わたしは光をにぎっているのレビュー・感想・評価
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☆☆☆☆ 〝言葉が在れば大丈夫。言葉は光だから〟 形有る物はいつか...
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〝言葉が在れば大丈夫。言葉は光だから〟
形有る物はいつかは壊れる運命(さだめ)
但し。人の心の中生き続けているモノを、強制的に壊すのはどうしても受け入れ難い。
ヒロイン役の松本穂香がとにかく良い。
おそらく、暫くは彼女の代表作になるのでは?と思わされた。
如何にも典型的な《田舎娘》の彼女。これから都会で暮らして行く事に対して、心に不安を宿す雰囲気が。言葉を発せずともしっかりと表現されていた。
作品中に、彼女を巡っての《処女論争》が在るのだが。その後に、謎のエチオピア人達と打ち解ける彼女の姿は、まさに《処女性》を溢れさせており。おじさんちょっと嬉しくな……ゴホっ!
おっちゃんも《処女論争》を巡るバカな男なんざんすね〜(@ ̄ρ ̄@)
そしてもう1つ。この映画の主役となるのは。やがて再開発によって消え行く運命(さだめ)にある、葛飾・立石の路地裏の魅力的な風景に違いない。
東京に出て来た彼女が、踏切に立っていた場面で直ぐに「あ?立石だ!」と分かる。
映画に出て来る路地裏も(住んでは居ないが)大体の位置関係が分かるのは、下町に住み続けている強みか?( ^ω^ )
やがて、1人の男が舞台となる小さな銭湯から後ろ姿で現れ。
その後ろ姿の一瞬だけで光石研と認識出来。その瞬間に、自分の中で「この映画は当たりだ!」と確信した。
最近の光石研はどんな役を演じても良いのだが。この映画のキャラクターもまた絶品!
いづれは立退かねばならない銭湯の主人の悲哀を絶妙なバランスで演じていた。結構な頻度で酔っている役だったが( ˘ω˘ )
この映画には、やがて解体される運命(さだめ)の建物や場所・商店等が数多く登場する。
そのどれもが、その地に住む人々の心にしっかりと根付ていたモノだった。
実を言うと、我が家周辺でも再開発の波が止まらない。
今や東京を代表する建造物が近くに有る為に。地主は、「今が売り時!」とばかりに…。
生まれた土地に住みつつ、後数年後にはこの地を後にしなければならない運命(さだめ)
それだけに。今の自分の気持ちと、作品の訴えるモノが痛い程に伝わって来る。
【聴く耳】そして【見る目】
困った事が有ったら、それを心に明日へと立ち向かおう。
言葉が在れば大丈夫!
言葉は光だから!
光は1人1人の心の奥に宿っている筈。
何の情報も無しに観たら、思いのほか素晴らしい作品と出会えた喜び。
これこそが、映画フアンとしての最大の喜びに他ならない。
だから明日も映画館へ行くのだ!
(おそらくは)全く評判にまならない存在の映画かと思いますが。今年の日本映画を代表する1本だと確信しています。
2019年11月17日 TOHOシネマズ流山おおたかの森/スクリーン1
うーん…
前作にも感じた上っ面の綺麗事が並べられてて腹が立った。
あと、主人公の銭湯における日常の風景が、丁寧に切り取られていたが、あまりにもぎこちなさすぎて違和感しか覚えなかった。雰囲気映画の極北と言って感じ。詩人だもんね。ただ上っ面の人間賛歌にはほとほと嫌気がさしてきます
色々なものの終わり方の話
松本穂香さん目当てで鑑賞。ホンワカして可愛らいが、ホンワカしすぎかも(笑)
映画の主題もわからず観ていました。前半はとても綺麗な映像があったりしますが、良くも悪くも普通の生活。どちらかと言えば、「もっとシャキッとしろ!」と言いたくなる。
後半は言いたいことが分かり、ようやくしっくり来ました。
銭湯と単鑑映画館。
どちらも時代と共に無くなりつつあるもの。
単に古いものを無くさない、古いものを大切に、という事ではなく、どうやって終わるのか、終わり方が大切。人生も同じだな、、という感想です。
ただ、出演者、立石、商店街、などに思い入れがらないと辛いかも。
後味はとてもいいし、文字で説明できない独特な雰囲気だった。
【”形あるものはいつかは無くなる。が、言葉はいつまでも残る・・”銭湯がある街は住みやすいに決まっている、と勝手に思っている・・。】
ー 銭湯がある街は住みやすいに決まっている、と勝手に思っている。ー
■ある事情のため、美しい景色に囲まれた地方の町から都会の中の古き商店街の一角にある銭湯”伸光湯”に住むことになった澪(松本穂香)。
最初は都会の生活リズムに戸惑う。
しかし、商店街の人々(古いミニシアター関係者、中華ソバ屋、八百屋さん、カレー屋さんに集う異国の心温かき人々・・)と触れ合う中で頼りなげだった澪の生きる姿勢が少しづつ変化していく様を優しく映し出す。
・そして、銭湯を営む酒好きの中年男が抱える複雑な想いを光石研が流石の演技で魅せる。
・自分の目の前の、出来ることから少しずつ・・。
・終わりまできちんとやることが多分、大切・・。
・劇中の何気ない言葉の数々が心に沁みた。
・澪が生活する事になった街の、猥雑だが、どこか懐かしき風景が美しい。
<山村暮鳥の一片の詩を基に、商店街の人々が「都市再開発問題」の中で悩みながらも、逞しく生きる姿と生活する音を、澪が自分の”目”と”耳”できちんと感じて成長していく姿が愛おしく、商店街の人々の姿も尊く感じた作品。>
<2019年11月16日 伏見ミリオン座にて鑑賞>
生き方が不器用でも良いじゃないか
時代の最先端を行かないor行けない。時間の早い流れに戸惑う。そんな生き方ってダメですか?ダサいですか?まったりと生きるのもあるよね。そんなことを考えてしまう映画です。
この作品を見て「イラッと」した人は、心が、人間離れした時間の流れや欲に絡め取られてしまっているかも。(かくいう私も、少しイラッとしてしまった。まだまだ修行が足りないみたい笑)
画面が語りかけてくる映画
序盤の、上京する主人公を見送るシーンで、画面を4分割した右下に人物が固まっている構図を見て、失敗した!と思いました。
背が低いので、前の人の頭でスクリーンが見えないストレス回避の為、劇場では最前列の端を狙って座る癖がついているのですが(さすがに最前列の中央だと画面全体が見にくいので、端から全体を見る作戦)
この作品は、正面から見たかった〜。
食堂の椅子…いいなぁ。
あ、カーペットのこの感じ…いいなぁ。
入り口のガラス戸越しの湖もいいなぁ。
よくこんなの見つけてきたな〜。と感心しきりでしたが、この駅前の4分割シーンを見た時に、そうか!実は見せたいのはこれだったのか!!と気づきました。
監督曰く「人のいる風景」
人間が集まって“場所”を作っていると思いがちだけれど、場所によって人が生かされることもある…そんな監督の場所への思いが詰まった映画でした。
ゆっくり、じっくり見せられるワンシーンからは、いろんな声が聞こえてきます。
主人公が身を寄せる銭湯も、いちいちイマジネーションがかき立てられる!
光石研さん演じる涼介について、多く語られる事はないけれども、その部屋で彼の人となりがわかるww
そして、主人公に与えられた部屋の、ものすごく日に焼けた襖!!
家具の後も残っていない波打った畳からも、使われなくなって随分年月が経っている事がわかる。
もしかして、以前この部屋を使っていた人って…と想像が広がる一方で
カーテンの無いガランとした部屋は、私自身が一人暮らしを始めた日の、不安とドキドキが混ざり合った気持ちまでをも呼び起こし、一気に主人公に近づいた気がしました。
どこかで知っている風景に感じる、記憶のデジャブとでも言いますか…。
場所に対する懐かしさと愛おしさが随所にあって
それらは全て、映画のクライマックスに明かされる出来事に繋がっています。
いったい彼女はどんな居場所にたどり着くのか?
不器用ながらにも、一歩を踏み出す主人公を応援したくなる映画でした。
追記:後半にかけての光石研さんの演技が素晴らしい。
やさぐれた酔っぱらいは名人芸の域だし、カップラーメンを食べる姿に泣けます。
新しいビルばんばん建ててるけどこういう色んな想いをちゃんと知って覚...
新しいビルばんばん建ててるけどこういう色んな想いをちゃんと知って覚えておかなければなと。にぎって開いてみたらなくなっていたら嫌だからずっとにぎってる。でもそれじゃだめ。
鍋のとことかどう感じればいいかちょっと戸惑った。カメラがずっと遠目なので、ずっと見守っているような、一定の距離感で覗いている感じ。もう少し余裕のある人間になったら澪をあったかい目でみれるかなー
野尻湖の朝、銭湯での光の差し込み、いろいろ美しい。
暖かい
汐留にて舞台挨拶+試写会に参加。
ほっこり、という言葉の意味はよくわからないが、こういう時に使うのかな、と思った。
監督は、私の住んでいる登戸出身。その風景が変わっていくのを見たのが、この作品を作るきっかけだったとの事(確かに今、むっちゃ開発されてる)。
私が登戸に越してきたのは、もう13年前。監督が高校生の頃。多感だったんでしょうね。
最後に挨拶して頂いた時、「次は登戸を舞台にした映画、撮ります」との事。
むっちゃ、期待してます。
無くなるもの、残るもの
ふんわりと優しく降り注がれる優しい光は心を紡いでくれるようだった。
傷んだみかんあげるよ、コロッケ余ったから食べてね、人と人が行き交うごちゃごちゃした街並み、いつかは無くなってしまうかもしれないけれど、形を変え、確かに存在するものがある。
でこぼこした、街並みが、今はとても恋しいです。寂しさと、嬉しさが込み上げてきた。
温泉の力が彼女を成長させてくれたんだね(о´∀`о)
念願かなって、大好きな松本穂香ちゃんの完成披露試写会に参加させてもらいました(о´∀`о)
なんて優しそうな雰囲気なんでしょう。
彼女の笑顔は人を癒してくれます(//∇//)
仕事で疲れた体を、心地よくほぐしてくれるかのような、優しいオーラに包まれていました。゚(゚´ω`゚)゚。
彼女の優しい雰囲気が、この映画にぴったりとあっている感じです。
監督曰く、「翔べない時代の魔女の宅急便」がこの映画のテーマだそうです。
改めて考えると、確かに彼女が上京して、自分の生き方を決めていく姿はすごくよくキキの姿に似ている気がしました。
周りのキャストの方々もとてもフレンドリーで、役の雰囲気ピッタリ。
映画監督を目指す青年を、渡辺大知さん。
いろんな恋を繰り返す会社員を、徳永えりさん。
身寄りのないみおこと、松本穂香ちゃんの面倒をみる銭湯の店主を光石研さん。
一見全く接点のないみんなですが、銭湯という憩いの場が、街の人と人とのつながりを生み出している様子が感じられて、見ていてとても心地よかったです。
舞台挨拶の場でも、皆さん自然体で、松本穂香ちゃんを中心に談笑している雰囲気がとても良かったです。
この映画は、監督の故郷が都市開発により、思い出の店が跡形もなく消え去ってしまい、ショックな気持ちから生まれたとのこと。
街が消えるということは、そこにいた街の人々が消えるということでもある…。
中の良かった人たちが店をたたみ、皆バラバラになっていく姿を想像すると、何とも悲しいものがあります。
新しいものを生み出すということは、古いものを淘汰することにも繋がる…。
そう考えると、何でもかんでも新しくすることが正しいのかと考えさせられてしまいます。
時代はどんどん変わり、人が時代の流れに合わせて生きていかなくてはならない現代社会。
そう簡単にうまく適応出来ないひとにとっては、かなり生きにくい時代になってきているのかもしれません。
映画の主人公のみおちゃんも、場の雰囲気になれるのに精一杯で、なかなか社会に適応することができない少女でした。
安心できる場所、安心できる人が身近にあることが、これから生きていく中で、とても大切なのかもしれない。
自分の事は自分が一番わかっているからこそ、自身に何が必要で何が足りないのか、その答えを見つけることができれば、これからも彼女のにぎる光は、より一層輝くのかもしれませんね
*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*
最後に…
映画の中に出てきた銭湯の水の揺らぎ。
長野県の野尻湖の美しい情景。
下町の路地裏。
この映画では、たくさんの美しい映像が出てきました。
都市開発の関係などで、下町のお店などは既に無くなってしまっているところも多いようですが、この映画が残してきた映像が、どうかいつまでもいつまでも薄れることなく後世に残っていくことを願います。
映画の後には、監督が一人一人に挨拶してくださって、とても丁寧に対応してくださっていました。
最後の最後までどうもありがとうございました(о´∀`о)
また、29歳という若さ!
今後の活躍に期待しています!!
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