「cemetery ✖ sematary 〇」ペット・セメタリー Naakiさんの映画レビュー(感想・評価)
cemetery ✖ sematary 〇
Dad? Yeah?
Why don't pets live as long as people?
この映画、120年前に小説家W・W・ジェイコブズによる"The Monkey's Paw"という小説と大筋はクリソツで、そんな事、今さら言うなんて大人気ないと言われるかもしれないけれども、この作品は古典怪奇小説の代表的な作品の1つでもあり、多くの映画や小説でインスパイアされ、また、多様な内容のアンソロジーも多く制作されている。恐怖とコメディは共通点が多いと映画「ゲット・アウト(2017)」の記者会見の時に語っていたジョーダン・ピール監督。彼が立ち上げたプロダクションの名前が、この小説から引用していて、Monkeypaw Productionsと名付けられている。
キングが、自ら語っているところによると40年ほど前にメイン大学で職を見つけ引っ越した先の借家の裏には、実際にペット・セメタリーがあり、地元の子供たちが書いた立て札のせいか、”sematary ” と誤記をしたものをそのまま作品の題名に採用したいきさつがある。しかもキングの愛娘のナオミの飼い猫のスマッキーがこの映画の猫チャーチのように家の前の道路で亡くなるという出来事から小説のヒントをつかんだと原作者本人は述べている。そんな中で出来上がったこの小説は、彼にとっては、精神的に痛みを感じるような厄介な代物らしく、彼の心にとどめるだけで長く封印していたと本人はもっともらしく語っていたけれども、個人的にはマユツバ臭く聞こえる。虚栄心と自尊心の塊のような作家が、そんなとってつけたようなことを気にするわけがない。「シャイニング(1980)」の時でもキューブリック監督が大胆過ぎるほど大胆な演出したものだから、テレビドラマ用として改めて「シャイニング(1997)」を自ら製作し、脚本も書き、製作総指揮としてテレビ映画に深くかかわり、キューブリック監督が亡くなった後になってから声高に批判めいた「なりは大きくて美しいけれどもエンジンの載っていないキャデラック」と表立って、キューブリック監督の「シャイニング」を名指しで揶揄している事が挙げられる。
また、映画の大ヒットがもたらす印象が一般の心の中にイメージとして残り、似通った内容から「ペット・セマタリー」が”シャイニング”の姉妹本あるいは双子の小説とあからさまに思われないために、そのほとぼりを冷ますために、ある程度の期間を置き、出版したのではないかと邪推してしまう。それと当時のアメリカの出版界の常識的・風潮として、年間に一冊の本を出版するのが通例にもかかわらず、彼はペンネームを変えてまで多作家として知られている。そんなこんなで、この人の事を知れば知るほど一般の読者として彼の小説から離れていく思いを味わわなければならなくなる。
Sometimes dead is better.
1989年に公開された映画「ペット・セマタリー」。原作者のキング自身が、脚本を手掛け、しかも牧師としてちゃっかりカメオ出演をもしていた作品のリメイクとされる本作。シナリオがラストを含め大幅に改変されていることで、amazon.comのレビューを見ていると、作品の持つイメージが壊されたと語っている方が多くいらっしゃる。本作を見るにつけ、ゲージの年齢を少し前作よりも幼くしているのに最初、戸惑いと違和感だけが感じられたけれども、言葉をまだ話せない年齢まで引き下げた理由が、ラストの内容と犠牲者を変更する意味があったのだと、後々わかるものとなっている。たしかにその内容だけに限定するなら前作よりも本作のほうが、犠牲者を変えたことによる話の流れがとても分かりやすくなり、躍動感が生まれ、飲み込みやすくなっている。しかし、その反面、芸術的な点から言わしてもらえるなら、1989年版のほうが”Wendigo”が住むとされるペット・セメタリーの場所の構図や位置関係のバランスが良く、何故アートディレクターの名前が一番にあがるのかがわかるほど素晴らしく、いくらホラー映画とはいえ、ペット・セメタリーのシーンを暗闇やスモークを焚いただけで終わり、"忌み嫌われた土地"の全体像を見せない、お茶を濁すように安直に描いていると言われるのは否めない。
Daddy. what if Church dies?
What if he dies and has to go to the pet sematary?
キング自身も我が子から尋ねられたらどうしようか?と前々から思っていた簡単であるけれども悩んでしまう難しい質問をエリーからされてしまうルイス医師。医師である前に科学者としての見解から、霊界という不確かな存在を全否定する立場にいる。エリーが、幼くても人間の摂理を理解できないのは分かっていても、それでも親として真正面から説明しなければならない責任感がある。その彼の立場とは正反対に妻のレイチェルが、抱えるトラウマの為に彼女にとっての掛けがえのない姉が今は、素晴らしい場に居てほしいという心の葛藤もこの映画の大事な要因になっている。(ただし、レイチェルの心は闇に沈んでいる。Adult Childrenか?)
キューブリック監督が描いた「シャイニング」のオーバールック・ホテルがあたかも異次元同士の緩衝地帯という不安定な場所にして映画全体のシチュエーションを曖昧な設定にしたことが正解で、この映画における"cemetery"という場所が、北に住むネイティブ・アメリカンが信じる邪悪な人食いとも称される"The Wendigo"という魔物が支配している"忌み嫌われる土地"の設定にしたことは、共通点が多くなったような?しかも科学至上主義的なルイス自ら「シャイニング」で見せたダニーの父親ジャックのようにWendigoに魂をもてあそばれるように狂気に走っていく。
The Wendigo.
It was myth.… It wasn't just some campfire story.
They believed it. They feared it.
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Yeah, they knew the power of that place.
They came to believe that those woods belonged to something else.
That the ground was bad. ・・・・・・・・・Sour.
この映画の後半は、何と言ってもエリー役のジェテ・ローレンス さんの演技無しでは存在できない映画で、死の世界から蘇った後の風呂場での彼女の両方の目があらぬ方向に向いているのをどのように撮ったのか不思議で、その表情を見ているだけで、忌まわしすぎる。しかも、いくらスタンドダブルを使ったとはいえ、彼女のアクションシーンは、ただの子役とは言えない迫力のある出来栄えになっていました。拍手ものです・・・・・パチパチ。
ガーディアン・エンジェルとしてのパスコウの存在。交通事故にあった青年で、ギミックを使ったゴア表現まる出しの格好で、そのまま登場し、脳みそ半分ドバ~ッと出ているにもかかわらず、けなげにルイスのそばに寄り添い、”You helped me.”って毎回のようにのたまい、とにかく忠告しまくりの好青年にもかかわらず、その外見のせいでキショイとしか見えない方なんだけれども、ここでも”ホワイトウォッシング”のせいか黒人青年に変更されているし、出番までも少なくなっている。いい奴という言葉がぴったりの善い霊でした。
前作では、向かいの家に住みルイスにペット・セマタリーの存在を教えることで2人共々窮地に自らを追いやってしまい、"後悔、先に立たず"を地で行くようなジャッド役にフランケンシュタインのイメージを180度変えてくれた怪優フレッド・グウィンさんが出ていたので、ただただ拍手を送るだけでその存在感があふれている人です。今回はオールマイティー俳優の知る人ぞ知るジョン・リスゴーさんが演じておられています。
"Bury your animal.
I'd help you, but you have to do it yourself.
And use some of these rocks to make a cairn."
この映画の特徴である"Jump scare"ホラー。一部の批評家は、"Jump scare"ホラー映画を視聴者を怖がらせる怠慢な方法と説明してあり、近年のホラージャンルへの過度の依存によりホラー映画が衰退し、現代において決まり文句として成り立っている。・・・と。
Cultured Vulturesというサイトから「ペット・セマタリーには確かな恐怖とパフォーマンスがあるが、他の最近のスティーブン・キングの映画のように偉大さを達成することはできないでいる。」この人の言っていることはあながち間違えではなく、キングの小説の映画化と聞くと自然と触手が伸びて見たい気持ちにかられるけれども、それに呼応して反転するように、失望も大きくなる負の現象も同時に起きる場合がある。つまり総じてゾッとするけど、十分でないと思ってしまう。なおさらスラッシャー映画の主人公が子供となると限界も感じてしまう。そんな映画かもしれない。