「阿久津英士さんへ質問」罪の声 シューテツさんの映画レビュー(感想・評価)
阿久津英士さんへ質問
2020年キネ旬ベスト7位の作品で、原作は未読です。
公開当時は最近苦手になりつつある邦画に多いサスペンス系の作品だと思い二の足を踏み見逃していたのですが、評判は良く劇場で再公開してくれたので鑑賞しました。
自分が想像していた作品とは違い社会派の人間ドラマだったので面白かったです。実際に起きた事件(グリコ・森永事件)を元にフィクションとして実に見事に練られた作品で、当時の結局この事件は何だったのか?大がかりな愉快犯だったのか?等々の疑問が残る何とも不可解な事件だと思っていましたが、この作品の様な理由付けされると、これが真実だったのかも知れないと納得させられる様な内容でした。
ただこの主人公の阿久津英士(新聞記者)がちょっと胡散臭いほどの良い人ぶりであったのですが、社会部が嫌になり文化部にまわったのは良いが、その仕事ぶりは観もしない作品の論評をそれらしく記事にしているシーンがあり、それってこの作品の全体を通して考えると人格矛盾している気がして少し引っかかった。「この人の仕事に対する矜持って何?」って思ってしまいましたからね。
ここで、この主人公に聞きたいのですが、「矜持って職務によって変わるものなの?」「もし変わるのなら職務に貴賎があるという事を認めているの?」「自分の納得出来ない職務なら仕事に対する矜持なんて捨てても良いの?」って事ですね。
犠牲になった少女が映画雑誌のスクリーンを拾い読みしているシーンなどもわざわざ入れていて「ひょっとすると今の若い少女が同じようにアンタのそのいい加減な記事を熱心に読んでいるかも知れないじゃないか!!」って、つい突っ込みを入れてしまいましたからね。
良い映画だけにこういう細部の人物描写のアンバランスが気になる作品でもありました。更にラストの重要人物に対する台詞も、甥の俊也か少女の弟の聡一郎に言わせた方が説得力があるのにと思いましたよ。
例えば私『Fukushima 50』という映画をまだ観ていません。恐らく感動作なのだろうと思うのですが、個人的に電力会社という組織そのものに引っかかりがあり観ることが出来ない状態なのですが、本作に於いても私は“今のジャーナリズム”や“ジャーナリスト”そのものに不信感を持っている人間なので、作品の良さとは別のところで本作にも少し引っかかりを感じてしまったのです。
それは、去年の『新聞記者』などにも同様の思いがあったのですが、本作の真の主人公(テープの声の子供達)は犯人に利用された側だったので、私には本作の方が納得はし易かったです。