劇場公開日 2019年12月13日

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「最終的には「作り手に疑問」」ぼくらの7日間戦争 キレンジャーさんの映画レビュー(感想・評価)

2.0最終的には「作り手に疑問」

2019年12月23日
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数カ月前、懐かしさから30年前の実写劇場版を初めて観賞。
当時は宮沢りえの映画デビューということでかなり話題になっていたが、私はアイドルの映画デビューを殊更に騒ぎ立てるカドカワ戦略に馴染まなかったため観てはいなかった。
結果から言うと、いくら昔のアイドル映画とは言え、私がこれまで観て来た映画の中でも指折りのどーしょーもない作品だったという印象。それがどうやらアニメであらたに制作されるとの噂を聞いてしまうと、それはそれで気になってしまうもので、怖いもの見たさ・当たり屋根性で映画館へ。

まあ、30年前のアレに比べばそれなりに見どころはあると言えるかな…とは思うが、それにしても「こっちもしょーもないなあ」…と。

【少しネタバレ含みます】
地方格差・外国人労働者・労使問題・いじめ・SNS・LGBTQまで盛り込み、そういった社会や環境に振り回される子供たちが、自分たちの小さな自由や居場所を取り戻そうとする…といった作り手側の意気は買うが、そんな見出しだけ山程掲げた割りに、結局「自分にウソはつきたくない」というごく普通の括りで長々と繰り広げられる最後のカミングアウト合戦で決着を着けるお手軽さ。

主人公をはじめとして、どのキャラクター、どの行為、どの展開を見ても必然性に欠き、物語のために物語をなぞっていく感じ。

あと、結局このストーリーを大きな事件に展開させていくのはマレットの存在なのに、マレットについて割かれた演出・描写があまりにも少なく説明的過ぎて、厄介者にさえ見えてしまう。

そして「宮沢りえ」。
何か大きな役割を持っていそうで、結局出処としては「まごうこと無きチョイ役」。客寄せパンダもこれだけ堂々と「旧作品世代の客を集めまする」と登場されたらこちらもポカンとさせられる。
宮沢りえも、今や大女優なのに。

声優たちは頑張ってただけに、もう20 〜30分くらい足してでも、それぞれの動機や心の動きをドラマとしてしっかり描くべきではなかったのか。
お互い慰め合って気分一新仲直り。「明日からまた頑張ろう」って、あまりにもオチとしてしょーもない。

当たり屋のつもりで見に行ったクセに、その作品に文句を言うのはもちろん我ながら下品だとは思うんだけど、あえて30年前にも増して、より現実的な問題を取り上げた訳だし、その世代の観客に伝えたいメッセージとしてこの作品を作ったのであれば、一つの光明にはなるかも知れないが、やはり短絡的で楽観的すぎる気がする。

原作読んでないのにこんなこと言いたくないけど、前作と今作でどちらも「取り巻く環境」は比較的時間かけて説明するクセに、キャラクターの人間性の部分がちゃんと描かれていないってなると、やっぱり原作もそういう話なんだろうなって思っちゃう。

それはやっぱり原作フアンにとっても不幸な話だし。

あと、余談というか小さなコト(いや、印象としてはかなり大きいかな…)なんだけど、私がこの映画の作り手に決定的に共感できなかったのは、物語が「他人に言えず苦しんでいることからの解放」を着地点にしているクセに、ヒロインが父親の隠している事をバラして、それを最後に「一矢報いた」と象徴的に笑いのモチーフにしている事。
もちろん、何十年も前から世の中で普通に「アレ」はジョークのネタになってきたし、別に他の作品で用いられる分には私も気にもならない。
でも、少なくともこの作品において、彼らがコンプレックスや秘密をカミングアウトし、それをお互いが認め合うことをこそ「救済」であり「ゴール」であり「善きこと」として語るなら、父親の隠していた「アレ」も同質の隠しておきたかったコンプレックスではないのか。
特にこのヒロインに関して、彼女の抱える悩みやコンプレックス自体は(物語の起点ではあるものの)父親とは直接的に関係がなく、父が隠す「アレ」を世の中に対してバラすことと、親子関係の改善とは何の関係もない。
そして、明らかに登場人物たちの意図ではなく、演出する側の意図としてあの「晒し」は描かれている。
ただ単に、それを白日のもとに晒すことで恥をかかせて溜飲を下げるって、そういった視点自体が、この映画では「悪しきもの」として描かれていたのではないのか。
SNSに他人の過去や秘密を書き込んで嘲笑する人達と本質的には同じではないのか。

映画的な要素としてはもちろん小さなネタなんだけど、ああ、偉そうに、良さげに語るこの作り手も、結局そっち側でモノを考えてるんだな、と思わざるを得なかった訳で。

キレンジャー