「喜劇か悲劇か、惨劇か」パラサイト 半地下の家族 加藤プリンさんの映画レビュー(感想・評価)
喜劇か悲劇か、惨劇か
映画としてのフィクションが過ぎるかのようで、妙なリアリティを感じて、思わず見入ってしまう。
半地下というのがミソで、いわばグレーゾーンから濃淡をつけた
白と黒の見事なコントラスト、見事な混沌ぷりを描いている。
その混ざり合ったグレーは、雨によって更に混ざり合い、混沌を深めたのち、
洗い流され、本来の姿を、くっきりと浮かび上がらせます。
ところで、この映画は喜劇ですか? 悲劇ですか? 惨劇に見えますか。
この映画は、非常に狡猾で素晴らしい、意地の悪い仕組みになっていて、
見る人それぞれの立ち位置により、評価や感想がガラリと変わる仕組みになっているのですね。
(まるで古くは、チェホフ「桜の園」のようですね)
一見コミカル調に描かれている前半戦ですら、パラサイトされる側に所属されているご家庭では
たまったもんじゃない、やめてくれと、被害者目線に感じるでしょうし、
痛快と見られた方は、実は自分自身の中にある、パラサイト側の目線を
嫌なほど思い知ることになります。笑っているうちに、映画の術中に嵌っているのです。
そして更に、地下に住む本当のパラサイト側の客層は、また違う、熱い、なにかがこみあげてくることでしょう。
後半戦は如何でしょうか。
あの惨劇は、痛快でしたか。それとも、見るも無残な凄惨な事件でしたか。
眼をそむけたくなるのは、何故でしょう。目を見開いて見入ってしまうのは、何故でしょう。
正解はありません。それぞれが、どのような感想を抱いたか。
それが答えとなっていて、ブーメランのように跳ね返って、深く、突き刺さります。
あの事件でいちばん興味深いのは、
憎しみは、自分にとって、近しい存在に抱かれるということですね。
近しさのない存在には「リスペクト」すら生まれるのです。(本物の尊敬か、自身により捏造されたものかはわかりませんが)
しかし、自分とそう変わらないじゃないかと思う存在には、憎しみが生まれるようです。
人間って面白いですよね。
尊敬も憎しみも、そして愛も、自分のなかの自尊心に由来するのですね。
青年はほんとうに、少女を愛していたのでしょうか。
あの父親は。あの母親は。ほんとうに互いを愛していたのでしょうか。
そしてそれらは、経済的、社会的な立ち位置とは、必ずしも、一致しないような気がしますね。
ラストで、自ら、地下に堕ちることを選んだ父親からは、いまはきっと、
世界のすべてが光り輝き、愛おしく見えることでしょう。
さて、、パラサイトしているのは、実は、あの家族ではありませんよね。
貴方の中にパラサイトしているものの正体は、、、貴方自身がいちばんご存じですよね。