ペトラは静かに対峙する : 映画評論・批評
2019年6月18日更新
2019年6月29日より新宿武蔵野館、アップリンク吉祥寺ほかにてロードショー
曲がりくねったタイムラインと謎めく視点で語られる現代のギリシャ悲劇
カンヌ国際映画祭の常連でありながら、これまで日本に紹介されたのはCSで放送された「ソリチュード:孤独のかけら」(2007)だけ。これが初の劇場公開となるスペインのハイメ・ロサレス監督の長編第6作は、不確かな自らのルーツを探し求めるペトラという女性画家の物語だ。
著名な彫刻家ジャウメが自分の父親ではないかとにらんだペトラは、その真偽を確かめるために彼の邸宅を訪れる。ところが、冒頭からすでに普通ではない。全7章で構成されるこの映画はなぜか「第2章」というテロップで幕を開け、最終章の「第7章」に到達するまで奇妙に曲がりくねったタイムラインをたどっていくのだ。むろん時間軸を自由に操れる映画において現在、過去、未来を行き来する物語の構造は珍しくないが、それぞれのチャプタータイトルがその章で起こる重大な出来事を予告するのは異例だろう。例えば「第3章」では、登場人物のひとりの自殺が予告され、実際その通りになる。それでも先行き不明のサスペンスが渦巻く本作は、常識破りの語り口からして実に挑戦的だ。
美術界で富を築いたジャウメは冷酷かつ傲慢な老人だ。ペトラが彼に接近したことをきっかけに、主要キャラクター8人はそれが逃れられない定めであるかのように破滅へと転がり落ちていく。しかし劇的効果を高めるクローズアップや切り返しショットはどこにもない。ステディカムを駆使して緩やかに動き続ける長回しのカメラは、まるで超自然的な何かが人間たちの行いを見つめているような謎めいた視点を持つ。その浮遊する眼差しは時に登場人物をフレーム外に置き去りにして、無人の家の片隅やカタルーニャの大自然を写し取る。
ひとつまたひとつとチャプターを重ねるごとに登場人物の危うい相関関係が明らかになり、パズルのピースを埋めるように秘密が解かれていく。いわば、これは様式化されたアート映画のフォームで語られるミステリー・スリラーである。さらに驚かされるのは、人間の残酷さ、無力さをまざまざと観る者に突きつけ、呆気ないほど死者が続出するこの映画が、人間の再生力、生命力をも映し出していることだ。
邦題のセンスも絶妙だ。はたして数奇な運命に翻弄され続ける主人公ペトラは、いったい何と対峙しているのか。現代のギリシャ悲劇とも言えるこの恐ろしくも心揺さぶる野心作は、厳粛な余韻を噛みしめる私たち観客に「あなたは何を見て、何を感じ取ったのか」と“静かに”問いかけてくるかのようだ。
(高橋諭治)