罪の声のレビュー・感想・評価
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ネガティブには、なります。
テンポよく1つ1つ進んでいき、どんどん引き込まれていきました。
これは犯罪に利用された人たちの物語。
一人は知らずに生き、二人は壮絶な人生を歩まされた。
同情では言い表せられない。本当に酷いものだ。
身勝手な大人たちのせいで人生を無茶苦茶にされた子たち。
既に年相応まで成長した女の子が一番不幸に感じた。
あの悲痛な叫びは、本当に心が痛む。
曽根俊也の母親が亡くなった時、妻と娘がありがとうと言う中、息子の俊也だけがありがとうと言わなかったのが、悲しすぎる。
一体、実の母に対して何を思いながら看取っていったのか。
そして達夫は最後、どこに行ったのかな。
もしかしたら、この世から姿を消したのかもしれないとも思ってしまう。
最後までハッピーな気分にはなれないので、これを見たら、ポジティブな作品を観ることを勧めます。
私は先にとんかつDJアゲ太郎を観といて本当に良かった。
正義を言う人の悪
事件の関係者と知ってしまった俊也。
記者として記事にすることになった阿久津。
この二人の線がどこで一点に結ばれるか。
前半はそこが見所たったが、
やっぱあんたかい!
思った通りの人がうっかり繋げてしまう。
そんな顔してたもんな。
けどあの人居なけりゃこの映画成り立たないから、最重要人物だな。
結ばれた線が、今度は二人によって手繰り寄せ、ほどかれる。
なんとも言いがたい過去に、胸が締め付けられる。
この人たちの現実を見て、それでも『奮い立つ』とか言ってられるか?
正義を言う裏で人がどんな目に遭っているか。
それを想像することができる人なら、正義なんて言葉に逃げないだろう。
望ちゃんの同級生も、言うなれば30年以上の犠牲者の一人だろう。
バイプレーヤー祭り
バディものインタビュー映画。
主演二人が一般人を訪ね歩くが、それに扮する俳優陣と
その背景となるプロダクションデザインが素晴らしい。
老いぼれた団塊世代を容赦なく断罪する事で、前時代の清算と訣別を為す。再現度の高い昭和の風景と共に。
西日本各地の景色の美しさと泥をすすり闇に蠢く底辺のコントラスト。
板長のキャラが絶品!
親世代の罪に子供世代が挑む
『罪の声』
グリコ森永事件のWikipediaにも挙がっている幾つかの犯人説が合わさってて、不気味なリアルさがある。
本当に真相はこうだったんじゃないかと思う程の説得力があった。
主題歌が映画の内容(特に聡一郎の境遇)とハマりすぎて泣けた。
紐解く
とても大胆な仮説に唸る。
今までもこおいうスタイルの作品は見てきた。未解決事件の仮説…3億円事件なんかが良い例だ。
だけれども、自分の記憶にそれはない。
俺も歳をとったという事なのだろうけど、自分の記憶にある未解決事件の仮説というものは、こんなにも息遣いを感じるものなのかと驚く。
最早うろ覚えではあるが、当時の報道の在り方などが断片的に頭を過ぎる。
「傍観者」という立場をこんな形で提示されるとは思いもしなかった。
語り部の手法はオーソドックスながら、2つの視点が1つに集約されていく様はとてもスリリングだ。
どんな化学変化を起こすのだろうか?
気をてらわないストリーテリングだからこそ、素直に筋だけを追えたのかもしれない。
描き出される人物像にフィクションを感じずにはおれないのだが、それでもソレは30数年前の話で、元号的には2世代も前の世界観だ。
違和感をも呑み込ませる程の時間がある。
事件の火種はそれよりも更に前に遡る。
現代に至るまで、それ相応の傷をこの国も負ってきたのだと目の当りにする。
決してお伽話ではない事実が挿入される。
かの事件の金主が政府関係者…いや、政府だと仮定して、権力のえげつなさに震える。
そこまでのお膳立てがまた用意周到。
ピントのズレてた絵の最後の一絞りがカチッと合うような爽快感さえある。
あー、なるほど。ギャンブルではなかったんだと。
その青写真は勝ち戦が前提だったのだと。
糸口の見つからない、毛糸の束のたった一つのササクレから解いていく様な感じでスリリングだった。
時間軸としては誰1人殺されはしないのだけれど、極上のサスペンスを提供してくれてた。
また、その担い手としての新聞記者って立ち位置は絶妙だ。しかも新人ではない。
理想と現実に疲れ、一線を退いた中堅記者。
彼が、記者としての原点に回帰していく様を小栗氏は好演してたように思う。
脇を固める俳優陣も当て書きかの如く、しっくりと、しっかりとした仕事をしてた。
決して派手な内容ではないが、腰を据えてじっくりと鑑賞に浸れる作品だった。
きっと、みんな幸せになりたいだけだった。
"だって、私の人生だもん"この言葉にぎゅっと胸を掴まれた…。
私は、自由に自分で決めて生きていける環境があるのに、目の前のことに勝手に縛られて、身動きとれないフリをしているなって思った。
あの女の子の立場になったら、私は逃げる勇気があるだろうか。
いいことをしたのに冤罪で自殺してしまう人
歪んだ信念を持ち、過ちを犯すも逃げ続け捕まらずに生きている人
悲しみが歪んで恨みに変わり、曲がった信念を作り出す。
悲しすぎる止まらない連鎖。
きっと、みんな幸せになりたいだけだった。
ここにいるよって誰かに知らせたかった。
きっと、寂しかったんだ。
『大丈夫ちゃんと見てるよ、大変だったね。』
って、誰かがぎゅっと抱きしめてあげられたなら、
悲しみがひとつ減ったのではないだろうか。
相手を想い与える、"愛"だけが、
この世界を救うのかもしれない。
素晴らしい脚本!
この事件は、実際衝撃的だった。
どれほど、事実かはわからないが、
映画としては、素晴らしい出来だと思います!
同じように、自分の声を事件に利用された3人の子供の人生の、
無情な展開。
テーラーの子供として、何不自由なく暮らした日々。
その一方で、犯罪組織に監視されながら暮らし、
殺されるかもしれない恐怖のなか、
生きることが目的となる人生。
1人だけ幸福な人生を送ってしまったという、
罪悪感。自分自身ではどうしようもなかった
としても、、、。
現実、人生は生まれてくるところは、自分で選べない。
不公平な現実。
その中でどう生きるかしか、無い。
実際、障害を持って生まれてきてしまう事もあるし。
他人をうらやましく思っても、
見下しても、意味がない。非情な現実。
だか、その発端がインテリ左翼のこざかしい思想ならば、
やりきれない。
インテリ左翼も、現実のなんでもありの暴力組織に利用された面はあるが、罪は重い。
自分は、最低のモラルを持って、子供の命は救うという行動はするが、それも水泡に帰す。
インテリ宇崎は、この結果を知り、どういう行動をするのか?
記者は、事件の真相を記事にして、社会に訴えるという意義を再確認する。それ記事を読んで、社会、一般の人々が
社会を少しでも良い方向に出来るかは、市民?の程度に委ねられている。
市民のテーラーは、自分に出来る精一杯の事をするしかない。背広を新調して、母親探しの会見をセッティングの手助け。子供をしっかり育てる。ひとひひとりに合った背広を丁寧に作るだけ。
自分の境遇の中で、精一杯生きるしか無い。
その境遇も、どこに生まれるか?という偶然に左右され、
実際不公平だけど。これは自分の責任では無いから、
追伸、せめて、背広作ったついでにメガネも新しくしてあげて欲しかったぞ!せめてよく拭いてあげてほしかったよ。
出だしからうまく物語の世界に誘導されました。
現実の事件を題材にしているフィクションですが、ノンフィクションでは?と思えるくらいにハラハラ・うるうるしました。
グリコ森永事件が世間を騒がしている頃、私は中学生で、正直事件の詳細は記憶の彼方でした。
映画を観ているうちに、テレビや新聞で毎日報道されていたこと、家庭や学校で話題になっていたこと、おやつが既製品から母の手作りのお菓子になったことなど、当時の記憶が様々に蘇りました。
一般人の私は事件の結末の記憶も曖昧ですが、警察や報道関係者の方だにとっては、忘れられない事件のひとつなのでしょうね。
理想の社会をめざして学生運動した首謀者たちが、ヤクザと組んで犯罪を起こすことで社会を変えようとする気持ちが全くわかりません。
まして、その犯罪に子どもたちを巻き込むなんて。
どんなに目標が立派でも、手段が非合法なら良い結果にはなりません。
人生因果応報なのだと早く気づいて欲しかったです。
個人的には、第二の故郷であるイギリスの風景を観ることができてすごく嬉しかったです。
主な舞台は関西ですが、序盤・終盤に入っているイギリスの街並みはスパイス的に効いていると思います(^^)
コロナ禍でヨーロッパを訪れるのは難しい今、どこでもドアでヨークに飛んで行きたくなりました♪
面白かったです
この事件の事は覚えており
小栗旬も出演しているので
観てきました。
この事件の真相は
こうだったのか、と思えるくらい
でした
俳優さんも熱演でした
感動するところもあり
姉の友達が心配する場面と
最後の母親と再開する場面などは
うるっときました
演技がすばらしい
事件のことはよく覚えていました。
キツネ目の男はあの人では?という報道も、当時週刊誌などでよく見出しになっていたように記憶しています。
実際にこういうことだったのでは?と思わせるようなストーリーには引き込まれました。
主役ふたりはもちろん、出てくる役者さんが皆すばらしいかったです。この人誰だっけ、見たことある顔なんだけど、という方が何人もいて、あとで名前を確認して納得しました。
見終わるまで142分の映画だとは思わなかったです。
聡一郎の回想シーンは圧巻でした。阿久津と曽根がほとんど言葉を発しなかったのがとてもしっくりきました。
聡一郎が母親と再会するシーンは泣けました。
上質のエンタメ作品でした。
想像を超える面白さ
面白そうだと思い観に行った作品だったが、想像を超える面白さ。
作品の長さが気にならない引き込まれるような作品。
登場人物の多さから長くなる印象があるが、丁寧に紐解いていくので、分かりやすくスリリング。
様々な人々の人間模様や情報を知っていることでの生き方の違いなどを改めて感じた。
自身の境遇がいかに恵まれているかなど考えさせられる作品。
小栗旬の人間味にも惹かれる。
『声』
フィクションだけど、まるで事実のようで見ていて引き込まれました。テープに録音されていた『声』から事件が始まる。いや、起こった昔の事件の真実が解き明かされる。時効を迎えた事件を今更掘り起こす必要があるのか…これってみんなが思うことだと思う。でも、映画を見ていると、時効を迎えたとしてもその事件で苦しんでいる人がいる限り、事実をはっきりさせる必要があると感じた。主役だけでなく脇を固めている俳優も演技上手で見て良かったです。
ノンフィクションかと思わせる作品
原作からして、これは真実なのでは?真相?と思わせる内容である。
しかし、当時、警察が相当大規模で捜査したにも関わらず、キツネ目の男は結局割れなかった訳ですよ。
それが新聞記者が探って、あっさり見つかるんか?って話ですよ。
似顔絵は報道されてるのだから、警察には相当タレコミがあったはずで、それらを全部当たってるはず。
見終わった後で考えたら、おかしい、やっぱりフィクションだなって。
今、探っても犯人には辿り着けないでしょう。
映画ならではのテンポの良さはありますが、
そのテンポが逆にウソくさい。そんなにとんとん拍子で進む訳ないです。
後半、子供の声の1人が、TVに名乗りでた辺りで、「あ、これ完全にフィクションだ」と。
これが真相だと、ノンフィクションだと思ってる方々が世の中いるようです。マジで。
ヤバいですね。
主役2人の関西弁がイマイチで、その辺り、大阪、京都の人はイヤだろうなぁ。
ただそれらを引っくるめて、面白い作品ではありました。
登場人物多過ぎる(笑)。
登場人物が多過ぎて、誰が誰やら。
細かい設定や背景は話の流れでカバー出来るから問題ないが、その細かい所の話に付いて行けなかった。場面転換、接する相手が変わっていくが、その理由を見逃していたようで理解できなかった。
小栗旬は素晴らしかった。あと、宇野祥平も良かった。宇野祥平はこの役のために10㎏の減量をしているのだとか。
映画冒頭で、星野源演じる曽根俊哉が自宅から父が生前に残したカセットテープを見つける所から、一気に関心を引き込んだ。
グリコ・森永事件をモチーフとしたギンガ・萬堂事件に使用された子供の声が、カセットテープに録音されてたのだ!
この事件では3人の子供の声が使用されている。1人は曽根俊哉。残りは生島姉弟。姉は事故死しているが弟の生島聡一郎は生きていた。
何も知らず幸せに暮らしていた曽根俊哉と対照的に、ボロボロの生島総一郎。生島総一郎は最後に母と再開出来た。ハッピーエンドだけど必要だった?それに比べて、曽根俊哉は入院中の母が家に戻って来てカセットテープを処分しようとしていたことから、この声のせいで今苦しんでると言ってたけど、生島総一郎に比べたら大したことなく、余り感情移入出来なかった。
また、母親が過激派の社会運動家で、その夫の兄がそのリーダーって設定も凄い偶然だ。曽根達雄らの犯罪グループには、株価下落を狙った利益獲得の狙いがあるが、この母には得るものが何も無い。それなのに子供の声を利用させるとは、非常に軽い奴だ。浅過ぎて、アホかと。余命半年程度で、その後死んでしまうけど。
学校にて、生島望の友人の子(おばさん)の話を聞く曽根俊哉。望みが姿を消した頃に電話のやり取りをしていたとか。そこで、犯罪の声が自分であるとおばさんに伝えているのに、何故、警察に通報しなかったのか?もしかしたら犯罪グループは当時捕まっていたかもしれないし、望も死なずに済んだのかもしれないな。
エンドロールに流れるUruさんの振り子も良い。
11月14日と15日の件は、付いていけず理解出来なかった。
虚しい人生とは(2020/10/30鑑賞)
小栗旬演じる阿久津が追い詰めた主謀人に放った言葉が印象的だ。
「あなたのしたことは、たった3人子供の未来を変えただけだ」と。
あれだけ大掛かりで行った劇場型犯罪の目的には、この国のあり方を世に問い直すという大義があったことはその通りだと思う。
しかし本作の最後の阿久津の一言で、全ては虚しいことであることが鑑賞者に問いかけられたのではないかと思う。
この世界を変えるためにとった強硬手段、暴力的で脅迫的な手段がいかに虚しいことであることを我々は再確認させられた。
本作は思想的に見れば、マルクスが提唱した暴力革命の思想を無力にするかもしれない。
もし共産主義を掲げる国に大々的に上映されれば、体制崩壊の力ににもなりうるだろう。
これが”罪の声”であるかは、受け取る側の立場によって変わってくるだろう。
昭和は遠くなりにけり
例年、秋シーズンは力作ぞろいの日本映画ですが、それにしてもことしは多い。
本作も2時間20分超の長尺。
35年前に起きた菓子メーカーを標的とした「ギン萬事件」は、警察やマスコミを翻弄し、日本中を狂乱に巻き込んだ。
犯人たちは逮捕されることなく時効を迎えた。
そして、元号が平成から令和に変わろうとするいま、時代の総括として、大日新聞は特集を組むこととし、新聞記者の阿久津(小栗旬)も取材の一翼を担うことになった。
一方、京都でテーラーを営む曽根(星野源)は、ふとしたきっかけで、父親の遺品の中から古いカセットテープを発見する。
楽し気に歌う子どもの頃の曽根の声が途切れ、たどたどしく文章を読む声が流れ出すが、その文章は、ギン萬事件で使われた犯人グループからの指示文章。
事件で使われた3人の子どもの声のひとつが、自分の声だったことを知る。
そして、テープとともに発見した英語で書かれた手帳には「GINGA」「MANDO」も文字もあった・・・
といったところから始まる物語で、阿久津と曽根、それぞれが事件を追う中でふたりが出逢い、事件の真相へと近づいていくというスリリングな仕立て。
で、事件の真相に近づいていくのに、何人もの人々と出会い、彼らの言葉の端を頼りに次々と核心に近づいていく様子はスリリングなのだけれど、事前に、宣伝材料のひとつである新聞の登場人物紹介を読んでいたので、ほとんど事件の全容は予想がつきました。
新聞に書かれていた過激派とヤクザ・・・
そうねぇ、そういう落としどころね。
だから、事件の真相というところよりも、事件にかかわったひとびとがどうなったのか、というのがスリリングなのだけれど、映画の発端となる曽根一家よりも、もうひとつの家族のほう、事件をきっかけに転落していく様があわれである。
とはいえ、1985年当時、過激派の残党が「世間に一発、かましたれ」と思ったというのは、どうなのだろうか?
そんな時代だったのか。
もう世間はバブルへまっしぐら。
たしかに世間は浮足立っていたかもしれない・・・
気になって調べてみたら、1985年には「国電同時多発ゲリラ事件」という東西日本で国鉄のケーブルが多数、同時に切断される事件があり、その中心が新左翼だったようです。
当時は、まだ国鉄だったんですね。
現在の価値観で過去の過ちを断罪することは簡単だけど
あの闘争もあの事件も
あの動物を産み出したことも
おそらく当事者なりの正義があって
私が、あなたが、今正義だと信じていることが未来からみれば「罪」なのかもしれず
そんなことを考えさせられた映画でした。
事件後に俊也がつれていってもらった今はなき遊園地。私も幼い頃からよく行ったし、その動物を見ました。私が小学生の頃にはもう人々から注目されることもなく最後の一頭が余生を送っていました。人間のエゴから作られた動物がその種を繁栄させることなく閉じようとしていた姿だったことは大人になってから知りました。それは、大人のエゴによって重い運命を背負わされた子供たちの姿と重なります。
うん、面白かった!
原作読了済みですが、脚本も映画作品としてきちんとまとめられていて、
がっかりすることもなく、うろ覚えだった部分や、
ふわっと理解していた部分、忘れてしまっていたことも、
あぁ、そうだったなーと思い出しながら集中して最後まで観れました。
むしろ、映画の方が感動しました。
やはり、役者が丁寧に演じてくれることにより、より一層感情移入することができ、
親の勝手で犯した過ちに振り回された子どもたちが不憫でならなかった…。
あのカセットテープを見つけなければ、曽根俊也は知らずに平穏に暮らしていただろうが、
見つけたことにより生島総一郎を救うことができた。
本当に良かったと思う。
曽根達雄や曽根真由美は、自分の思いを遂げるためだけに子どもを利用し不幸にするとは、
なんて自分勝手な信念なのだろう…。
あの闘争の時代は、そういう時代だったのだろうか…今を生きる私には理解ができず…。
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