わたしは光をにぎっているのレビュー・感想・評価
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来年は昭和100年だぞ。
都会はこれだけ仕事が無くて住みづらい。
でも、田舎はもっと仕事が無くて、モハヤ住めない。
つくづく思うよ。狭いのに、この国はどこへ行っても住みにくい。
10年から40年先を見越した生活が出来ない国になったんじゃないかなぁ。そりゃ、少子化にもなりょう!それで『75歳なったらさよならね』としたら、仮に40年仕事を続けられたとして、後は余命10年も無い。
変わって行く街に哀愁なんて感じる事は無い。老人だっていつかは死ぬ。だから、昔からの風景は変わるものなのだ。昔の風景を知らない者にとっては立石のアーケードもセンベロ横丁もどうでも良かろう。それよりも、早く駅にエスカレーター付けてくれ。
最近は環七を迂回できる道を見つけたので、高砂小橋から中川の高砂橋を渡って、川に沿って環七の下を潜って、青砥駅を迂回して、葛飾区役所迄行く事にしている。勿論、電動自転車を使ってね。15分もあれば行ける。
定期券持ってないので仕方ない。老人にも生活しにくい所だが、区画整理されて映画館が閉館になったり、銭湯が閉まっても僕の生活には支障は全く無い。
昭和を思いやるのは良いが、昭和は遠くなりにけり。どんどん、時間は進む。止まってしまったのは昭和文化の時間だけ。来年は昭和100年だぞ。早くセンベロで飲みたい者もいるだろうが、新しい立石は『10ドル横丁』だろうね。
因みにリトル・エチオピアは四つ木だよ。
書店にある、写真いっぱいのソフトカバーの本のような映画!!
写真集のようなロケーションばかりで、選定に凄く拘ったのを感じました。やりたい事じゃ無くできる事をやれ、どんな小さな事でもできる事をやれ、見る目と聞く耳それがあれば大丈夫、等と、今現在人生が停滞している者へのメッセージが込められていました。知恵と行動でもって身一つで生き、何も持たざる者が全てを持っているとすれば、タイトルの「わたしは光をにぎっている」に繋がると感じました(終盤作中では終盤、言葉の事を光と言っていましたが)。海外展開を意識していると思いますが、序盤で「時給985円スタートで」という台詞があり、諸外国の半分で皆ビビると思います(アメリカの最底辺で月収25万円)。最後はポエムになり、書店の自己啓発本ノコーナーにある、写真いっぱいのソフトカバーの本のような映画でした。
見る目、聞く耳、それがあれば大丈夫。
映画「わたしは光をにぎっている」(中川龍太郎監督)から。
まずは、タイトルの「私は光をにぎっている」は、
「詩人・山村暮鳥の詩集」の一節。
何度か、登場するフレーズなので、記録してあるが、
私の記憶では、山村暮鳥さんと言えば、教科書に載っていた、
詩集「雲」を思い出していた。
「おうい くもよ ゆうゆうと ばかに のんきそうじゃ ないか
どこまで ゆくんだ ずっと いわきだいらの ほうまで ゆくんか」
の方が好きだった。(汗)
さて、気になる一言は、何度か使われていたフレーズ、
「見る目、聞く耳、それがあれば大丈夫。」とした。
働く基本、いや、コミュニケーションの基本、
いやいや、生きる基本として、掲げた言葉なのかもしれない。
何事もよく観察して、謙虚に人の話を聞く姿勢さえあれば、
どんな境遇に身を置いても大丈夫、ということだろうか。
個人的には「銭湯の値段(入浴料金)」
「大人460円・中人180円・子供80円」が気になった。
「中人」って、中学生・高校生だったっけかなぁ。
ブルーレイも買いました
人におすすめ度⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎ 主演:松本穂香
東京の下町の銭湯で繰り広げられる人間模様でちょっと泣ける ・温かい映画
・銭湯に行きたくなる
・主人公が少しずつ、本当に少しずつ成長していく感じがとてもよい
最後の方で商店街の人たちの笑ってる映像を銭湯で写してみんなでそれを見るっていうのがエモかった
ラストシーン、主人公が帰るところで終わるのかなと思いきや、最後には、1年後となって新しい銭湯の番台を勤めている終わり方だった
どちらの終わり方でもいいなーと思った
詩人の人が、「いつ終わっても良い映画」と言っていて、本当だなと思った
上京する自分と重ねて見た
ああいう下町で住もうかなと本気で考えた
結果的に大都会池袋に近い物件に決めたんだが
今自分は地元で暮らしていて、とてもよい居場所があって、それを失う怖さはあるが人生は一度しかないから頑張ってみようと改めて思った
主題歌が本当に良くてほぼ毎日聴いてる
光の方へ/カネコアヤノ
それにしても松本穂香ちゃんかわいかったー
すべての事に終わりは来るけれど、それでも諦めず前に進もう。…そんなメッセージを感じる作品でした。
ボスターの松本穂香の憂い顔がいいなと感じて鑑賞しました。
再開発の名のもと壊されていく町。
その町の銭湯に居場所を見つけかけていたヒロイン。
これはきっと、そんなノスタルジックな雰囲気を味わう
作品なのだろうと。そんなことを思いながら観てました。
地元のローカル駅で
仲間に背を向けてホームに向かうヒロインの姿に共感。
行きたくない。 けれど
行かないと前に進めない
だから行かなくちゃ。 …うん。分かります
☆
タイトルを見たときに、どことなく「詩的なイメージ」と思ってまして
調べてみると、出典がありました。
山村暮鳥(やまむらぼちょう)
明治の詩人にして児童文学者。
詩集「梢の巣にて」の
「自分は光をにぎつてゐる」という詩。 ← こちらでは「わたし」でなく「自分」
※ 私は手の中に、光をにぎりしめている。 そのはずだ。
一度手にしたものは、なにがなんでも手放すものか。 (意訳…)
このような思いが込められた詩かと思いまして
そう思いながら作品を振り返ってみたら、もっと別のメッセージが
見えたような気がしました。
「失敗や挫折なんかに負けずに、たくましく生きていこうよ」
そういうことなのでしょうか。
ラストの場面、ヒロインは場所を変え、他の銭湯にて働いておりました。
☆
祖母のひとこと
「自分に出来ることから始めなさい」
本当にそう思います。 しみじみ。
中川龍太郎監督
「四月の永い夢」のカントクさんでした。
まだ20代ですか 若いなぁ
生きることの儚さとか再生とか
そういうものをテーマにするのが好きな人なのかなと思いました。
次の作品もすぐにあるみたいなので、自分的には要チェックです。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
立石と澪の思い出と旅立ちの物語。
住んでいる所の近くの立石が舞台で、その立石にある銭湯をテーマにした作品とあって興味があり、鑑賞しました。
で、感想はと言うとまぁまぁw
面白いかと言えば、…な感じですが、嫌いではないですw
澪の成長を描いた物語でもありますが、立石の風景が徐々に失われてく物語でもあります。
最初、立石の銭湯奮闘記的な作品かと思い、「こち亀」の秋本治先生が描いた漫画「いいゆだね!」を思い浮かべました♪
長野県の湖畔の美しい風景と立石と言う下町の風景のコントラストが楽しい♪
また、銭湯好きにはたまらない銭湯での描写も豊富なのに、小さな映画館の描写まである。
ここに立石の様々なディープな飲み屋や食べ物屋も加わる。自分の好きな物の描写がいっぱい♪
こう言ったのが好きな人にはたまらんですw
ですが、お話はものすご~くゆったりとした感じでまるでドキュメンタリーを見ている感じ。
起承転結がある様で無い様な感じです。
内にこもる感じの澪は圧倒的に口数が少ない。
感情を出す事も少ない。すっぽん屋で美琴にからかわれた時なんかは正直“うわ~面倒くさい女”と思いましたw
また、周囲の人々も割りとそんな感じ。
だから徳永えりさん演じる美琴なんかを見るとホッとしますw
澪は結局何をやりたかったんだろう。
自分の意思で東京に出た訳ではないとしても、やりたい事を見つけようとはしている風に見えない。
ラストでは結局銭湯が好き。人が好きと言う解釈をしましたが、それでもこの東京で抗ってる様には見えない。
ただ、澪の東京を触媒にした小さな小さな成長の物語ではあります。
雰囲気を楽しむ作品と言う感じでしょうか?
なので、何処かこの作品から引っ掛かるキーワードが無ければ、多分楽しめないのではないかと。
自分も鑑賞前は割りとハードルを上げていたので、ちょっと肩透かしな感じはしました。
主人公の松本穂香さん演じる澪が淡々とした感じでそれがそのまま作品の雰囲気になってます。
あまりにもゆったりとした感じで事件らしい事件も特に起きない。
でも、時間は流れ、身の回りにある様々な懐かしい物が取り壊され、廃業していく。
切ないです。でもそれでも人はそれらに対応しながら生きていく。
当たり前の事なんだけど、改めてそれを目にすると切ないんですよね。
松本穂香さんは「おいしい家族」でも主演されていましたが、この作品では全く違う女の子を演じられてます。
自分が気になるミニシアター系の作品に軒並み出演が決まっていて、今後も気になる女優さんです。
ゆったりでもあり、淡々とでまあり、あるがままでもあり、それを受け止める。
諸行無常と言う言葉が一番適切かも知れません。
抗うとすれば、澪が発した“しゃんと終わらせる”と言う事。
しゃんと終わったかと言うと、終わってない気もしますが、何かをしゃんとしようとしたのは確かです。
立石と言う街は葛飾区の中でも屈指のディープタウンで呑兵衛の聖地と言われてますが、何処か時間がゆっくりと流れ、時代から少し取り残された様な街。
交通の便は少し悪くてw、陸の孤島の様な感じw
でも、昭和にタイムスリップした様な感覚になり、とても面白い街でここでしか味わえない事が沢山ある。
近年では再開発が頻繁に行われているが、正直この街にそれが必要かと言えば必要とは思いません。
銭湯が大好きで銭湯が閉店していくのは正直辛い。
自分の実家では半径2km圏内の銭湯は全て閉店してしまいました。そう考えると東京はまだまだ銭湯が沢山在る方。
それでも銭湯が少しずつ無くなっていく。
だからこそ、忸怩たる思いが沸き立ち、無くなっていく風景が寂しい。
そんな思いに浸れる作品です。
ミニシアター系らしい作品で、淡々とした作品なので観る人を選ぶ感じですが、大作系の鑑賞が続くと一服の清涼みたいな感じがします。
口直しの漬物みたいなw
下町と銭湯に興味がありましたら、如何でしょうか?
共感性が大事になる
僕は29歳であり、作品のような町、風情といったのに直接触れた事がない。頭や心で雰囲気は分かったつもりであったり、またこういう町や風情は楽しかっただろうなということは理解しててもやはり直接触れた事がないためやはりイマイチピンとこない部分もある。
そのためこの作品の舞台の良さになかなか共感を生むことはできなかった。
もちろん作品自体を否定的な見方や感想を生まれる事はなかったが、良くも悪くも、そうなんだくらいの無関心に近い感想しか生まれる事ができなかった。
主人公の澪やお世話になった京介さんをはじめ口数が少ないキャラクターが中心となるため、表情や情景で色々と想像を描き巡る必要がある。やはりあの舞台をあまり理解してないとあまり想像が追いつく事ができなかった。
舞台となる銭湯もあまり利用したことなく、どちらかというとスーパー銭湯が好きだったり、食事処なんかもチェーン店のレストラン、複合施設なんかが大好きな僕にとってはやはり共感を生む事ができなかった。
上にも書いた通りだからといって否定的な見方はしてないのだがこの共感が生めないってのはある意味怖い事である。古き時代の良き事がまさに消え去っていくわけだ。
もちろん僕の同世代やさらに下の世代の人にも共感できたり楽しめる人もたくさんいるだろう。僕が経験なき事に対して共感性が乏しいのであることを実感した。
ただ同じ者も沢山いると思う。そういう人達にとってもこうやって作品として残していくことはとても大切なのであろう。
現時点ではあまり楽しむ事はできなかったが、今後こういうった町の楽しさを体験することでまた違った見方ができるのかもしれない作品のように感じた。
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