「絶賛の中、“隠れイマイチ派”としての解釈」パラサイト 半地下の家族 ウシダトモユキ(無人島キネマ)さんの映画レビュー(感想・評価)
絶賛の中、“隠れイマイチ派”としての解釈
「前評判」というのも“良し悪し”ですよね。
「カンヌでパルムドール受賞!」ってことで観客動員が増えれば、それは良い影響でしょうけど、「韓国の格差社会を問うテーマ性」みたいな評を耳にすれば「なんか難しそうな話かな」と敬遠してしまう人もいるかもしれません。
で、その“良し悪し”で言うと、僕はこの『パラサイト 半地下の家族』の場合は、前評判の影響がけっこう悪い方に働いちゃってるなぁという印象がありました。
カンヌのパルムドールといえば、特に日本の映画ファンにはどうしたって『万引き家族』が記憶に新しいですよね。なのでこの『パラサイト』が「全員失業中の一家が金持ち家庭に、あの手この手で潜り込む話」っていうあらすじを聞けば、やっぱり「全員失業中の一家」っていう方、つまり貧困家庭の要素の方に意識が行ってしまう。
それに加えて町山智浩や宇多丸さんとかの評論家が、ケン・ローチ監督の『家族を想うとき』とかジョーダン・ピール監督の『アス』なんかと並べて、「やっぱり現実の、世界規模での格差問題が、同時多発的にこういう映画を生み出させている」みたいなタグをつけて絶賛する。
そうすると、なんとなく、「貧困層vs富裕層」の二項対立という図式で、ストーリーが語られる映画なんだろうなと、予想して観ちゃう。例えば貧乏人が金持ちをスカッとやっつけるような話なのか、または結局貧乏人が金持ちにしてやられる後味苦い系の話になるのか、とか。
正直僕はそういう意識で観に行っちゃいましたし、その結果ですね、確かに面白かった。良い映画だったとも思ったんですが、一方、「え?これがカンヌのパルムドール??」っていう、違和感というか、不完全燃焼感みたいなものも、実は同時に感じてたりもしました。だからその後、ツイッターとか映画サイトで絶賛評を目にするたびにですね、
「あれっ!?自分の映画の観方って、何か間違ってるのかな?」
というような不安感すら、感じちゃったりもしたんですね。まぁ、映画の観方に合ってるも間違ってるもないんですが、それでもなんだかザワついちゃったということなんですね。
なのでこれから本作『パラサイト 半地下の家族』を観に行く人はですね、パルムドール受賞作品とか、韓国格差社会の現実とかっていう要素は、あえていったん意識の外に置いておいて、まずは1本の「なんか面白そうなコメディ」として楽しんでもらえるといいかなと、思います。
「全員失業中の一家が金持ち家庭に、あの手この手で潜り込む話」っていうあらすじの「あの手この手で潜り込む」の方の要素。それがうまく行くの?行かないの?っていう面白さを、ハラハラしたりヒヤヒヤしたり、ニヤニヤしたり、時にドン引きしたりして、楽しむのがいいんじゃないかなという作品です。
観られた方、いかがでしたでしょうか。絶賛派?隠れイマイチ派?いろいろでしょうけども。
僕はといえば鑑賞直後は、前述したような「期待したほどじゃなかった派」でしたが、その後に「この作品の別の捉え方」についてひとつ気がついたことがあったので、結果けっこう良かったなという印象になりました。
この作品ですね、ソン・ガンホ一家とパク社長一家の話、つまり「貧困層vs富裕層」の二項対立の話として観ると、やっぱりありきたりというか、「弱者がルサンチマンを爆発させて溜飲は下がるけど、相応の報いは受けなきゃいけない社会の厳しさ」みたいな既視感のある映画のように思えてしまいますね。
でも、この映画には“パラサイト”は2組出てきますよね。ソン・ガンホ一家の「半地下の家族」と、パク社長の家に前からいた「完全地下の家族」といいましょうか、その2組ですね。富裕層のパク社長一家を軸にして、「半地下の家族」と「完全地下の家族」を対比するっていう観方をすると、グッと味わいが深くなってくるような気がします。こういう対比の構図は、キアヌ・リーブス主演の『マトリックス』における、「目覚めてザイオンで戦う人々」と「眠ったままマトリックスの中に居続ける人々」の対比をイメージするとわかりやすいかもしれません。
「完全地下の家族」は、もう富裕層の飼い犬よりもさらに下の意識の低さというか、寄生させてもらってるパク社長を崇拝することでアイデンティティを維持してるわけですね。
これに対して「半地下の家族」は、チャンスやプライドを諦めきれていない。知恵や計画でパク社長一家を踏み台にして、上に行けるかもしれない代わりに、半地下の暮らしは大雨で水浸しの犠牲にされる層でもある。
ソン・ガンホ一家は半地下から始まって、上の暮らしに触れたり、完全地下に引きずり込まれたり、最後はまっとうに努力して上を夢見るけど、やっぱりまだ半地下にいたりしましたね。
強者が強者の立場にいるのはもう仕方がない。平等を求めようが不公平を指摘しようが、たまにルサンチマンを爆発させようが、もうここまで来た格差はひっくり返らない。
じゃあ、「弱者は弱者」が仕方ないにしても、それにどう折り合いをつけて、弱者の暮らしとしてどういう生き方を選択するか?そのへんのせめぎ合いの話として観ると、けっこう良かったのかなと、僕は思います。
とはいえそういう、格差社会問題に警鐘を鳴らすというメッセージではなくて、「貧乏一家が金持ち家庭にあの手この手で潜り込む」というオモシロ話をやりたくて本作を着想したっていう話を、ポン・ジュノ監督自身がアトロクのインタビューでも言ってましたけどね。じゃあやっぱりそういうコメディとして観たらどうかというと、人死が何人も出ちゃうのは、笑いきれなくなっちゃう重たさがどうしてもあるんですよね。何年か前の『レッド・ファミリー』という作品を思い出しました。
結局僕は“隠れイマイチ派”ということになりそうなんですが、この作品がカンヌでパルムドールを獲ったことについては何の疑問もないんです。ただ「カンヌのパルムドール作品なんだ」という前提で観たら違和感があったっていう話なんですけどね・・・。
これをカンヌ、アカデミー与えちゃうってどうなの?って感じる派です。個人的にタランティーノからの破天荒映画で最高の一つだと思いますし、好きなんですが
、、、オスカーで讃えるような作品じゃないよね〜!!って叫びたいですよね。^^;
観ました。完全に同意。
富豪vs地下ではなく、半地下と地下にクローズアップした観点ならば、見方として深みあります。
前評判の雑音で見るなという警笛でした。
コメント失礼します。
正に、貴殿の仰る通り、今作品の本来のテーマかと思います。但し、そこが正に監督がネタバレ無しと懇願していたように、アンタッチャブルなシークエンスなのだと思います。
なので、世間で溢れているレビューは芯を食えないのでしょう。それを”優しさ”と表現すると思えば、世間の映画リテラシーも上がっているのではないでしょうか?w
今作は、間違いなくヒューマンドラマなのだと思います。
数少ない絶妙なレビューが読めて安心しました。
私はスリリングな物語の展開を主に楽しんで、十分質の高い映画と思ったのですが、観賞後に貧困問題が主題であることを前提としてのレビューを散見し、自分の印象との微妙なずれを感じていたところです。