「アディクデッド」デッド・ドント・ダイ かなり悪いオヤジさんの映画レビュー(感想・評価)
アディクデッド
どんなに前評判がよろしくなくとも新作が公開されたらとりあえず映画館に足を運ぶことを決めている映画監督、自分にとってはそれがジム・ジャームッシュである。インディーズ界のレジェンドことJJの作品についてコメントを求められると、“オフ・ビート”という形容詞をつけておけば間違いなし的な通りいっぺんの回答をよこしてくれる人が多いのだが、本作に関しては不思議とそれがない。そんな思考停止した観客を文字通り滅多切りにした作品、それが本作『デッド・ドント・ダイ』だからだ。
ビル・マーレイにアダム・ドライバー、ティルダ・スウィントンにトム・ウェイツ…それこそJJ組オールスターキャストといってもいい映画前半は、JJの過去作品を見たことがある方ならば思わずニヤッとさせられるセルフ・オマージュ・シーンがてんこ盛り。なんてたってJJのパートナーでもあるサラとイギー・ポップがゾンビ筆頭で登場し、「コーヒー」とやりだした時には思わず椅子からズッコケそうになったくらい。皆さんのご指摘どおり、クリーブランドからやって来た都会ッ子3人組は、JJデビュー作を彷彿とさせる演出だろう。(ちなみに少年院3人組→ダウン・バイ・ロー)
(ラストを除いて)終止人間的にふるまうビル・マーレイとは対照的に、女子供おかまいなし、人種はもちろん知人だろうが元同僚だろうが、一度ゾンビに変身しようものなら情け容赦なく大ナタをふるうアダムのキレ方が半端ないのだ。いくら台本を最後まで読んで第4の壁をこえたとはいえ、ジェダイの血をひくアダムよあなたがデップー化してどうすんの?変な発音と見事な太刀さばきで、アダムと一緒にゾンビどもを血祭りにあげるかに思われたティルダ・スウィントンがまさかの…
「奴らはゾンビになる前からゾンビだった」そんなゾンビとの死闘を遠巻きに眺めている世捨て人(トム・ウェイツ)のこの台詞こそが本作のテーマであることは間違いない。『ストレンジャー・ザン・パラダイス』以来“物質文明批判”を一貫して続けてきたJJが、もはやお手上げとまるで降参したかのような後味の悪いエンディング。しかし諦めるのはまだ早い。本作公開と時をほぼ同じくして世界に蔓延した“コロナ禍”を目の当たりにしてJJはきっとこう思ったに違いないのだ。天は我を見捨てはしなかった、と。
物質文明がもたらす環境破壊や○○依存症という人心の荒廃に“待った”をかけるパンデミックがまたたく間に大流行、これまでの世界のあり方を一変させてしまったのだから。あああ俺達人間を見捨てて神は宇宙に帰っていっちまったよ、と本作を撮って嘆いていたJJにもたらされた、まさに天啓ともいえる事件だったのではないだろうか。スマホを片時もはなさない“つながり・ゾンビ”こと我々日本人も、ウィズ・コロナの時代に似つかわしい生き方を見つけないと、本当に“まずい結末”になりますよ、きっと。