「いつも理不尽に犠牲になるのは「弱くて小さきもの」」罪の声 スモーキー石井さんの映画レビュー(感想・評価)
いつも理不尽に犠牲になるのは「弱くて小さきもの」
本作は実際に起きた昭和の未解決事件をモチーフにした作品。
主人公は二人。
人の不幸に立ち入り、紙面を埋めることしか考えられなくなった自分に嫌気がさし、やる気も記者としての矜持も失ってしまった元社会部の新聞記者「阿久津」。
家族との幸せな日々の中あたたかくも慎ましく、父の意志を受け継ぎ、ブリティッシュファッションに惚れ込み確かな職人としての矜持を持つテーラーの店主「曽根」。
この全く交わるはずがなかった二人はかつて世間をにぎわせた昭和の未解決事件によって、引き合わされることとなる。
「阿久津」は前述の過去から当初は乗り気ではないものの、新時代令和を目前にマスコミの威信を懸けて、社を上げて改めて戦後最大の未解決事件の真相をあぶりだそうと立ち上げられた特別企画班のメンバーへ抜擢
対する、「曽根」はある日自宅の押し入れで見つけた自分の子供の頃の録音テープがかつての未解決事件の犯行に使われたものであることに気づき動揺、自分や親族が実はその大事件に深く関わっているのではないかと疑念を抱き、苦しみながらも亡き父の関係者を訪ね始める。
一方は新聞記者として。一方は自分を容疑者ではないかと疑う者として。
立場も動機も違い、別々に動いていた二人の邂逅は互いの欠けていた真実へのピースを持ち寄り、残りのピースを埋めるべく二人で「捜査」を始める。
多数の証人、そして近畿・中四国を中心に果ては東京、そしてロンドンに至るまで取材をしていくこの物語はついていくのがやっとなほど。
もう一人の「罪の声」の主というキーパーソンに会うまではさながら一向に埒のあかない警察の捜査や記者の取材を疑似体験しているかのよう。
深淵に沈んだ35年前の事件の真相解明は一筋縄ではいかない。
本作は我々に大きく2つのことを改めて訴えようとしていると感じた。
1つは、マスコミや権力の功罪。扱い方次第で、人々に怨恨を産みつけることもあれば、救済のため手を差し伸べすることもあるということ。
もう一つは、社会を担っていく大人たちがどこに重心を据えるかで、子供たちの未来が大きく変わるということだ。
人生とはその人に迫られる判断の連続の帰結であり、道を外すも踏みとどまるもその人次第だ。
ただ、本作はそうとも言えないのではないかと観ていて痛ましくなる。
全ては「理不尽」。
私は時間なんかで解決はされないと考えているし、この世は捨てたもんじゃないなんかとよくそんな呑気なことが言えるなと憤ることもしばしばある。
だからこそなのか、事実を明らかにすることに動く意義は確かにある。
それは苦しむ者が抱える胸のつっかえのようなものを取り除き、そして、大げさに言えばその人の救済にもつながるとも信じている。
「流行り廃りに左右されないで、頑固で慎ましい」
これは「ブリティッシュは人気がないか・・・」と年配の職人さんが嘆いた一言に対しての曽根のリアクション。ブリティッシュファッションへの愛が凝縮されたセリフだ。
この一言は
「本当の大人はこの世にいるのかと常々問い続けている」私にとっては
人としてのあり方の1つの「型紙」みたいなものを示してくれているような、
学校や自分の上の世代、力のある者たちが産み出した「既製品」のような生き方に無理に合わせなくてもいいと言っているような、
かなり拡大解釈し、無理やり結び付けているみたいで恥ずかしいが、そんな風に感じてやまない。