パラサイト 半地下の家族のレビュー・感想・評価
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喜怒哀楽すべてが詰まっている作品
序盤のコメディ色から最後のシーンまで全く予想つかないストーリーで、主人公一家と社長一家を対比しながらの社会格差の描き方が見事だった。ヤバいヤバい!と思ってしまうシーンのハラハラ感は観物。また、主人公一家の心境の変化も面白い名作だった。
人は何かに「寄生」して生きている
映画の冒頭オープニングで奏でられる音楽が儚くも美しい 。
左手が主旋律を奏でるという珍しいテーマが印象的だが これは「半地下」の人々の存在を表しているように感じる 。
中間部の音は不安定であり安定している2つの音もしくは和音で構成され 、その上部にはキラキラと輝く 、低音(半地下)から手の届かない程遠い高音を富裕層の人々として表しているように聴こえる 。
音楽一つとってもこの半地下に住む貧困層と富裕層の対比が美しくされているようだ 。
画面越しに匂いそうなほど生活感のある半地下
幾つにも坂を登り 階段を駆け上がり 曲がりくねった道の先に見える美しく隙がない家
上から見下ろすカメラワークや
下から見上げるカメラワーク
この2つの対比を挙げるとキリがないほど 。
「パラサイト 寄生」その意味を表すように 、人は何かに寄生して生きている 。
それは金かもしれない
家族かもしれない
恋人かもしれない
称賛かもしれない
地位かもしれない
人によってその寄生先は違えど 、
人間はその寄生主から生きるエネルギーを吸収して生きている 。
僕らは凍った池に立っている
信頼で成り立ってる社会なんて
一定以上の経済力がある界隈だけということ
を強く印象づけられた。
常識は冬の池に張った薄氷のように
それを意識しないとどんなものに巻き込まれるか
わからない。そんな不安を煽るのがうますぎる脚本。
前半がコメディ調だと思って油断したら
落差で死ねる作品。すごいものを見た。
”アゲ”過ぎ。格差映画ではなく公開後の評価が問題?
ほぼ想定内の展開で退屈だった。
なぜ? という行動ばかりで、まぁ、韓国だからそうなのかと言い聞かせながら見ていた。
アカデミー賞とるほど評価されるのは、なぜ?
評価高すぎる。
ステマは、かの国の特技ですもんね。
格差を表現した映画なんだけど、そのマーケティング手法は韓国の特技そのもの。ロビー活動も激しかったのでしょう
人間の愚かさを笑い飛ばす
鑑賞した翌日がアカデミー賞の発表だった。まさかという結果に少し驚いている。
同じカンヌ国際映画祭のパルムドールを受賞したことで「万引き家族」と比較されるが、本作品では社会的な格差がより強調されていたと思う。ハイライトシーンは父親と息子と娘の3人が高台の高級住宅街から家まで、土砂降りの雨の中を徒歩で帰るところだと思う。下町の自宅までは沢山の坂を降り沢山の階段を降りなければならない。住居の高さの差はそのまま貧富の差に等しい。韓国の社会全体の有り様を象徴するかのような名シーンであった。
実は日本でも同じで、金持ちは山の手に住み、庶民は下町に暮らす。津波が来ても台風が来ても、高台の高級住宅は無事で、浸水の被害に合うのはいつも下町だ。小金を稼いでやっと山の手の新興住宅地に家を買ったと思ったら、土砂崩れで家ごと落下してしまう。
あるいは福島と東京の関係である。原発は福島の沿岸部にあり、その危険性は地元の人々が引き受け、電力の恩恵は遠く送電線で送られる東京都民が享受する。40年前に一時金を手にしたのは既に鬼籍に入ってしまった爺ちゃん婆ちゃんだ。遺産は危険だけである。
昨年秋の台風を思い出した。多摩川が氾濫して武蔵小杉の高級住宅が浸水した。もともと多摩川の標高が7メートル、武蔵小杉駅の標高が5メートルだから、危ないのは解っていた。それでも小杉に高層マンションを建てて、人気の住宅地として売りさばき、大金を稼いだ。買ったのは金持ちではなく、小金持ちだ。潤沢とは言えない家計からローンの支出をひねり出している庶民なのである。
高級住宅が浸水したことをザマアミロとSNSで嘲笑ったのも庶民なら、それをSNSでたしなめたのも庶民だ。実は金持ちが被害を受けたのではなく、庶民のうちの小金持ちが被害に遭ったのが本当なのである。SNSのやり取りは目くそ鼻くそに等しい。本当の金持ちは家が浸水したくらいではびくともしない。他に住むところがたくさんあるからだ。一生懸命に泥水を掻き出しているのは、金持ちではない、庶民なのだ。
それにしても本作品の主人公の住居は極端である。半地下の住居はなにせ下水が床に近いから、トイレは高い場所に設置しなければならない。それでも大雨が降ると下水混じりの水に浸ってしまう。衛生環境は最悪と言っていい。長生きはしないだろう。にもかかわらずキム一家が笑いながら生きるのは、明日の不安が強すぎて、もはや感覚が麻痺しているために違いない。加えて、同じような状況にある人が周囲にたくさんいるということだ。自分ひとりが酷い目に遭っていることには耐えられないが、沢山の人が同じような状況にあるとき、何故か人間は過酷な状況に耐えられる。
本作品では臭い(ニオイ)がひとつのポイントとなっている。嗅覚は視覚や聴覚と比べて原始的な感覚である。臭い(ニオイ)は顕在意識ではなく潜在意識に直接作用する。本能と言ってもいい。食べ物の臭い(ニオイ)、フェロモン、香水は、食欲や性欲を想像力を介することなく直接刺激するのである。チビ、デブ、ハゲなどと言われるのは見た目に対する愚弄だが、臭い(クサイ)と言われるのは人格そのものを否定されることに近い。日本のテレビコマーシャルではデオドラントの商品が次々に紹介される。他人から臭い(クサイ)と言われないためである。
山の手の高級住宅に住む人の臭い(ニオイ)と、下町の地下や半地下に住む庶民の臭い(ニオイ)はおのずから違うだろう。臭い(ニオイ)は衣服や住居あるいはその土地に充満している。食べ物をはじめとする生活習慣を変えた上で、何年も経過しなければ人の臭い(ニオイ)は変えられないかもしれない。歯医者にも長いこと通う必要があるだろう。
しかしそんなふうに生活を変えるのは無理である。だから格差は固定され、臭い(ニオイ)も固定される。そして臭い(ニオイ)によって差別される。温厚なキム氏にとっても臭い(クサイ)と言われるのは耐え難い屈辱であったことは間違いない。
格差が生じるのは向上心の差だと言う人がいる。それは正しいかもしれないが、格差が貧富の差であり保有財産の差であるとするなら、向上心とは金に対する執着に等しい。他人よりも沢山の金を稼ぐことが人生の目的である人が金持ちになる。競争原理の世の中で、ひたすら他人を蹴落として勝ち組に入ることに熱意を燃やす人々である。もともと勝ち組などという意味不明の言葉を作ったのもこういう人々だ。愛だの恋だのは庶民の暇つぶしでしかない。キム氏が愛を口にするのに対し、金持ちの主人は愛を鼻で笑う。そもそも生きる動機が異なるのだ。ひたすら自分と家族のことだけを考える奥様は、妹ギジョンの考え方さえ変えてしまう。他人のことなどどうでもいい、自分たちの幸せだけを追求すれば、こんなふうに金持ちになるかもしれない。
本作品は格差社会の現実を、ある意味で斜に構えながら描いてみせる。そして人間が生きる意味を問う。人は優しさを捨てなければ金持ちになれない。愛は優しさに裏打ちされるものだから、金持ちには愛はない。聖書には上着を盗ろうとする者には下着も与えよと書かれている(マタイによる福音書、ルカによる福音書)。それが優しさだ。そして奪う者は誰か。つまりはそれが金持ちである。愛か、金か。人は優しさをどこに捨ててきたのか。様々なテーマを投げかけつつも、人間の愚かさを笑い飛ばしてみせる、スケールの大きな作品である。アカデミー賞4部門、おめでとうございます。
パラサイト集来!
カンヌ国際映画祭のパルムドールを受賞した事で知った作品です。ですが、私はカンヌ映画はあまり合わないのでdvd鑑賞に見送ろうと考えていました。しかし、なんと今作がアカデミー賞の作品賞を受賞してしまったのです!アカデミー賞となれば話は別です。急いでアカデミー賞受賞の翌日に劇場に足を運びました。
感想
見終わった第一印象はカンヌとアカデミーの中間的作風だなーという感じでした。具体的には、カンヌ的な王道とは外れた特有の世界観とアカデミー賞的なシンプルだけど強いメッセージ性を秘めた作風って感じです。
これほどまでにエンタメに振り切った作品も久しぶりに観て楽しく観させていただきました。特に中盤からの展開は予想できるわけもなく、終始ついていくのに必死で圧倒されました。演者の演技もかなり研ぎ澄まされていて、かなりリアルだったと思います。予想以上に楽しめて満足です。
総評
流石のハイクオリティ。観ている人の心を鷲掴みにする事間違いなしの傑作。出来るだけネタバレなしで観ることをオススメします。コメディチック作品なのでお気軽にどうぞ!ただ、終盤は激変するのでその覚悟はお持ちでお願いします。また、今作はPG12になっているのでそれ相応の描写もあるのでその辺りも確認しておくことをオススメします。
それでは、より良い住宅見学になることを期待して今回のレビューを終わらせていただきます。
やはり韓国映画一気に見せる強さはある
アカデミー賞効果で
いつも空いている映画館が満席。
最近のアカデミー作品は
ちょっと眠気にやられてしまったりしたが、
ポン・ジュノだけに飽きずに終わった。
もしやの予想より強めのラスト
好みは別れるかもながら
132分を感じさせないだけで
十分見る価値ありかなと
臭いかな
独特な臭いする人いるからね。最期は臭いかな?
確かに子供は幽霊にはトラウマになるかもね!
天井は聞いたことあるけど地下のが住み心地いいかもね!トイレ完備!優良物件てか!やかましいわ!面白かった〜
水の流れが
貧富の格差と重なっている。
半地下って韓国だけじゃなく、ロシアや中国にもある建築形態。北京でも貧しい人は相部屋(かっこよく言えばシェア)で住んでいた。
金持ちが偉いわけではないし、幸せなわけでもない。
たくましく生きる彼らって、この後ももっと見ていたい気持ちにさせられた。
万引き家族にも似た匂いを嗅いだのは、私だけでしょうか?
オスカー作品賞、か?
以前から観たい映画ではありましたが
いつも行くイオンシネマでやっておらず、
しかし昨日オスカー作品賞を受賞したと聞いて
別館に足を伸ばしました。流石に満席でした。
序盤、まさに寄生虫のように社長邸を
乗っ取っていく有様がコミカルで楽しく
中盤から後半にかけて以外な展開と描写が
飽きさせることなく映画を楽しめました。
でもこれなら万引き家族の方が良かったなぁ。
作品賞を取るだけの深みは、私には感じられなかった。
私の理解力が浅いのかな。いつかもう一度
観たいと思います(その時は自分の評価が
変わることを期待して)
激しく鋭い視点
「万引き家族」を連想するけど、国民性の違いなのか、良くも悪くも日本製になると温温するのかなあ、この映画の激しさインパクトの強さは遥かに「万引き家族」を上回ったね。心臓がドキドキした、情け容赦ない感情のうねりが随所に表れていた
ドロップアウトした人が逆上したという話
まずは、アカデミー賞おめでとうございます。
どこを見ても賛辞の嵐。批判的コメントが一切ありません。
しかしながら、私は見終わったあとで、何かがどうしても引っかかっている。
「貧乏人のふんばり映画」が好きだ。
スラムドッグ・ミリオネアは本当に良かった。
すさまじく貧しく逆風の境遇。
宗教対立で家族を失い、人買いにさらわれ、友は目をつぶされ物乞いとなり、兄はやくざ、恋人は情婦寸前、力も何もないお茶くみの青年が奮闘努力する姿は、涙なしには見られない。
今回はなぜ感動できなかったのか。
まず、登場人物に感情移入できなかった。
ひとつには、上昇志向の欠如。
環境が悪いなら、そこを出よう。
金を稼ぐ手段を描いているのに、その使い道を明確にしなかったのは、片手落ちだと思う。
お金は使ってこそ、得るものがあるのであって、目的もなく金を稼ぐ守銭奴の詐欺師みたいになってしまった。
「こんな家に住めたらなぁ」というのが漠然とし過ぎてしまったのが残念だ。
ショファーにふさわしい服や香水(デオドラント)を買えば、もしかしたらあれはなかったかも知れない。
そんな、接客業として当たり前のことを、なぜしなかったのか(しようともしなかったのか)。
結果、単なる逆上逆恨みになってしまったじゃないか。
貧民差別が動機、という意図があったかも知れないが、サラリーマン歴34年の私にとって、「そんな事は世の中普通にある事」と言っておこう。
あるいはもっと酷いパワハラ上司であっても、余裕でスルーできる力こそ必要であって、殺しの動機ところか、映画のテーマにする程の事ではない。
シェルター暮らしは、アメリカ映画で何度か見たので、あまりインパクトがなかった。
嘘のつき方も下手、詐欺に感心する手口も見られないから犯罪映画としても、なんだかなぁ、だ。
「貧乏は英雄のルツボである」とユゴーは言った。(レミゼラブル)
貧乏を原動力にする意志、これこそが映画に欠ける事だ。
家族にとって、金持ちになる事は幻想であり、とてもその幻想が叶うとは思えないし、その意志もなさそうだ。
そこに不満こそあり、感動はないし、怒りもない。
全体的には面白いが、最後の残虐な場面には、必然性はない
全体的には面白い映画だが、最後の残虐な場面は、この映画に必要なのだろうか?コメディーに徹したほうがもっと良かったと思う。または、何か、シニカルな終わり方とか。
韓国映画は、どうも、残虐な場面が多い。これでは、R15指定になってしまう。
不快な表現がない
金持ちなのに嫌味がないキャラたちで
不快な気持ちにならなかった
それと貧困をテーマにしてるから
誰かが誰かを犠牲にしたりする
表現があるかと思ったのに
家族の絆がとても深くて
互いが思い合ってる表現がとてもよかった
軽妙鋭くダイナミックで重層的
あっという間でした。
縦を活かしたカメラワークを始め繊細なカット割、構成、設定など緻密に設計されつつダイナミックさもあり、洒落が効きまくっている現代的な交響曲のような作品。
"ちょっとしたこと"の積み重ねの恐ろしさも味わわせてくれてゴクリギクリ。
アカデミー監督賞を受賞した際の、監督のスピーチも素晴らしかった。
いわゆる"富裕層"と自覚する人たちは、この映画にどの様な感想を得るのだろう。
かつて狭いワンルームの地上に暮らし広い家を夢見た自身、世界は思ったよりも狭くて深いのかも知れないと思わされた。
脱帽。
ミニョクの石が持つ本質
「計画を立てると
人生その通りにはいかない」
寝転がり頭上を見つめて息子に言い聞かせる父親の表情は後悔不安恐怖、期待する少しばかりの希望が現実味なく貼り付いていた。
例えば半地下家族の長女ギジョンが八百屋から桃を一つくすねて華麗にその場を後にする姿。桃の産毛はアーティスティックで、香りを嗅ぐギジョンの白い肌と茶色い髪の毛が陽の光を浴びてふんわりとしたフォルムを生み出し、後ろ姿は光の中へと消えてゆく。
窓の外に見える地上で立小便をする酔っ払いを追い出すギウが放つ水しぶきはスローな躍動感で、コバルトブルーの海を臨む砂浜に寝転んだ時に水面で水かけ遊びをする者の立てる水しぶきのようなキラキラとした美しさの描写のそれに似ている。
欲なのか防衛なのかもうわからない掴み合いの中にに見える愚かな幻影のような醜さ
そして流れる皮肉にも美しい音楽
美と悪、美と醜
紙一重の描写はリアリティに溢れている。
半地下の薄暗くジメジメとした
カビ臭さや生活臭で澱んだ空間に身を寄せながら生きる4人家族。
長のギテクの人柄だが、
それは気さくでユーモアもあり、
また頼れる父親という印象だ。
母親の気迫に押され気味だが、
妻を思い、子を思う。
家庭教師の後任のための面接に行くためにスーツ姿で決めた息子を呼び止め、
おまえを誇りに思う、と言う姿がとても優しくまた寛容で美しく見える。
困る家族のために常に「計画」を考える姿。
運転手食堂で、たくさん食えと息子に自分が取りに行った肉を嬉しそうに分け与える姿。
大雨の洪水の夜に、惨事に混乱する子を誘導し、早く帰って風呂に入るんだと諭す姿、
不器用ながらにも愛情を表現する姿が、
ブラックコメディながら心を揺さぶられる。
愛おしく、大きな父親だ。
それでいてあらゆる対策に順応できる柔軟さもある。
全ては長として家族を守りたいという気持ちからくるものだろうと映った。
母のチュンスクは気が強くしっかり者、賢さが際立つ。劇中の彼女の動きを追っていると要領の良さと動きの素早さが爽快に映る。
劇中にホーガン投げの写真とメダルが出てくるが、国体のホーガン投げの選手である。
長男のギテクの頭は冴えるが共存している幼さを兼ね添えた頼りなさが長女ギジョンの計算高さとシュールさを目立たせている。
物語の鍵を握るのはギウの友人ミニョクの祖父が贈り物として持ってきた「石」
ギウは時にそれを眺め
水の中に沈む石を拾い上げ大切に抱え
時にそれを抱きしめながら寝て
そして最終的な手段の道具として
それを用いようとする
本質を揶揄するような展開に
はっとするのである。
物語は先が読めない。
気づけば物語に入り込んでいる。
観客がたくさんいる映画館の中で、
誰一人として音を立てず、
誰一人の気配もしない。
いや、違うかもしれない。
少しの音や気配はあるが、
それに気づかなかったのかもしれない。
それくらい物語に入り込んでしまうのだ。
格差社会はどこにでもある。
ふとしかきっかけで見えた打破の扉は
希望という幻影をまとった絶望の始まりなのかもしれない。大事な家族を守るために踏み出す道の不確かさは加速を増した欲のせいで姿を現すことなく、共生することへの抵抗として正体を晒すことになる。
なんと愚かで、滑稽なことなのだろう。
しかし人は反芻し、後悔する動物だ。
だが逆を返せば、致し方ない。
生きる意欲と生き抜く力が携わる者であれば、変えることのできない現状を飲み込み、腹を据えて、地下の階段を駆け上がり、高台の芝生を踏み、寝転び、空気を思いきり吸うように「生」の喜びを再び噛み締めることができるのだろう。
寄生することなく
共生しながら自存するために。
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