鹿の王 ユナと約束の旅のレビュー・感想・評価
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「絵で見せる」ことに徹した作劇、動物を丹念に描いた手描きアニメーション
映画を見てから原作小説を読みました。文庫3冊におよぶ物語を1本の映画にするのは至難の業だったと思いますが、だからといってセリフやテロップを多用して説明するのではなく、「絵で見せる」ことに徹しているところは一本筋が通っていたように感じました。動物や動物に乗る人間の動きが手描きのアニメーションで丹念に描かれているのは、監督のひとりである安藤雅司氏と、これまで安藤氏と仕事をしてきたアニメーター陣の仕事だからこそだと思います。
俳優が声優
zipファイル映画NO1
文庫4冊を一本の映画に圧縮したダイジェスト映画。
Zipファイル映画。朝ドラの総集編見てるみたいだった
活字でさえ専門用語の多さに溺れそうになったから、映画だけ見た人はこのスピード感の情報量をなかなか処理できないと思う。スーパーコンピューターでも処理できないと思う
ミツツアルとかピユイカとか「はい!知ってるでしょ!お馴染みの!」みたいなテンションでグイグイ進められた感
公式知ってる前提でやる数学のテストみたいな
後半からだいぶ原作と違っていて、世界観と登場人物が同じパラレルワールドくらいの気持ちで見てた。
ストーリーは映画の方がシンプルだったから好き
文庫と違う印象を持ったキャラクターは
ホッサル→思ったより小物感があった。もっと神聖なイメージだった
サエ→だいぶ冷淡だった。睨まれたらおしっこ漏らす
ユナ→途中なんかが乗り移ってチャッキーみたいな目になってて怖い
原作読んでなかったらもうちょっと星低いけど、でも音楽良かったし特別に3.5あげちゃう!
このストーリーはAIでも簡単に作れる でも良い興行成績は無理♥
この程度のファンタジーストーリーなら、愛の無いAIでも作成できる。多分、90年代になって発売されたMSX2くらいの『RPGツク◯ル』でも自動作成してくれる。実際にそれが目的でPC9800VM2を購入して、この類のストーリー作成簡易プログラムをやった事はあるが、直ぐに飽きてしまったが。
何が駄目か?
日本十進分類法と言う図書を分類する方法があるが、その本の内容を示すものと見て良い。その100の位を下に示すが、
1、哲学
2、歴史
3、社会科学
4、自然科学
5、技術. 工学
6、産業
7、芸術. 美術
8、言語
まで、出鱈目なのに
9、文学だけをを語ろうとしている。一般的にファンタジーはそう云うものと見られがちだが、例えば、もののけ姫は物理学のエントロピーの増大を無視していないし、動植物の食物連鎖もそれなりに説明している。
しかし、このストーリー展開は政治、経済、民族、全てがめちゃくちゃで、食物連鎖なんかなんのそので、挙句の果てにオーロラが出て来た時は笑えた。
原作は『獣◯奏者』は全巻読んだが、確かに心揺さぶられる場面はあるのかもしれないが、流し読みで充分だった。全巻を3日で読めた。だから、読み易い話で面白いのだが、リピートする気にはなれなかった。たから、どうせ。と思って、この原作は読んでいない。
でも、高校生には絶対に人気があるようで、本を好きになるのは良いと思うが、次のステップに進んでもらいたいものだ。
まぁ、その為には1哲学から8言語学も大変に重要になると僕は思う。
パンデミックを利用した姑息なストーリー展開に見えてしまうが、生物兵器なわけで、アカファ王国で良かったのではと感じる。
追記
そもそも、犬にも鹿にも絶対君主制も無いし立憲君主制もあるわけ無いじゃないですか!
追追記
『向山貴◯』さんの『童話物◯』を読んでいつもの出鱈目ファンタジーだと思っていたら、あとから込み上げるものがあって3回読んだ。『獣◯奏者』もそんな所あったんだけど、本を売るためにはしょうがないのだろうね。可愛そうだね。エリン。
もののけ
映像と音楽がとにかく綺麗
今の世界をファンタジーとして紡ぐ
科学と信仰の対立、民族対立、鹿の王の振る舞い。そしてファンタジー。これらが相互に干渉しながら成立する物語はかなり面白かった。
ここにきて評価が低いことに驚いたね。
映画の場合、特にアニメ映画の場合、大きく分けて2つに分類出来る。大人の鑑賞に耐えうる子ども映画と、子どもも観ることが出来る大人映画だ。(厳密にはどちらでもない作品も多いが)
本作は後者なわけで、つまり難しくて分からなかった人が続出したんだな。お子様向きじゃないのは明らかで、まあ仕方ない。
アカファ人の土地を侵略せんとする王国(王国人はツオル人であってる?)
互いに君主制なので王同士の争いとみることもできるが、結局は、黒狼熱のこともありアカファ人とツオル人の対立なのだ。
アカファ人とツオル人を分けるものとは何だ?そこには「呪い」で済まされる黒狼熱に罹る者と罹らない者だ。突き詰めれば信仰の違い、対立だといえる。
医術により人を救いたいホッサルは「呪い」などという非科学的な差異を認めない。信仰の違いによる違いなどないのだ。
しかしツオル王、ツオル人の国はそうは思っていない。直接的に言及されるわけではないが、野蛮なアカファ人が野蛮な黒狼熱を生み出しているとさえ思っている(実際間違いないでもないところが面白い)
つまり、ツオル側の感覚では自分たちは文明的でアカファは非文明的だと下に見てるんだな。
信仰の違いによる民族対立が権力者同士で行われている中で、そこに暮らす人々は互いの信仰を害することなく愛し合う。幾組ものアカファ人とツオル人のカップルがそれを証明する。
「呪い」という名の信仰の違いによる差異の否定。この、権力者と民の間にある感覚のズレが面白い。
見た目も言葉も同じ人間に民族の違いはない。つまりアカファ人とツオル人は同じだと暗に言っているようだ。
冒頭の、黒狼熱による死者が出たシーンで、ホッサルが死者に対し祈りのポーズをとるところがいい。
おそらく信仰心などないホッサルも、信仰そのものを否定しているわけではないのだ。私たちが仏教徒でもないのに手を合わせるのと同じ。
まあこの場面は、信仰心篤いツオル人の中で穏便にことを進めるためととれなくもないが。
それでもしかし、少なくともホッサルがツオル人の信仰に対して否定的ではないことだけは分かる。科学を信奉するホッサルでさえ神の否定はしないところがいい。
もう結構長くなってしまったけれど、やっと主人公ヴァンのことを書ける。
ヴァンは妻と子を亡くし、ある種の絶望感から独角として戦場を駆けた。死に場所を求めるように。
結果として独角は英雄視されるが、ヴァン本人は崇高な理念などないただの死にたがりの行動を美化されることに否定的だ。
冒頭、ヴァンは一人のツオル人を庇って独房に入れられる。ヴァン本人も気付いていないが彼は基本的に善人で、自分に不利益が生じたとしても誰かを助けたいと考えるような人なのだ。これがのちに「鹿の王の振る舞い」に繋がるのだが、ヴァンはまだ分かっていない。
他にレビューで書いている人もいるが、観ている最中はヴァンの中にあるユナの特別さが薄いなと思っていた。簡単にいえばヴァンがユナのために必死になる理由が分からないのだ。しかし最後まで観終わると、これで良かったのだと分かる。
ホッサルに、ユナはどんな子ですかと問われたヴァンは、細かい色々は覚えていないが「手がペタペタしている」と答えた。これだけで特に印象的。
多くの場合、どんな子ですかという問いには、優しいとか活発だとか内面のことを話す。しかしヴァンはそうではなかった。
このときヴァン本人も少し気付いたのかもしれない。ユナに対して特別な感情を抱いているものの、ユナが特別な子というわけではないことに。
例えば、親が我が子を守ろうと命をなげうったとする。これって鹿の王の振る舞いといえる?もちろん違う。ただ親が子を護ったどこにでもあるごく普通の振る舞いだ。
つまり、特別ではない子を護ったことに意味があり、それこそが「鹿の王の振る舞い」なのだ。
エンディング、鹿の姿になるヴァンに不満な方がいるようだ。
しかし、独角として戦い英雄視されることに疑問を感じていたヴァンの心境の変化表現なのであったほうがいい。
独角として戦ったこと、ユナを護ったこと、この2つに違いなんてない。あるとするならばヴァンの気持ちだけだ。
自身のワガママからくる行動と思っていたことも見方を変えれば、ただ単にヴァンの中にある本質でしかないのだ。坑道でツオル人を庇ったように。
そのことに気付いたヴァンは、姿を選べる魂だけの世界で、片角の折れた鹿の姿となる。独角として戦った自分を誇れるようになったのだと思える。
かなり面白くて、何がそんなに面白いかというと、描かれている内容が現代の社会にも通じるものがあるからだ。
ファンタジーという舞台を使い比喩的に現代社会を写す。まあ比喩ってほどでもなくそこそこストレートではあるが。
しかしその巧妙さにどうしても感心してしまうのだ。
アニメーションの意気込みを感じる爺作品。
内容は、上橋菜穂子原作の鹿の王🦌アニメ映画化。主人公ヴァンと捨て子女児ユナが、アカファ国とツォル国との紛争や伝染病に巻き込まれながら、すったもんだの幻想世界冒険物語。(スペクタクル・アクション・サスペンス・ファンタジー)印象的な台詞は『恐怖と憎しみは人を盲目にする。』ヴァンが昔を懐かしむ様に話す言葉。貧すれば鈍する様に思考が滞る仕組みを色々な状況を通じて表現したかったのではないのかなと感じました。印象的な場面は、四足動物の全体描写の素晴らしさと光と影のコントラストが凄い。これだけ手間のかかる表現力をこなす技術の高さが凄い。印象的な状況は、幻想世界の固有名詞・宗教・生活感・世界観・に絵的に表現しようと努力が伺える随所に見える場面。原作を読み映画化を楽しみにしていたにも関わらず、結局コロナショックで上映先送りにされ意気消沈したままVODで見た所存。(2021年9月10日金ロードショーって本帯にかいてます)かなり酷評されていたにも関わらず流石日本を代表するアニメーターの作品。映像でわかってくださいとのアニメ文法の多様で分かりにくくなってしまったのは否めません。『トゥーリムの追っ手を巻け!この男を殺させる訳にはいかんのだ!』『分からないけど分かりました!』何たる雑な従者途中退場のやり方。つぶさに観られるこの様なやりとりと暗転による強引なカット繋ぎが強引に感じた違和感感じます。結果的に綺麗な映像が、伝わりにくく濁ってしまい分かりにくくなり勿体無いなぁと感じずにはいられません。自分的には、ノヴリスオブリージュ的な話ではなく単純に自分勝手な個人主義な自己犠牲に感じます。そして同時に、アニメの潜在能力と可能性を感じる作品です。そして色んな意味でおしい作品。案外自分的には好きです。
ほのぼのロマンに徹して欲しい・・
戦争とパンデミックとまさに現代の縮図のような状況をバックに心優しい勇者と無垢な少女の不思議な出会いと絆を描いた壮大な医療ファンタジー。
主人公ヴァンならずともユナの可愛さは飛び切りなので守りたい衝動がこみ上げてきます。
ですから多少のハラハラドキドキは致し方ないとしても天使を悪魔が翻弄するような展開は如何なものか、ユナを狼の頭にまでして戦闘に巻き込むのはやりすぎでしょう。
まあ、この映画、合い入れがたい要素を併存させるのが狙いの様で、子供向けファンタジーというのに血生臭い暴力性や、黒魔術的な虚構と理学的な解釈を混ぜこぜにしています。
「ロードオブザリング」のような冒険ファンタジーを装いながら現代的な視点を織り込むのは新規性と言う点では見事ですがロマン好きとしては癒し効果が雑味で削がれた気もします・・。
説明不足
今ひとつの物語とビジュアル
2015年本屋大賞を受賞した、上橋菜穂子が描いた小説『鹿の王』のアニメ映画化。原作も、発刊当時に既読。内容的には、大変壮大なストーリーで、中東アジアを想起する仮想の国を舞台としたファンタジー作品。原作を読む時は、名前がとても難しく、読み難かった記憶がある。上下巻の長い原作の為、かなり端折った映画化となっている。
戦士団「独角」の最強戦士と言われたヴァンは、帝国・東乎瑠に敗れ、岩塩鉱に奴隷となって働いていた。そんな折、山犬たちの群れが岩塩鉱を襲い、紫の湿疹と共に命を奪う病・黒狼熱を感染させる。その隙に、山犬のかまれながらも、何とか逃げ出したヴァンは、その場にいた幼い少女ユナを、死んだ自分の子どものように思えて、助けて連れていくことに。
一方、その病が、東乎瑠の民だけにかかると知った王幡領では、天才医師ホッサルが、その治療法のワクチンづくりをしていた。そのワクチンには、山犬にかまれても病を発症しなかったヴァンの血液が必要と知り、ヴァンを探しに出る。
声優として、ヴァンを堤真一が渋い声を響かせていた。また、医師ホッサルを竹内涼真が穏やかな声で優しさをにじませていた。そして、ヴァンを追う謎の戦士サエを杏が務めている。
作品としては、『もののけ姫』と重なる所もあり、ややストーリー展開や映像のビジュアルにおいても、一昔前のアニメの様な感じで、それほどの感動や新鮮味は感じられなかったのは、原作を知る者としては、すこし残念だった。
2022 201本目
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