「長い長い、一夜」ひとよ つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
長い長い、一夜
何て事だ…。完全にやられた!
5・6年に一度、あるかないかの号泣だった。しかも映画館で!涙で視界が滲んで、必死に声を殺しながら、すがりつくような思いで観続けた。
震えながら映画を観たのは初めてかもしれない。
あの雨の夜。母は父を轢き殺した。
兄妹にとっては青天の霹靂だっただろう。暴力の嵐に晒されながら、耐え忍ぶ日々に終わりを告げる母・こはるの声は静かで、咄嗟にどうしたら良いのか呑み込めなかっただろう。
地獄にもたらされたそれは、聖母の福音なのか?それとも喪失なのか?
何もかもが突然で無慈悲。残されたのは「自由に生きていける」というこはるの言葉だけ。
オープニングから我々を強制的に稲村家に引きずり込むような、重厚さがある。
事件が起きてから15年後。
成長した長男・大樹は吃音が治らず内向的で妻と娘がいるものの別居中。
大樹を演じる鈴木亮平と言えば、豪放磊落な熱血漢のイメージ。なのに全然違和感がない。
大樹はとても世間体を気にしていて、多分「普通」の家庭の形を作れば「普通」の幸せが手に入れられる、そう信じているところがあると思う。
「普通」を壊したくなくて、自分の思いを上手く伝えられない不器用さが、いかにも「お兄ちゃん」で、とても切ない。
長女・園子は美容学校を中退しスナックで働いている。
松岡茉優演じる園子は、映画の中で一番感情表現がストレート。無邪気にも見える園子だが、その起伏は激しい。
松岡茉優が可愛さと危うさが同居する園子にピッタリで、本当に天才だと思う。園子がいてくれたことで、複雑な稲村家にスッと引き入れられた気がする。
そこへこはるは帰ってくる。
普通の家庭を夢見て上手くいかない大樹と、結局付き合った男に殴られる園子のもとへ。
もう一人の息子、次男の雄二は連絡を受けて実家に帰ってくる。
東京でフリーライターをしているが、自分の思うような文章は書けずに、雑誌の小さいコーナーを任されているだけだ。
こはるの言う「自由」とは、こんなものなのか?
確かにこはるは子ども達を解放したが、もう一方で子ども達に枷を嵌めたとも言える。
望まない将来から、圧倒的マイナスを背負った競争という名の「自由」へ。
その葛藤が、特殊な状況とはいえリアルで秀逸で、家族であるがゆえに避けられない「面倒臭さ」が画面から自分の胸へとダイレクトに伝わってくる。人のせいにしたい気持ちと、上手く出来ない自己嫌悪でヤケを起こしそうな感覚。
次男・雄二を演じた佐藤健の「汚れ」っぷりが素晴らしい。佐藤健史上最も体重を増やして臨んだそうだが、骨太で荒々しく、いつもとはまた違った魅力がある。
全編を通して私が主に園子の目線で観ていたせいか、とにかくこの雄二のことがムカつくし、イライラする(笑)。
本当になに考えてるか掴めなくて、ただ苛立ちだけは伝わってきて、それが大樹や園子を不安にさせる。このままではこはるだって傷つくかもしれない。
せっかくお母さん帰って来たのに、何してんだよふざけんなっ!ブチ切れる松岡茉優が最高だ。
今から思えば一番こはるに似ているのはこの雄二なのかもしれない。
こはるを演じた田中裕子の静かなのに決意を秘めた口調が、親の思いの「熱さ」の部分を体現しているかのようで素晴らしい。
こはる自身のあの夜につながる思いや、子どもを思う直接な言葉はない。でも田中裕子の目線や佇まいが身を捧げた母の思いを物語る。そして雄二の行動も、こはるの行動によく似ていると気づく。
こはるの思いを代弁する存在として、佐々木蔵之介演じる堂下がいる。堂下は父親だが、親目線の思いを伝えてくれる貴重な存在だ。そして死んだ父親の代わりに、積年の思いをぶつける相手でもある。
こはるを助けようと、必死でタクシーを駆る3人に15年前の3人が重なる。あの日、雨の中でどうしていいかわからないままに走らせた車。
15年前に始まった「一夜」と今の「一夜」が重なって、あの夜追いつけなかった母を追う。
何が変わるのかはわからないけど、大人になった今、追いつけなかった母に追いつくことで、あの日始まった特別な「一夜」を終わらせることが出来る。今の今まで溜め込んできた、思いの全てをぶちまけて、そうしてやっとこの夜は終わり、みんな朝陽を見ることが出来る。
ぶっちゃけた話、この辺りで泣きすぎて苦しかった。ハンカチ持っていって良かった。隣で旦那も多分泣いてたけど、君にハンカチを貸す余裕はなかった。ごめん。
帰りのエスカレーターでも泣き止めなくて、本当に思い出すと今でも泣けてくる。誰の事を思い出しても共感しすぎて苦しくて辛くて、愛しい。