パラサイト 半地下の家族のレビュー・感想・評価
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異文化過ぎて共感出来ない
前半のコミカルタッチな展開はテンポも良く楽しめた。後半からの急展開は、非現実的過ぎて全く入り込めなかった。
私は韓流作品をまともに見たのは初めてだが、偉大な賞を獲得したこの作品に大きな期待を寄せていただけに、設定や描写、表現に強烈な違和感だけが、見終わった後に残りました。
これらの感覚の原因は何なのか、後々良く考えてみるに、やはり最も近い隣国にして、最も相容れない価値観、道徳観、倫理観の国の人が作る作品故の、理解不能な異文化映像がもたらした作用なんだと思います。
期待しすぎないで鑑賞してみるのが○
アカデミー賞取って期待値が上がりすぎ、逆に損している感が。私はそこまで大衆的知名度が高くない段階で鑑賞したので素直に良くできた映画だと思いました。もっと面白い、奥が深い、ショッキングな、素晴らしい韓国映画はたくさんありますので韓国映画ファンからすると「良い映画だけど、アカデミー賞レベルかな?」という疑問はあるものの、今まで積み上げてきた評価がここで花開いた感じなのかと思います。前半と後半で雰囲気が変わり、前半のほのぼのとした笑いが後半は得意のグロテスクな笑いへ変わる感じ。俳優陣も豪華で構成はさすが。オススメ。
映画の底力
近年の日本映画は韓国映画の影響を受けている──と思う。
それが表明されたことはなく、表立った潮流をつくってもいないが、なんとなく──、時には瞭然と、そう思う。
影響を受けたのはノワール的空気感で、ここ数年のあいだにみるみる李相日風な映画が増えた。
底辺の暮らしやバイオレンスの描写にかつて日本映画が持っていなかった鬱蒼としたリアリティがある。
影響されたかどうかはともかくとしても、観る側としては、それらは韓国映画で知った空気なのだ。
それを知ってか知らずか、近年の韓国映画はノワール的空気感を抜け出し始めている──ように思える。
韓国らしい非情な空気感はあるけれど、ひとひねり入ってくる。
神と共に/ミッドナイトランナー/The Witch/悪女/バーニングなど、どこがそれだと具体的に指し示すことができるわけではないが、とても新しさを感じる韓国映画だった。ようするにブラッシュアップされていた。
かんがみると、新手や刷新の頻度や出現率は、日本映画界の何倍ものスピードがある。もちろんその速さは漠然とした感じにすぎないが、おそらく新陳代謝もはげしく起こっているはずである。
・・・いや、正直なところ、日本映画界に新手や刷新はない。スピード云々以前に、無風、ぜんぜん動いていない。
ちなみに日本映画界は昭和ポルノを出発点とした映画人が多くいたゆえんで、団鬼六風世界観が脈々と生き残っているのだが、韓国でそのテの美学が生き残れるとは思えない。日本は動員率とは無関係に、美学があるらしきクリエイターには甘い──と思う。
パラサイトも、ノワールの一歩先を感じる映画だった。
刃物をいったん研ぎ置いて、人物をすこし丸くして、方向性を明るめにして──なんとなく、そんな気配がある。ものすごく新しい。
ここに描かれている寄生と乗っ取りの方法は、謂わば常套手口で、似たようなことが現実にあるらしい。ところが、その噴飯な人々がたくみなキャラクタライズによって、もはやかわいい人々に見えてしまっている。
一般にドラマや映画に出てくる悪人は、いうなれば真っ直ぐな悪人であって、粗暴/非情/短気/冷酷/強引/二面性などの人格で表現されている。彼らはけっして、謙譲/自虐/道化/柔和/質素などの資質を持たない。もちろん外見も然るようになっている。
言うまでもないが、観るひとに対して悪人であることが解るようにする目的がある。わたしたちは、毎度同じような人物像から、善悪の配置を知る。
もし彼らが、いつもの人物像でなければ、それは妙味だ。
ばあいによっては、毎年おなじ忠臣蔵を見たい向きには、妙味があだになって──世の中には変わっていることが嫌いな観衆もいるゆえ──しまうが、それはクリエイターならば仕掛けていいところだ。
この詐欺一家は、一見、奇抜なキャラクタライズが為されているわけではない。ただし、もし意識的に彼らを顧みるなら、一人一人、類型におさまらない人物像が創られていることが解る。キテクもヨンキョも穏健な父母である。ギウは気弱な兄で、ギジョンは淑やかな妹である。そして全員が賢い。
ふつう、この配置なら、キテクは粗暴な親父だが恐妻で、ヨンキョはずぼらな鬼嫁で、ギウは頼れる切れ者な兄で、ギジョンは勝気な妹=ヒロイン──といった体ではなかろうか。
人物像を類型から外しているだけでも映画はじゅうぶんに新しい。
が、当然、類型から外しただけ、ではない。
格を押し上げているのは撮影でもある。
ごみごみと重なり合う半地下のかれらの住まいも、高級邸宅も、近接した表情もスタイリッシュな意匠がある。おそろしくVividな撮影だった。Columbus(2017)という映画を思わせた。
そして、汚穢まみれの底辺世界と整然とした上流世界が、きれいなコントラストを描いている。
このコントラストは、必然的に人物へつながっている。
美しい住居の金持ちであっても、人を見抜けないお人好し──に対して、半地下に住んでいても、人を丸め込む聡明がある。ただし、そんな単純なコントラストへドラマを落としている──わけではない。
映画はブラックコメディと括ってしまうと、笑えるところはすくない。やはり新しいノワールだと思う。なんて言うか、形容が難しく──新しいとしか言えない。総てが瞠目だった。これほど疑いの余地のない、相対のない、パルムドールはかつてなかったと思う。
共感し過ぎて悲しくなりました。
全地下と違うと思いたいが…
生まれた家柄が裕福か貧しいかで人が分けられるのではない
ただ、その生活に慣れてしまい当たり前だと思うと体に匂いが染みつきだすのではなかろうか
裕福な家柄であれば子供達もそのように育ち振る舞いそれが身についてゆく
そうでない家庭も同じこと
不運にも転落してしまい貧乏になる人もいれば頑張ってチャンスをモノにして上の生活を手に入れる人もいるでしょう
あまり多くはないでしょうけどね
前者と後者では価値観も考え方も言葉も何もかもが違う
ホントに分かり合える事はかなり稀でしょうね
生まれなのか運なのか努力なのか神が決めた事なのか
そんな事は分からない
一つだけ言えるのは(このセリフ、よく聞くけど一つかどうかは分からないよね)なので
気がついた事は(に言い換えて)先のことは分からない
計画しても仕方がないとは言いません が、無計画でもあまり良くはないんじゃないかな
未来のイメージくらいはあったほうがね
流されるのではなく、出来るだけ自分の頭で考る事が大切じゃないのかな
結果が同じでも意味が違うでしょ
最初はコレでアカデミー取ったの〜と不安になったけど深い映画でした万引き家族くらいにね
でわでわ
これでもかと攻める展開
吠える観覧者は
2020年最高の映画、決定!
韓国らしいドブ臭い映画
韓国映画で評価が高い映画を見ると皆ドブ臭く、下品で暗くて貧乏で哀れな人ばかり。
こんな国に産まれなくて良かったと切に思う。
俺には合わない。
日本の表現者(笑)には刺激的なんだろう。
何故韓国映画ってこんなにうんこみたいな臭いまで感じるのだろう。話題になる映画がうんこやゴミにまみれた映画ばかりで正直うんざり。
韓国人をうんこやゴミまみれにしたいがためにこう言う映画ばかり持ちあげているとすら感じる。
テーマは社会的だけれど、エンタメ映画として普通に面白かった。
これぞ韓国映画!
韓国映画独特の生々しさが素晴らしい。
俳優たちのクオリティの高い演技にのめり込んで没入して見れる映画。
人物描写がえげつなく素晴らしくて、ストーリーあっての相乗効果なんだろうけど、監督の撮り方が上手いのかな?人物の作り込みの深さを感じた。
そして今までの知ってる映画は、幾つかの山場が波のように来てクライマックスを迎えるっていうのが通常だけれど、この映画は上映時間も長いのにもう終わっちゃうの⁇ってくらいに、まだまだ見たくなる映画であって、山場がとにかく長い長い。
息が切れそうで呼吸出来なくなるような切迫した時間がとにかく長くて楽しめる!
かなり中毒性の高い映画で本能的に嫌悪してしまうような描写だったり、人の嫌なとこをこれでもかと見せつけられるんだけど、そのクセがクセになってさらに深みにハマって見てしまう。
あぁ〜面白かった
今日劇場で見たんだけどまた見たくなるなぁ。
明日会社で面白かったとみんなに布教活動したくなるような映画で、頭の中で何度も反芻してしまうトラウマ系良作映画。
敗北の喜劇
一昨年の「万引き家族」に続いて、カンヌでパルムドールを受賞したのがこの作品。詳述すればきりがないのだが大雑把に論じれば、二つの作品に共通するものは、経済的に発展していると思われている国の貧困家庭を描いていることと、もう一つはその貧困が生み出す悲劇を、喜劇で表現しているということだろう。
こうした共通項を持つ作品が2回連続で最高賞を受賞したことは偶然ではあるまい。そして、どちらの作品も東アジアで加工製造業の輸出で経済発展を果たしてきた国で製作されたということも偶然ではない。経済がグローバル化と情報通信技術の発達により資本と技術の移動が容易くなった結果、20世紀に興隆した国の製造輸出産業はそのアドバンテージを失った。そのしわ寄せは当然のように、経済的に恵まれていない者たちへ向かう。
この作品に登場する一家の生活の底辺ぶりを、その住居の構造が端的に示している。彼らの家のトイレはその家の中で一番高い場所にある。しばらくはその位置関係を不思議に思う程度だったが、大雨によって浸水した半地下の家の中で、トイレだけがそれを免れている光景ではっとさせられるのだ。
噴水のように下水が吹き上げる便器。蓋をして、その上に腰を降ろして煙草を吸う娘。これほど人生の敗北感に満ちたカットを久しぶりに観た。この直後に一家の貧困から抜け出すための最後の戦いが始まる。そして、このカットはそのあがきが悪あがきに過ぎないものになることを予感させるのだ。
この観客の予感は、ラストの息子の父親への手紙の内容によって正しかったことが明かされるのだ。
事件の結末が凄惨なものであるにもかかわらず喜劇である。豪邸に住む社長一家も、ステレオタイプ化された嫌味な金持ちでもなく、貧しい人々をことさらに見下しているわけでもない、どちらかと言えば優しい人々である。その社長一家にとってはこの顛末は悲劇以外のなにものでもない。しかし、観客にとって喜劇に見えてしまうのは、一家の大黒柱を失うことになる直接の原因が、「匂い」であることだろう。社長と夫人は、この一家の父親の仕事ぶりは評価していた。だが、その「匂い」だけは頂けなかった。
この父親にとって、これが感情や理屈といった人間の諸問題ではなく、自分のことが生理的に受け入れられなかったのだという屈辱感を生み出すことになる。つまり、生物としての一番正直な部分で自分は拒否されたのだと。
結局、他人が何に対して屈辱を感じているのかについて我々は鈍感なのだ。自分に対する恨み、腹立ちという感情の部分に無頓着なのである。自分の感情が非合理であることに自覚的なのに、人の感情を合理性でしか想像しない。人間というものは、怒れる者のその怒りの理由に対する想像力が本源的に欠如しているのではないだろうか。
格差社会の何か問題なのか。格差があること自体が問題なのではない。(格差のない社会など存在しない。)一方が抱く憤りをもう一方が想像できないという断絶が、社会の存続を危うくしていることが問題なのである。そのことを示唆しているのが、ソン・ガンホに人を殺めさせたことではなかろうか。
よく作り込まれている
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