「昭和は遠くなりにけり」罪の声 りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
昭和は遠くなりにけり
例年、秋シーズンは力作ぞろいの日本映画ですが、それにしてもことしは多い。
本作も2時間20分超の長尺。
35年前に起きた菓子メーカーを標的とした「ギン萬事件」は、警察やマスコミを翻弄し、日本中を狂乱に巻き込んだ。
犯人たちは逮捕されることなく時効を迎えた。
そして、元号が平成から令和に変わろうとするいま、時代の総括として、大日新聞は特集を組むこととし、新聞記者の阿久津(小栗旬)も取材の一翼を担うことになった。
一方、京都でテーラーを営む曽根(星野源)は、ふとしたきっかけで、父親の遺品の中から古いカセットテープを発見する。
楽し気に歌う子どもの頃の曽根の声が途切れ、たどたどしく文章を読む声が流れ出すが、その文章は、ギン萬事件で使われた犯人グループからの指示文章。
事件で使われた3人の子どもの声のひとつが、自分の声だったことを知る。
そして、テープとともに発見した英語で書かれた手帳には「GINGA」「MANDO」も文字もあった・・・
といったところから始まる物語で、阿久津と曽根、それぞれが事件を追う中でふたりが出逢い、事件の真相へと近づいていくというスリリングな仕立て。
で、事件の真相に近づいていくのに、何人もの人々と出会い、彼らの言葉の端を頼りに次々と核心に近づいていく様子はスリリングなのだけれど、事前に、宣伝材料のひとつである新聞の登場人物紹介を読んでいたので、ほとんど事件の全容は予想がつきました。
新聞に書かれていた過激派とヤクザ・・・
そうねぇ、そういう落としどころね。
だから、事件の真相というところよりも、事件にかかわったひとびとがどうなったのか、というのがスリリングなのだけれど、映画の発端となる曽根一家よりも、もうひとつの家族のほう、事件をきっかけに転落していく様があわれである。
とはいえ、1985年当時、過激派の残党が「世間に一発、かましたれ」と思ったというのは、どうなのだろうか?
そんな時代だったのか。
もう世間はバブルへまっしぐら。
たしかに世間は浮足立っていたかもしれない・・・
気になって調べてみたら、1985年には「国電同時多発ゲリラ事件」という東西日本で国鉄のケーブルが多数、同時に切断される事件があり、その中心が新左翼だったようです。
当時は、まだ国鉄だったんですね。