「クリムト55歳没と、エゴン・シーレ28歳没。工芸画家とドキュメンタリー画家。」クリムト エゴン・シーレとウィーン黄金時代 きりんさんの映画レビュー(感想・評価)
クリムト55歳没と、エゴン・シーレ28歳没。工芸画家とドキュメンタリー画家。
僕は、美術館へ行くと
もちろん自分自身がその作品と出会ったり、対話をしたりすることが目的で、それが何よりの収穫なのだが、
会場を一回りしたあとには、今度は
絵を観に来ている人たちの様子=特に彼らの後ろ姿を眺めるのが大好きなのだ。
本作品は、初心者むけの入門用観光ビデオの要素が強くて、ウィーンという街への憧憬を喚起し、我々を旅に誘イザナってくれるものであったと思う。
鑑賞者が退屈せぬようにと、カフェの美しいケーキや、舞踏会の華やかさ、そしてモノクロの記録映像や どこかで誰でも聴いたこともある軽音楽が(年代お構い無しに)BGMとして流れる。
ロダンやアルバン・ベルクの手書き名刺はチラと映ったが、ドンピシャのシェーンベルクとかは、お座なりにしか流さない。
そこでもって、コレクターや識者たちが、その時代や、当時の独特のムーブメントを踏まえての、クリムトとエゴン・シーレへの思い入れを語ってくれる構成。
とやかくはあるだろうが、
それでも、それらゲスト登場人物たちの眼差しや、言葉や、出で立ちを、「ウィーン」という劇場に我々も招かれている雰囲気で、
我々もクリムトとエゴン・シーレの絵の前に立っている「観客」として、また「美術館の展示室の風景」として、彼ら解説者たちのことを僕は後方から眺めて見るから、
この映画においてもマンウォッチングの面白さはたまらない。
夢中になっている人は面白いのだ。
友人のギタリストS君は、展覧会から戻ったあとは「エゴン・シーレ、エゴン・シーレ・・」と独語しながら歩いていた。彼はハマったのだ。
・・シーレやクリムトの作品の中に自分の姿を発見して、絵に呼応をしているのは、つまり若者も老人も おんなじ なのだと思う。
エポックメーキングなあの頃、
「世紀末」とか、「分離派」などというワードは“ブランドバリュー"としては申し分ないけれど、
うんちくを何も知らずとも、最後のシーン、シーレの絵の前で床に座っている若者たちの光景が、僕には大変微笑ましく思える。
子供たちにはどんどん美術館に遊びに行ってもらいたいものだ。
抱擁。接吻。恍惚。裸体。そして睨み返す目や、身欠きにしんのような自画像・・
自分を発見することに躓いている頃の若者には、何よりのプレゼントだ。
でもね、そういえば、
日本の絵画彫刻には男女が並んで絡む作品が、驚きほど少ないなぁ。
どれも男と女とが別個で単体だし、一足飛びだと春画のジャンルになってしまう。
僕はダンスは習ったことはあったけれど、
日常の男女が、日本ではどこにも居ないのが、残念だ。