ペット・セメタリーのレビュー・感想・評価
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Back from where? そっちか!!
2019年からの「IT」「ドクター・スリープ」に続くスティーヴン・キング原作映画の第3弾!世間一般ではそこそこ低評価なのですが意外や意外、面白かったです。ビビりだけどホラー好きなので本作は十分楽しめました。
ちょっと前に昔のバージョン観ててけっこう微妙だったのですが、本作は現代版にアップデートされているので非常に観やすかったですね。物語もサクサク進んでいきますし、作った人はしっかり前作を研究してますね。息子さんじゃなく娘さんが亡くなってしまう所にせよ、ジャドが殺られるシーンにせよ、前作を覚えてると見事に引っ掛かります。息子さんがフラフラと道路に出ていったシーンとか「来るぞ来るぞ」っと思わせといて、「ぬぉ!そっちかい!!」ってな具合になります。
主演がジェイソン・クラークなのも良い!いわゆる中堅所なイメージですが何だか好きな俳優さんです。でもそれよりも娘さん役のジェテ・ローレンスがホントに良かった!生きている時は可愛らしい子供だったのが蘇った後はメッチャ不気味になってます。あの左右ズレてる目とかヤバいです。全力で親を殺しにいくしなぁ。っというかあれはゾンビ仲間を増やしてる感じでしょうか?
何かと敬遠され勝ちな昔のリメイクですが、知ってる人も知らない人も十分に楽しめる純度の高いホラーだと思いました。バッドエンドだけどね!
そして、人種は変わってても、出番が少なくなってても、パスコーはいい奴でした。
オリジナル版をこえた😱
メアリーランバードの映画ペットセメタリーのリメイク。オリジナル作品ももちろん最後まで救われなかったがこの映画も最後まで主人公が救われない。
というかオリジナル版よりおぞましくてこんなにもおどろおどろしいjホラーに近いような洋画ホラー見たことがない😱
おどろおどろしい音楽。そして、あの動物を連想させる不気味な仮面はトラウマ物。最後はバットエンドを想像しゾクッとするそこのところはオリジナル版を思わせる上手さ‼️いやー凄かった😱
50エーカーの森
原作未読、1989年版と続編鑑賞済。だいぶ昔だけど。
メイン州のルドローという田舎町に引っ越してきたクリード一家の飼い猫チャーチが死に、先住民の埋葬地に埋めたことで巻き起こっていく話。
原題は「PET SEMATARY」だけど、邦題はペット・セメタリー(PET CEMETERY)なのもそのまんま。登場人物の名前や設定もそのまんま。
立地が若干異なり原っぱやタイヤブランコなんかはないけれど、概ね1989年版と同様の進行をしていく…途中まで?
あらすじにも書かれているけれど、今回は弟君じゃなくてお姉ちゃんが事故にあう流れで、それによって終盤の能書きとか、展開や落とし方が若干違うけど、一歩間違えたらチャッキーなヤツとか、概ね1989年版と同じ様な感じで、今作を鑑賞していて随分昔にみた記憶が戻ってきた程。
まあそれだけ原作に沿っているんだろうけど。
お姉ちゃんにしたことで、冗舌になったり出来ることが増えたりとかはあるけれど(冗舌は関係ない?)、前作鑑賞済みだと、舞台や演出を現代風に、急な音で脅かしたりするホラー演出は増し増しで作りなおしたらこうなりましたという感じかな。
禁忌の境界線
埋めれば死者が甦る土地、知ってしまったが為の愚行。
家族が死んで蘇ってからの変貌と恐ろしさを期待していたけれど、意外とあっさり描かれてしまった。
生前と蘇り後のギャップをもっとじっくりと味わいたかった。
すぐに大暴れするのではなく、ヒリヒリとした関係を築く方がよっぽど気持ち悪くて恐ろしい。
猫のチャーチのあの感じを少しの間だけ保って欲しかった。
殺意の鬼と化した子供の殺戮ショーはなかなか楽しい。大暴れしてくれてありがとう。
親殺しという禁忌、それを全力で冒しにくる子供の不気味なことよ。
怪演の子役にブラボー。
行き着く先の形もゾクゾクして相当良かった。
親のトラウマに絡めたオカルト脅しが多すぎる。
大概幻覚だから萎えてしまうのよ。いいから実体をもって襲ってきなさいよ!シライサンみたいに!!電気チカチカするならシライサンを出せー!!
いや、オカルト現象も恐怖の幻覚も好きよ。
レイチェルの姉のエピソードはトラウマ必須だし、脳みそ見えちゃってる事故死青年のインパクトも大きい。
しかしどうしてもノイズに感じて仕方なく、「早く家族死なないかな〜」などと思ってしまった。
両親の死生観の違いが面白い。
死は自然なものだなんて、わかっちゃいるけど受け入れきれない。
死にたくない。死にたくないし、もし死んでしまったらあの土地に埋められたい。
どんな形でも私は生きていきたい。
それにしてもこの地域は交通事故多発しすぎ!!
引越し直後の爆音運搬車に一番ビクッッとなったよ…。
魂は戻らない
東宝東和試写室にて試写会鑑賞。原作は読んでないため今作で初めてこの作品に触れた。率直な感想としてはまぁまぁだったかな。時間は約100分。特に退屈に感じることもなく時間はあっという間に過ぎた。
いきなり序盤に車内が血だらけで、なにか訳があったあとのような空き家が映されてストーリーは始まる。
そこに今作の主人公のクリード一家が越してくる。まぁこの時点でこの一家が悲劇に合うのだろうなというのが読めてしまう。
物語は動物のようなお面を被った謎の子供たちが森へ進んでいくところを、クリード家の長女エリーが目にしたことから始まる。彼女は彼らの存在が気になり、森へ進むが、隣に住むお爺さんに止められる。それがきっかけでお爺さんとクリード家は親交を深めるのだが、そこでクリード一家が飼っている猫が死んでしまう。そこからこの物語の核がはじまるわけだ。
猫をエリーが悲しまないよう秘密で森に埋めることにする両親。そこでお爺さんもエリーの悲しむ顔見たくないことから、森の奥深くに埋めることを決める。
そこに埋めると死者が蘇るというのだ。そして翌日、死んだはずの猫が生き返り、クリード家に戻る。
だが、肉体は以前の猫でも性格がまるっきり違い、暴力的になり危害も加えた。父は猫を殺そうとするがうちに秘める愛情から殺せず、森の奥に捨てることにした。
しかし猫は再びクリード家に戻り、そしてエリーが事故死になるきっかけを与えてしまう。
悲しむクリード家だが、父はエリーをあの場に埋め生き返らせることに成功する。しかし猫同様ら見た目はエリーだが、中身は以前のエリーと異なり、暴力的になり、クリード一家全員と、お爺さんを殺し、クリード一家全員を彼女と同じように生き返らせて話は終わる。
今年公開されたキングの作品の中では、個人的には一番ドキドキしたがそのドキドキのままで終わってしまったってのが率直な感想だ。
この作品の一番の核となるこの生き返らせる行為に対してなにか奥深い歴史があるのかと思いきやなにもなかった。
エリーが生き返った後に、序盤に森に誘い出すきっかけとなった動物の仮面を被った子供たちと同じ仮面を被ってお爺さんを殺した。おそらく子供たちも生き返された半死者のような存在なはずだと思うが、特に描かれなかった。
この生き返えさせる鍵となったお爺さんもなにかを知ってるクチなのかと思いきや、特に詳細を語ることなく死んだ。(早くに妻の存在とかもてっきり一度生き返したのかと思ったが…)
それと妻のお姉さん。あれも当初は同じように生き返された存在なのかなとおもった。あんなに醜く化け物のような容姿になってしまう病気…これも何かあるのかなと思いきや何もなかった。
序盤でかなり伏線なりそうなシーンが多かった為、こちらとしてはドキドキしながら集中して見ていたのだが、とくに明確な描写として回収されることはなかったので物足りなさは否めなかった。
まぁ人は死んだら体は残ってていて、仮にも復活させることができても魂は一度死んだら戻らない。こんなストーリーなのかな。運命に逆らってはいけない。欲が招いた悲劇といったストーリーに思った。
cemetery ✖ sematary 〇
Dad? Yeah?
Why don't pets live as long as people?
この映画、120年前に小説家W・W・ジェイコブズによる"The Monkey's Paw"という小説と大筋はクリソツで、そんな事、今さら言うなんて大人気ないと言われるかもしれないけれども、この作品は古典怪奇小説の代表的な作品の1つでもあり、多くの映画や小説でインスパイアされ、また、多様な内容のアンソロジーも多く制作されている。恐怖とコメディは共通点が多いと映画「ゲット・アウト(2017)」の記者会見の時に語っていたジョーダン・ピール監督。彼が立ち上げたプロダクションの名前が、この小説から引用していて、Monkeypaw Productionsと名付けられている。
キングが、自ら語っているところによると40年ほど前にメイン大学で職を見つけ引っ越した先の借家の裏には、実際にペット・セメタリーがあり、地元の子供たちが書いた立て札のせいか、”sematary ” と誤記をしたものをそのまま作品の題名に採用したいきさつがある。しかもキングの愛娘のナオミの飼い猫のスマッキーがこの映画の猫チャーチのように家の前の道路で亡くなるという出来事から小説のヒントをつかんだと原作者本人は述べている。そんな中で出来上がったこの小説は、彼にとっては、精神的に痛みを感じるような厄介な代物らしく、彼の心にとどめるだけで長く封印していたと本人はもっともらしく語っていたけれども、個人的にはマユツバ臭く聞こえる。虚栄心と自尊心の塊のような作家が、そんなとってつけたようなことを気にするわけがない。「シャイニング(1980)」の時でもキューブリック監督が大胆過ぎるほど大胆な演出したものだから、テレビドラマ用として改めて「シャイニング(1997)」を自ら製作し、脚本も書き、製作総指揮としてテレビ映画に深くかかわり、キューブリック監督が亡くなった後になってから声高に批判めいた「なりは大きくて美しいけれどもエンジンの載っていないキャデラック」と表立って、キューブリック監督の「シャイニング」を名指しで揶揄している事が挙げられる。
また、映画の大ヒットがもたらす印象が一般の心の中にイメージとして残り、似通った内容から「ペット・セマタリー」が”シャイニング”の姉妹本あるいは双子の小説とあからさまに思われないために、そのほとぼりを冷ますために、ある程度の期間を置き、出版したのではないかと邪推してしまう。それと当時のアメリカの出版界の常識的・風潮として、年間に一冊の本を出版するのが通例にもかかわらず、彼はペンネームを変えてまで多作家として知られている。そんなこんなで、この人の事を知れば知るほど一般の読者として彼の小説から離れていく思いを味わわなければならなくなる。
Sometimes dead is better.
1989年に公開された映画「ペット・セマタリー」。原作者のキング自身が、脚本を手掛け、しかも牧師としてちゃっかりカメオ出演をもしていた作品のリメイクとされる本作。シナリオがラストを含め大幅に改変されていることで、amazon.comのレビューを見ていると、作品の持つイメージが壊されたと語っている方が多くいらっしゃる。本作を見るにつけ、ゲージの年齢を少し前作よりも幼くしているのに最初、戸惑いと違和感だけが感じられたけれども、言葉をまだ話せない年齢まで引き下げた理由が、ラストの内容と犠牲者を変更する意味があったのだと、後々わかるものとなっている。たしかにその内容だけに限定するなら前作よりも本作のほうが、犠牲者を変えたことによる話の流れがとても分かりやすくなり、躍動感が生まれ、飲み込みやすくなっている。しかし、その反面、芸術的な点から言わしてもらえるなら、1989年版のほうが”Wendigo”が住むとされるペット・セメタリーの場所の構図や位置関係のバランスが良く、何故アートディレクターの名前が一番にあがるのかがわかるほど素晴らしく、いくらホラー映画とはいえ、ペット・セメタリーのシーンを暗闇やスモークを焚いただけで終わり、"忌み嫌われた土地"の全体像を見せない、お茶を濁すように安直に描いていると言われるのは否めない。
Daddy. what if Church dies?
What if he dies and has to go to the pet sematary?
キング自身も我が子から尋ねられたらどうしようか?と前々から思っていた簡単であるけれども悩んでしまう難しい質問をエリーからされてしまうルイス医師。医師である前に科学者としての見解から、霊界という不確かな存在を全否定する立場にいる。エリーが、幼くても人間の摂理を理解できないのは分かっていても、それでも親として真正面から説明しなければならない責任感がある。その彼の立場とは正反対に妻のレイチェルが、抱えるトラウマの為に彼女にとっての掛けがえのない姉が今は、素晴らしい場に居てほしいという心の葛藤もこの映画の大事な要因になっている。(ただし、レイチェルの心は闇に沈んでいる。Adult Childrenか?)
キューブリック監督が描いた「シャイニング」のオーバールック・ホテルがあたかも異次元同士の緩衝地帯という不安定な場所にして映画全体のシチュエーションを曖昧な設定にしたことが正解で、この映画における"cemetery"という場所が、北に住むネイティブ・アメリカンが信じる邪悪な人食いとも称される"The Wendigo"という魔物が支配している"忌み嫌われる土地"の設定にしたことは、共通点が多くなったような?しかも科学至上主義的なルイス自ら「シャイニング」で見せたダニーの父親ジャックのようにWendigoに魂をもてあそばれるように狂気に走っていく。
The Wendigo.
It was myth.… It wasn't just some campfire story.
They believed it. They feared it.
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Yeah, they knew the power of that place.
They came to believe that those woods belonged to something else.
That the ground was bad. ・・・・・・・・・Sour.
この映画の後半は、何と言ってもエリー役のジェテ・ローレンス さんの演技無しでは存在できない映画で、死の世界から蘇った後の風呂場での彼女の両方の目があらぬ方向に向いているのをどのように撮ったのか不思議で、その表情を見ているだけで、忌まわしすぎる。しかも、いくらスタンドダブルを使ったとはいえ、彼女のアクションシーンは、ただの子役とは言えない迫力のある出来栄えになっていました。拍手ものです・・・・・パチパチ。
ガーディアン・エンジェルとしてのパスコウの存在。交通事故にあった青年で、ギミックを使ったゴア表現まる出しの格好で、そのまま登場し、脳みそ半分ドバ~ッと出ているにもかかわらず、けなげにルイスのそばに寄り添い、”You helped me.”って毎回のようにのたまい、とにかく忠告しまくりの好青年にもかかわらず、その外見のせいでキショイとしか見えない方なんだけれども、ここでも”ホワイトウォッシング”のせいか黒人青年に変更されているし、出番までも少なくなっている。いい奴という言葉がぴったりの善い霊でした。
前作では、向かいの家に住みルイスにペット・セマタリーの存在を教えることで2人共々窮地に自らを追いやってしまい、"後悔、先に立たず"を地で行くようなジャッド役にフランケンシュタインのイメージを180度変えてくれた怪優フレッド・グウィンさんが出ていたので、ただただ拍手を送るだけでその存在感があふれている人です。今回はオールマイティー俳優の知る人ぞ知るジョン・リスゴーさんが演じておられています。
"Bury your animal.
I'd help you, but you have to do it yourself.
And use some of these rocks to make a cairn."
この映画の特徴である"Jump scare"ホラー。一部の批評家は、"Jump scare"ホラー映画を視聴者を怖がらせる怠慢な方法と説明してあり、近年のホラージャンルへの過度の依存によりホラー映画が衰退し、現代において決まり文句として成り立っている。・・・と。
Cultured Vulturesというサイトから「ペット・セマタリーには確かな恐怖とパフォーマンスがあるが、他の最近のスティーブン・キングの映画のように偉大さを達成することはできないでいる。」この人の言っていることはあながち間違えではなく、キングの小説の映画化と聞くと自然と触手が伸びて見たい気持ちにかられるけれども、それに呼応して反転するように、失望も大きくなる負の現象も同時に起きる場合がある。つまり総じてゾッとするけど、十分でないと思ってしまう。なおさらスラッシャー映画の主人公が子供となると限界も感じてしまう。そんな映画かもしれない。
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