「単純な脱亜入欧話ではない」あなたの名前を呼べたなら マサシさんの映画レビュー(感想・評価)
単純な脱亜入欧話ではない
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『19歳で夫を亡くしました。その後、人生はどうなるとおもいます?』
『・・・』
『それで人生は終わりです』
親父の親父、つまり、祖父の母親がラトナだった。だから、僕がその血筋の成れの果てと思うと、他人事ではない。
曾祖母のその後の人生を聞くと、艱難辛苦を乗り越えなければならない大変な人生であったようだ。120年以上前の話だが、日本の明治の中頃の話である。
今の発展途上国の映画の多くが、こう言った格差をアメリカが解決してくれると、語っているようだが、僕はそこが共感できない。この前の『ブルース・スプリングスティーン』かぶれの映画もそうだった。
しかし、この映画はハリウッド的大団円を避けて『邦題の意味する所』で留めている。それが洒落ているし、単純な脱亜入欧話ではない。インド、パキスタン系の音楽がふんだんに使われている事を評価する。
なお、ここでの格差は、元来からある『カースト制』による身分格差ではない。人種、経済、性別、門地によるものと思う。ムンバイ辺りはアーリア人種とドラヴィダ人種の混在する都市。6割はヒンズー教だが、4割は他宗教なので、昔のようなゴリゴリのカースト制は形成できないと思う。そもそも、カースト制は宗教上の身分制度。
追伸 やっぱり、女性の監督でした。良かった。
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