あなたの名前を呼べたならのレビュー・感想・評価
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インド版少女漫画
ザツクリ纏めてしまえば、定番の身分違い恋愛もの。
都会の高層マンションに住むセレブな青年と、19歳にして未亡人となった若き住み込みメイド。階級制度や女性蔑視が根強く残るインドの田舎街と、近代化による格差激しい大都会。どちらの世界でも、二人の人生は到底重なりあう事はない。
なのに、生活を共にする内に、優しい二人の、気持ちだけはどんどん近付き寄り添っていく。
社会には受け入れられる筈のない関係に、二人はどう答えを出すのか。
シチュエーションは非常に少女漫画的。
イギリス貴族とメイドとか、韓国IT社長とお手伝いとか、そこここで見た事あるような…な、定番設定。
デザイナーになるラトナの夢を応援し、ミシンをプレゼントしてくれる雇い主アシュヴィン。メイドの彼女にも優しく人間的に接してくれる。失敗を攻め立てる客人から庇ってくれる。夢を掴む切っ掛けをお膳立てしてくれる。そんな都合のいい王子様がおるかーい!と若干ひねくれた突っ込みをいれたくなる(笑)
夢を諦めて故郷に帰ったアシュヴィンが、夢の実現の為に現実に向き合おうとするラトナに惹かれていく感情がきちんと描かれていたので、一方的な夢展開にならずにホッとした。
田舎に帰る車中で腕輪を外し、都会に戻る車中で腕輪をはめ直す(古い風習の根強い故郷では、未亡人が身を飾る事が許されない)、一つ屋根の下に暮らしながら、壁を隔てて背中合わせの二人のアングル、決して食卓を共にせず、台所の床で食事をとるラトナ、パーティーでのセレブ客と下働きの対比など、インド社会に於ける、二人を隔てる身分や格差の強固さが、解りやすく、丁寧に表現されていたのも良かった。インドを舞台に、この設定で描いた事の意味が納得できる。
一度は別れを選んだ二人が、アシュヴィンの電話で、ラトナの一言で、寄り添う未来に向けて少しずつ進めるかも知れない、と、ほんのり観客に希望を抱かせるラストシーン。
ラトナのほんの小さな歩み寄りが、立ち塞がる社会の荒波の強さと、それに抗おうとする精一杯の勇気と愛情を感じさせて、甘過ぎず、苦過ぎず、後味の良い匙加減だった。
女性監督ならではの、女性のツボを心得た結末という所だろうか。
恋愛を超えた、ひととしての関係性が啓かれる
大都会ムンバイで女中をしているラトナ(ティロタマ・ショーム)。
彼女が仕えるのは大手の建設会社の御曹司アシュヴィン(ヴィヴェーク・ゴーンバル)。
ラトナはアシュヴィンのことを「旦那様(Sir。これが原題)」と呼び、決して名前で呼ぶことはない・・・
というところから始まる物語で、アシュヴィンは婚約者の浮気が原因で結婚を破断したところであり、婚約者とまるで性格の異なるラトナに惹かれていく・・・と展開するが、いわゆる身分差の恋愛物語ではない。
ま、そのような恋愛物語の側面も大いにあるが、監督(脚本も担っている)が狙っているのそこんところではない。
ラトナは、寒村(貧しい村のこと。暑いインドなので寒いわけではない)の出身だが、19歳のときに結婚し、結婚後4か月で夫に先立たれている。
村では、夫に先立たれた妻は「死ぬまで未亡人」で、再婚するなどは赦されず、嫁ぎ先(生家もだが)の家名を汚さないでいるだけの存在で、つまりはただの厄介もの。
また、インドでは厳然たる階級社会(階層社会ではない)で、階級によって就ける職業も決まっている。
近代化目覚ましいインドであるが、旧弊は因習と階級差がある。
因習と階級差は、どのようにあっても破ることはできない。
が、アシュヴィンは米国で教育を受けており、基本的にひとは自由で平等ある・・・と考えている。
それが、また、ラトナを苦しめる・・・
と書くと、ありゃ、身分差の恋愛物語みたいですね。
でも、違いますから。
大きなドラマチックなエピソードはないが、因習と階級とそれに対比される自由と平等のせめぎあいと、それに困惑苦悩するふたりが淡々と描かれていきます。
映画の決着点は、恋愛物語としてのハッピーエンドではないかもしれないが、ひととしてのハッピーエンドであろう。
日本版タイトルが示すとおり、ラトナがアシュヴィンのことを「旦那様」ではなく、「名前」で呼ぶ。
ラトナとアシュヴィンが、ひととしての自由と平等を得、恋愛を超えた「信頼」関係になったことを示している。
静かに、心深く、沁みたラストシーンでした。
おーいみんな!今日から名前で呼ぼうよ!
辛抱強いし、戦うし、泣くし、勝手に勘違いして怒るし、めっちゃ笑うし、空気読むし。。。。。
ちゃんと「女」を生きてるって感じがする。
わたしも好きな人のことを名前で呼びたいよ。
あ〜
呼びたい。
うまく感情移入できなかった
身分違いの恋という、昔からよくあるラブストーリー。
ただ、インドの身分格差とか慣習とかがわからないから、何かある度にこれはインドでは普通のことなのかな?普通じゃないから面白いのかな?とかそういうことが気になって感情移入できませんでした。わかってればもっと面白かったんだろうなあ。
でもやっぱりメイドとの恋なんてありえないんでしょうね~。
告白に行くまでがすごく長かったけど、それだけありえないことだからそこに行くまで時間がかかったってことなのかな?
ラスト、原題がシンプルだったことに驚かされました。
良かった
個人的にすごく良かった。
登場人物達の服装や主役の三つ編みとかそういうルックス的な部分でもすごく好き。
2人の恋愛模様もみていてハラハラする感じではなかったが、最終的にすごくこの後どうなったんやろぉ!って感じで終わった。
現代インドの恋愛事情
ラトナは多分20代前半。若い身空で未亡人になり、都会にメイドとして出稼ぎに来ています。
出身の村は未亡人に対する縛りが厳しく、地味目なブレスレットなどの宝飾品をつけることもタブーとされています。化粧っ気もありません。彼女の話す出身地の因習の話は、インドのニュースで時に凄惨なものがありますが、その背景などに聞くのと似たような話です。
ラトナにはラクシュミというメイド友達がいて、他の人には言えないことなどを聞いてもらったり聞いたりします。都市でのメイドとしての生活では、インドに根強く残る身分制度をかいま見れます。
インド映画では若い男女が恋愛するエピソードが多く含まれますが、現代であっても、現実にはそんなに簡単にはいかないのです。この映画はそれをうまくいきたい、いかせたいと思わせる映画でした。
ラトナの作るインド料理食べてみたい!
厳しいインドの現実の中でのせめてものささやかなシンデレラストーリーと思わせながら、好きな人と結ばれるには外国に行くか(ここではアメリカ、いまトランプのアメリカに行くのはあまり得策とは思えないが)、女性が職業婦人(そんなに簡単にファッションデザイナーになれるとも思えないが)として自立しないと出来ない、というインドの抱える諸問題(厳然と残る階級格差・身分格差・男尊女卑・貧富の差・農村に残る因習/戒律等)を炙り出さしております。しかし、インド料理好きとしてはラトナの作る料理がどれも美味しそうで一度食べてみたい。
自分を律している
男女共に自分を律しているのが、印象に残った。ラトナは田舎では未亡人になったら、人生お終いという。でも都会で働いて生きていける、妹の学費や婚家への仕送りをしている。
彼の気持ちとインド的世間、ラストシーンがとても良い感じ、心が暖かくなる。
社会的制約の中で夢を追いかける女性たちの憧れか
身分、貧富、生き方(就学、結婚、離婚)、社会進出など、インドでは未だに因習も含めて多くの制約があると聞く。特に女性には。
シンプルといえばシンプルなラブストーリーだが、夢を追いかけるメイドの視点を中心に据えていて、爽やかさと社会派的問題提起が上手くマッチしていた。
今回は、わざとらしい踊りはなかったが、私は嫌いではないし、今回も、少しでいいから欲しかった笑。
静謐なラブストーリー
抑制の効いた描写と、「her」を思わせる情緒的な画面作りで、今までのインド映画とはまったく異なった印象を受ける。
ごく少ない会話から徐々に明らかになる主人公二人の関係性と過去。だんだんと二人の関係は親密になっていくが、原題のとおり「Sir」としか呼べない距離感。
本当に美しい恋愛映画だった…
しかし「シークレット・スーパースター」にせよ「パッドマン」にせよ、インドに女性として生まれることはこれほどの試練なのかと暗澹とするが、これは日本の数十年前、西欧各国の百数十年前と同じなのだと思わせられる。
ラストの続きが気になるね…
邦題も良かったですね。
ラストは、幸福感で終わらせてくれる。インド発の作品
インドの映画と言えば「マダム・イン・ニューヨーク」「めぐり合わせのお弁当」「裁き」を拝見したが、今回の作品はインド色が色濃い作品でした。将来は、中国の人口を超える世界一人口の多い国になると言われている。作品の中では、それでも身分階級が根強い残る点は、映画の中に現れている。
携帯電話の普及率には驚いた。都会の中の街並みと田舎の風景が歴然としている。都会においては、連立する高層ビル群に圧倒されるのにたいし、田舎では貧しい生活でありながら、色彩豊かなサリーを見にまとう女性など、インドの独特文化が描かれている。都会の豪華なマンションに住む旦那様と都会を羨み田舎暮らしの未亡人のメイドの二人が、一つの家で生活すれば、特にメイドが未亡人であり美人で、旦那にあれほどまでに尽くすのであれば、家の中での二人の関係が変化するのは当然なのだが。さらに、メイドが旦那様にお似合いの服を編み。旦那がメイドにミシンを送れば、言わずもがなではないか。そこからの作品の展開は、監督の力量か、展開の速さと言い、二人の立ち塞がる逃れられない身分の壁、想像以上に高いという「苦しみ」とを監督がインドが抱える問題を見事にミキシング出来ている。最後、旦那様の電話にメイドが返答する場面は、思わずやられた。
インド映画は「マダム~」といい、「めぐり合わせ~」といい、空虚感や寂寥感を感じさせながらも、最後は観る者をホッと観方によっては幸福にさせる。心温まる気持ちで終わらせてくれる。しかし、昔のカースト制度ではないが、そこに階級の差があることは忘れてはならない。
後日談として、メイドがファッションデザイナーとして、旦那様が署名な建築家となり、出逢うなんて言う有り得ない続編があったりして。
sir
旦那様のなんと優しいこと!
アメリカで育ったと言えど、優しすぎやしないかい!?
そして、主人公ラトナよ、態度でかいなぁ。
雇い主にあんな口利いていいのかい?
旦那様の優しさに甘えてるだけに見えなくもない物語。
いい作品
110本目。
素直にいい作品だったと思う。
壁一枚隔てただけで、インドって国がわかってしまう。
でも言葉少なくとも、二人の距離感、関係が良く分かった。
等と思いながら、いつ手を出すかが気になって気になって。
出したら出したで、男ってああなっちゃうんだよね。
妙に共感。
宝石箱のような映画
8年前に放送された「家政婦のミタ」というテレビドラマがあった。松嶋菜々子が怪演した主人公は、長谷川博己演じる一家の主人からもその子供たちからも「ミタさん」と呼ばれ、それなりに人格を重んじられていたと思う。家政婦は英語でhousekeeperだが、本作品の主人公ラトナは召使い、servantである。servantには奴隷という意味もあって、人格は認められない。ちなみに公務員はpublic servantである。つまり公僕だ。私を捨てて公のために尽くさねばならない。にもかかわらず自分たちを支配階級と勘違いして、国民のことを働いて税金を納めるだけの奴隷のように考えている官僚や役人が多いような気がするのは当方だけだろうか。
相手役のSIR、つまり旦那様は驚くほどの人格者である。自由平等博愛の精神をそのまま体現したような人で、流石にここまで出来た人にはお目にかかったことがない。これほどの人物が登場するのであれば、邦題のタイトルは原題「SIR」のまま「旦那様」でよかったと思う。
秋元順子が歌った演歌「愛のままで」の歌詞に「ただあなたの愛に包まれながら」という一節がある。愛されてさえいれば幸せという女心は万国共通なのだなと改めて思う。
インドはラマヌジャンという天才数学者を輩出した国であり、IT先進国なのだが、意外に不自由な国でもある。日本のインド料理店の従業員はたいていネパール人という噂がある。ネパール人はインド料理を修行して日本で店を出す自由があるが、カーストの階級が下のインド人にはビザその他の自由があまりなくて、日本で店を出すのはかなり難しいらしい。華僑やアメリカン・ドリームのような逆転の希望がないのだ。
太古の昔にはカーストによる差別に反対してゴータマが仏教を興したが、ヒンドゥの偏見を無くすことは出来ず、雨降って地固まるみたいに逆に偏見を強める結果となってしまった。人間は弱くて、仏教が求める、煩悩を超越する強くて独立した精神性という理想に耐えられない。だからイスラム教やキリスト教に走る。
カーストの意識が根強く残る農村では、生まれた瞬間に一生が終わっている。しかし都会に出れば、自由に生きられる可能性がある。旦那様の婚約者の「ここはムンバイよ、好きなように生きられる」という台詞が耳に残る。
農村の精神性が強く残ったままの主人公は、何もかも捨てて旦那様の愛を受け入れる選択がどうしてもできない。しがらみばかりが網のように心を蔽ってしまう。昔の芸者のように泣いて別れる運命なのだ。しかし女心の残り火はいつまでも消せない。その切なさが本作品の芯である。儚い恋はいつの世も麗しい。バスや列車の車窓から眺めるインドの景色も、いくつかのバリエーションのある主人公の衣装も美しく、ひとつひとつのシーンが心に残る宝石箱のような映画である。
タイトルなし
都会のムンバイで住込みで働く
農村出身の未亡人ラトナ
結婚が破棄になり憔悴しきった雇い主
この二人の関係が静かに変わっていく
.
カースト制度は廃止されたとしても
現実はイギリス以上に厳しい階級社会
ファミリーパーティで食事をサーブしても
ゲストにはメイドの姿は見えていない
そんな社会でシンデレラストーリーは
まだまだ遠い話なのだろうと思いながらも
彼女の自立への一歩を
願わずにはいられなかった
.
.
未亡人はアクセサリーを着けてはいけない
妹の結婚式の写真にも写ってはいけない
田舎では厳しい縛りが残っているそうです
未亡人は一生未亡人のまま
都会に住む進歩的な人達の中でさえ
インド社会では今もそれが現実
.
大げさな描写はなく
流れるように描かれていて好感
インドでの【衣・食・住】
女性監督ならではの視点も注目
非常にシンプルで細やかなラブストーリー
歌って踊らない(踊りのシーンはあるけど)そんなに長くないインドの映画は、ものすごくシンプルなラブストーリー。結婚式直前で婚約者が浮気して破談になってしまったお金持ちの男性と、結婚4ヶ月、19歳で未亡人になってしまった住み込みメイドの静かな恋愛。
男性はアメリカで暮らしていた過去があり、メイドたる女性もきちんと人として扱う。女性は傷ついた男性をそれとなく慰める。
ふたりが本当に少しずつ、そしてぎこちなく距離を縮めていく感じがとても初々しいというか...美しい。ほんのちょっとしたことばや、仕草に感情が如実に現れる様。本当にささやかなシーンの積み重ねでできた繊細さ。
しかしふたりには厳然たる「階級差」があり、加えて女性は「未亡人」であり、決して婚家から逃れられないという宿命を背負っている。突っ走ろうとする男性を諫める彼女が切ない。夢があって、愛があって、そしてどんなに頑張っても逃れられないものがあるということ。
それでも、ラストはほんの少しの勇気で終わる。非常にささやかな終わり方だけれど、仄かな光のような希望が持てる最後だ。
近年稀に見る邦題の秀逸さも評価したい。
身分違い
日本語の題名と予告編を合わせれば、完全なネタバレになっているという驚くほど単純な映画で、眠気を誘う。
原題は「サー(旦那様)」。女中は、御曹司をそのように呼ぶ。一方、御曹司は、女中相手に「サンキュー」や「ソーリー」を連発する、ありえないほど優しい男。所得格差がありすぎて、本来、何も起きるはずがないが・・・。
インドの素晴らしい服飾産業を垣間見せながら描かれる、しっとりとした恋愛物語。カップルでの鑑賞にお勧めかも。
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