「聖なる力」ペイン・アンド・グローリー Raspberryさんの映画レビュー(感想・評価)
聖なる力
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オープニングのマーブルのように、人はぐちゃぐちゃに混ざった思いの中でもがいている。
何不自由なく暮らしているように見える人だって、誰だって心の中では悲鳴が漏れている。
なりたい自分。なれない自分。それを罰する自分。後悔する自分。消えてしまいたい自分。それは全部エゴ。エゴは分析したり、変えたり、正したりできない。薬も効かない。
対抗できるの聖なる力だけだ。
聖なる力(グローリー、観音様)は見えているのに見えない。
貧乏だけど愛情いっぱいに世話をしてくれた両親も、洗濯女たちも、絵の上手い青年の肉体美も、かつての恋人を引き寄せてくれた俳優の仕事熱も、世話を焼いてくれる女友達も、すべて聖なる力を内包している。
自分の中のエゴを満足させることをやめて、聖なる力にアクセスすれば、全てはうまくいく。50年前の自分に届いた手紙で、主人公はやっとアクセスできた。
映像(映画)は、不確実な記憶でありながらも、それが確定的な記録・真実であると思わせる。ずいぶん美化された記憶だなと不思議に思ったが、ラストで謎が解ける。美化ではなく、再起した監督が聖なる力を撮っていたのだ。
見事に裏切られ、同時にしみじみと感動した。
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