「年端も行かない“子供“が洗脳される、イスラム世界」その手に触れるまで 琥珀糖さんの映画レビュー(感想・評価)
年端も行かない“子供“が洗脳される、イスラム世界
2019年(ベルギー/フランス)監督ダルデンヌ兄弟。カンヌ国際映画祭・監督賞受賞。
邦題の『その手に触れるまで』だと、和解したように感じますが、
原題はただの『若いアメッド』・・・少年の名前だけなのです。
1ヶ月前は「普通のゲーム好きの子供だったのに・・・」と、アメッドの母親が嘆きます。
急にコーランにハマり「導師」の言う・・・担任のイネス先生は「背教者」だから殺しても良い・・・
その言葉を、真っ直ぐ受け止めて、先生のアパートに向かう。
隠し持ったナイフでを振りかざし突進するものの、先生は身を避けて、
結果未遂に終わる。
アメッドはイネス先生の告発で、少年院に入れられてしまうのです。
いかにも真面目で潔癖症で融通の効かないアメッド。
少年院では仕事を終えた後・・・金属探知機をかざしてイチイチ身体検査をする。
そのシーンが迫る。
大人たちは少年たちをまったく信用していないのだ。
《凶器を隠し持ち、突然振りかざして来る》・・・そんな存在。
《ベルギーのブリュッセルはヨーロッパのテロリズムの交差点と化している》
2015年のパリ同時多発テロ事件の実行犯もブリュッセルを拠点にしていたと記憶に新しい。
それにしても洗脳とも言えるアメッドの「イスラム教とジハードへの傾倒」
これを解くことは可能なのだろうか?
「イレネ先生に面会すること・・・」
普通は謝罪かと思います。
所が、アメッドは凶器を隠し持つのです。
歯ブラシの持ち手を削って尖らせて、靴の中に隠している。
面会で何をしようとしているのだ。
更生プログラムの一貫で「酪農家での労働作業」をするアメッド。
牧場主の娘にキスを迫られ、「自分は罪を犯した、汚れた」と混乱してしまう。
脱走して向かうのもイネス先生の学校。
またしても尖った長いクギをポケットに忍ばせるアメッド。
「なんなの?あんた、まだ殺る気なの?」と、思う。
塀を苦労してよじ登り、結果、落下して身動きもとれない・・・ここで激しい痛みにアメッドは、はじめて《他者の痛み》を《自分の痛み》として捉えたのだと思う!!
ラスト、アメッドは子供に還ったのだと思う。
痛みで我に還る・・・。
年端も行かない子供が「コーラン」を学ぶ。
危険なことだと思う。
「ジハードを教えられる」
ジハードで殺されたイトコの写真には後光が差すように加工されている。
「ジハードの死は、死んだのではない、生きている」と説く導師。
日常的な些細な出来事として、
さり気なく見せられて、その根深いイスラム思想に震撼としてしまった。
閉ざされた人々が、広い視野を持つことは可能なのだろうか?