。
必見。ストーリーは他レビューを参照。これは気にいられにくく、褒められにくい映画だ。なぜなら、これまでの既知のストーリーの楽しみ方では本質が見えてこない作品だからだ。
そんなわけで、プロットからはこの作品を魅力的に説明しがたいが、しかし映画を「見る」ことに徹してきたまなざしには、この作品は、片時もスクリーンから目が離せない。だから、これまで映画を「見て」きたあなたには特にお勧めしたい。
後半、突如、重要人物となるクロード(レア・セドゥ)、マリー(サラ・フォレスティエ)の2人は、しかし何回泣いただろう。保身、不安、恐怖、同情の誘発、現在の我が身のみじめさ……。2人のあの涙の意味の多様さ。実際、人が涙を流すときには,およそこのように複数の意味があることが多いはずだ。泣いている本人すら、それら感情の総てを整理できているわけではない状態。だからこそ人は感情がせきあふれ、あとからあとから沸き上がる涙にまかせ泣いてしまうのだ。
以降、この論考では、この作品の魅力の一部を明らかにするため、映画の後半のみに言及する。しかしだからといって前半に特筆すべきものがないという意味ではない。
通常、劇作で珍重される涙とは、相反する2つの感情が同時に生きられる瞬間である。例えば、生き別れになっていたあの人と再会し、嬉しくて仕方ない時に歓喜に叫びながら流す涙。例えば、人生で一番落ち込んでいる時に、もれ聞こえた親友二人のマヌケな会話に笑ってしまって、なんだか知らない涙があふれてくる時。そんなシーンを演出するため、演出家は、涙を演出する場面に登場人物の2つの感情を探し求める。
しかし、である。現実に人が涙を流すとき、しかもそれが警察に自分の行動を疑われたような局面では、自分がなぜ泣いているかも判らない状況におかれるようなことは誰しも想像がつくだろう。レア・セドゥ、サラ・フォレスティエが流す涙は、そんな涙だ。
デプレシャンの演技者に対する信頼と、演出に対する自信が生み出したいつくものそんな名場面。プロの役者、本気で役者を目指す人には、とにもかくにも『ルーベ、嘆きの光』は見ることをお勧めしたい。本当にそんな人物が存在するかのような圧倒的なリアリティで、群像劇のひとりひとりが存在する。
が、しかし、『ルーベ、嘆きの光』は、それだけの映画かというとそうではない。
端的に言うと、この作品が語ることは、「真実」などどこにも存在しないということなのだ。
ところで、われわれの既知のプロットにこんなのがある。「人物や立場により、真実は無数にある」というもの。昔もいまも繰り返しつくられる物語だ。
だが、この作品のように、「真実などどこにも存在しない」というプロットは相当に珍しいのではないか。少なくとも私は他で見たことがない。
デプレシャンの旧作『キングス&クイーン』では、前半、感じの良かったノラ(エマニュエル・ドゥヴォス)が、後半、総てを自分の思い通りに人生を運ぼうとすることを理解したり、前半、頭がイカれていると思われたイスマエル(マチュー・アマルリック)が、後半、彼なりの愛情や絆を大切にする憎めない男であることを知ることになるだろう。また、ノラが訴える「最初の夫の自殺」の真実が明かされる。ノラの父も意外な関わり方をしただろう。この時のデプレシャンは、言われたことと「真実」の間のズレを見せ、世の中は、いくつもの「真実」が隠蔽されたまま進んでいくことを表現した。
【ここからややネタバレ】
『ルーベ、嘆きの光』では、「真実」が別の「真実」につくりかえられていく様を見ることができる。事情聴取で見えていた、クロードとマリーの証言の食い違いは、クロードに圧倒的に不利な状況を生み出した。しかし、現場での実況見分で、クロードの強さ、美しさ、まなざしにより、ある意味で精神的に支配されていくマリーがする証言は、クロードの誘導通りになっていく。クロードの言葉と態度により、マリーの記憶の中の「真実」がどんどん造り替えられていく。
ああ、なるほどと思った。人は言葉や記憶により、真実を構築していく存在なのだ。真実は立場の違いにより、いくつかあるという簡単なものではなく、人と人のコミュニケーションにより、別の真実へと上書きされていくものなのだ。
そのスリリングな劇作は「見れ」ばわかる。しかし台詞だけを追っている者は、この映画のいちばんのスリリングな見せ場を見逃すことになるだろう。
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本作品は、Red Monstro 6K というカメラ、 Primo 70 Panavision Opticalsというレンズで撮られたデジタルシネマだ。しかし冒頭タイトルから、フィルムのパーフォレーション送りのカタカタズレがデジタル処理で加えられている。フィルムへの郷愁ということだけではないだろう。
何かデジタルでは得られない、世界への誘いの力をフィルムの特性に求めた結果だと思う。
良い映画だとは思いますが、鑑賞する人は選ぶかも。
放火事件と殺人事件を捜査する警察署長を描く物語。
警察映画ではありますが、推理でもアクションでもありません。移民ではある主人公の心情。そして犯人達の境遇や人間関係が淡々と描かれています。特にラストにかけての犯人達の描き方は、秀逸でした。
地味ですし、残念ながら面白みに欠けますし、カタルシスを感じることも出来ません。なので、私的評価はやや低めです。
しかし、フランスの底辺をシビアに描いた完成度の高い映画のようには感じました。
女優2人の存在感!
フランス🇫🇷北部の街ルーベの警察署長ダウード。その街で起きた放火事件の目撃者であり殺人事件の通報者である2人の女性クロードとマリ。結局この2人が犯人。
主役は署長ダウード。職務も真面目にこなし、部下の面倒見も良く、温厚な人柄。私生活も服役中の甥がいたり、馬主であるとか丁寧に描かれている。
でもそれに負けないくらいにクロードとマリの存在感が凄い!レア・セドゥ(クロード)とサラ・フォレスティエ(マリー)
貧困層の設定で、生活に疲れた感じが表情からも、身体中から滲み出ていた。取り調べ中、相手を庇いたい、自分を守りたい、嘘と小出しにする真実、、、だんだんと追い込まれていく様子がお見事!
ストーリーよりも2人の存在感が記憶に残るだろう映画。
タイトルなし
ベルギー国境に近いフランス北部
中産階級は姿を消し街は破綻
75%は問題区域に指定
人口の45%が貧困に苦しむ街ルーベ
あらゆる人種が集まり
産業で栄えたことなど誰も知らない
残ったのは貧困と衰退の記憶…
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そんな街で起きる犯罪に向かう警察と
老女殺害の容疑者
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犯罪・善悪より
救いが見えないその背景
貧困がもたらす闇が重たく
それが現実であることを思い知らされる
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