ライフ・イットセルフ 未来に続く物語のレビュー・感想・評価
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make you feel my loveは脇役♥
『イザベル・ディアスは平凡をこのんでいる。6人姉妹の中では4番めに美しい。』
ネタバレあり
髭面が気になって。
最後に母と分かれる時、髭面のロドリコは幼子に戻る。
その後、ロドリコは髭面はやめる。
自害した母の父は彼女の記憶から消えている。
そして、最後に最後に『綺麗だ』
今年見た6本くらいの傑作の中で四番目くらいに良い映画かなぁ。
追記 Make You Feel My Love: 16 Love Songs of Bob Dylanだが、標題曲以外も似たような曲が多くて、確かに大衆受けした曲たちと思う。実は標題曲以外僕は知らない。もう、この時はベースマンのオジキはこの世からおさらばしていた。
アルバムを落として聞いている。
『今はこんな事出来るって、凄いぞ!なぁ、オジキ』
私たちが観るものは信頼できない語り手による物語
色々な視点で語れる映画だと思いますが、素直に題名から考えれば物語論的な視点は欠かせないと思います。
題名であるLife Itselfという言葉は、直接はアビーが自分の論文のテーマについて語るセリフの中に出てくるものです。
彼女はこう語ります。
”So therefore every story that has ever been told has an Unreliable Narrator. The only truly reliable narrator would be someone hypothetically telling a story that unfolds before our very eyes which is obviously very impossible So what does that tell us? That the only truly reliable narrator is life itself. ”
つまり、どんな人であれ何かの物語を語る時には「不確かな語り手」たらざるを得ない、唯一信頼できる語り手とは「人生それ自身」しかないのだと。
(このすぐ後に、しかし人生は、全く先行きの予想が不可能という意味では究極の信頼できない語り手である、と結論が続きますが・・・)
この言葉を手がかりにすると、この映画は「物語」というフレームを意識した作品であることがわかります。つまり、映画の中に表現されたもの(=私たちが現に観ているもの)全ては、誰かによって語られつつある物語であって、それは必ず不確かなものであり事実とは限らない、ということです。
この視点は、冒頭のサミュエル・L・ジャクソンという具体的な声と形をとって表現することでわざわざ可視化されていますし、アビーにお祖父ちゃんがかける気の利いた言葉が、「実際はこうだった」というナレーションとともにありきたりな言葉に代えられる演出からもわかります。ウィルが映画の脚本家であることも象徴的です。
さらにもう一つ例をあげれば、アビーに「私を誘わないのか」と尋ねられて「引き返せなくなるから正しい時を待っているんだ・・・」と告白めいた長い言葉で返すシーン。
“Abby, I’m waiting for the right moment ’cause when I ask you out, there’s not gonna be any turning back for me. I’m not gonna date anybody else for the rest of my life. I’m not gonna love anybody else for the rest of my life. I’m waiting for the right moment ’cause when I ask you out, it’s gonna be the most important moment of my life. And I just wanna make sure that I get it right.”
あまりに的確すぎる言葉が、美しくしかも絶妙のタイミングで雄弁に語られているのですが、果たしてそれまで現実のウィルはこのような能弁なキャラクターとして描かれていたでしょうか?
ひょっとすると、突然現れるこの完璧な長セリフには、実際のセリフなのではなく、相当の時間を経て練りに練られたなかで作り上げられたものなのだ、ということが示唆されてはいないでしょうか。
練りに練ったのは、では誰なのか。
ウィルでしょうか。確かに考えてみれば、私たちがこの時点までに観るものはこのセリフを含め全てはウィルの紡いだ物語であり、ウィルはその物語をセラピストに語って自殺します。ピストルを準備していたのですから、彼は死ぬつもりでいたわけですが、その前に誰かに彼自身の物語を語り、その愛の深さを理解してもらったうえで死のうとしたのでしょう。しかしそれはあくまでも彼の物語であり、それを観る私たちはそれをそのまま受け止めるべきではないのかもしれません。
映画の最後(第5章)では、それまで観てきたストーリーが「孫によって綴られた物語である」というフレームが明かされます。「世代を超えて命がつながる感動的なストーリー」とシンプルにこれを観ることもできますし、もちろんそう意識して大団円のラストが作られているわけです。
しかし、底にある構造の視点からいうと、入れ子になった物語の一番外側に作家をもってきたことで、つまり新しい語り手の出現によって、それまでのストーリーすべての真偽を宙づりにしてしまった、とも言えるでしょう。先に挙げたウィルの決めセリフも、孫である作家のエレーナが練りに練った物語の一部でもあるのですから。
この映画、アメリカでは評論家の評価はあまり高くなかったと聞きます。複雑な構造のなかに感動するポイントをわかりやすく詰め込んだので、感情を押しつけられるように感じた人も多かったとか。
感情的に暑苦しい部分が多いと言うのは確かだと思います。が、私はその暑苦しさもむしろ、人が人生というそれぞれの物語を生きるうえで不可避的に脚色がなされるのだし、その脚色こそが人生なのだ、という隠れたメッセージを伝えたいがためにわざわざ過度な感情表現(英語で最期のメッセージを伝えるような!)が盛り込まれているのでは、と感じました。
ものすごく感動されている方も多いようなので、あくまでも色々なキーワードを深読みするとそうも読めるかも、という一意見でしかないことをお断りしておきます。
語り口が小洒落すぎてて、理解できない
あるところに、とても愛し合っているカップルがいました。2人の愛はそれはそれは深いものでしたが、ある日…みたいな感じで話が進み、これは寓話的な語り口なんだな、と観客は思う。
だから分かりやすい不幸が積み重なるし、時空は歪んでるし(あのiPhoneは何年モデルだ?)、さすがに今どきのスペインはそんなじゃないだろ、と思うけど、寓話だからOK。
しかし、ただの寓話では終わらず、この話は誰が語ってるのか?という、メタな視点が持ち込まれるのが、ややこしい。
…という脚本でした、とか、という妄想でした、とかわざわざ混乱させる描写はイマイチだけど、おじいちゃんが感動的な台詞を喋った後に、実は、そんな事言ってなくて、本当はこんな冴えない台詞だったと、積み重ねる演出は、ちょっと好きだった(まぁ人生そんなに格好良くはいかないよね)。
そのうち、観客は、この映画にとって、語り手問題というのが、隠れたテーマなのか、と考え始める。
極め付けは、ヒロインが、大学の卒論で、「信頼できない語り手」の理論を持ち出すところ。それは、人生そのもの!とまで言うんだから、テーマはこれで決まりだね、とも思う。
観客は、ラブストーリーの展開ととともに、信頼できない語り手理論が、どう着地して、お話と絡み合うのかを見守ることになる。
が、これが、着地しないんである。
。。。
結局、孫が、祖父母世代のストーリを本にして出版して、その話を講演で語ってる、というシーンになり、不屈の愛の強さを訴えるんだけど、これって、ごく普通の語り手だよね…。
信頼できない語り手は、どこに行ってしまったのか。あれほど連発したトリッキーな語り口は、何のためだったのか。そこが全く釈然としないのである。
寓話調も好きだし、ヒトを食ったような演出も面白いところは面白いんだけど、ちゃんと落とし前をつけて、納得させていただきたい。
☆☆☆★★★ いったい誰がヒーローなのか? これは。絶えず観客を煙...
☆☆☆★★★
いったい誰がヒーローなのか?
これは。絶えず観客を煙に巻く為の挑発と実験に満ち溢れた映画。
映画は5章仕立てで構成されてはいるが。 最後の5章目はエピローグ的な物。2章目と4章目も、それぞれ男女が出逢うまでの繋ぎとして存在しており。映画としては1章目と3章目の、愛が悲劇へと向かう悲しい話をじっくりと切り取っている。
映画は1章目の冒頭から挑発的に始まる。
いきなりサミュエル・L・ジャクソンのナレーションでスタートした映画は。突如としてアネット・ベニングに悲劇が襲う。
…と思いきや。
この辺りの、観客に対する挑発と共に。好き勝手と言える演出に付いて行けるかどうかで。その後の展開を面白く観られるかどうか…かなり意見が分かれるのでは?と思う。
その後の2章目は、成長した少女が感じる寂しさを幾度となく実験的な演出で描く。
実は、この時にお祖父さんのマンデイ・パティンキンに幼い頃の彼女が聞く「死ぬの?」は。映画の最後の最後になって、かなり重要な台詞だったのが分かるのだが…。この時にはまだ気が付いてはいなかった。
2章までは。この《死と悲劇》の繰り返しを必要に強調する。その為のキーワードとしてボブ・ディランが引用されているのですが。残念ながらディランに関する事柄に疎い為に、作品の訴えたかったモノを全て理解するには至らないもどかしさを感じてしまう。
3章目はそれまでとは一転。スペインでの愛のドラマをじっくりと描く。
2人の男性から愛された母親。その基でのびのびと育って行ったロドリゴの姿。しかしその裏では2人の男の嫉妬から、家族の別れがあった。
この3章目で特に目立っていたのが、時間経過を示す編集。
流石に、2度目のオリーブ畑の時には無理矢理感を感じたものの。1度目の家の中の柱をカメラが回り込む時の編集場面は、計4回(だったかな?)ワンカットに見える程の見事な編集だったと思えた。
他にもこの3章目には、ハビエルとイザベルの出会いの場面に於けるミスリードであったり。ロドリゴが事故を目撃した後の心の不安定さを不協和音で表したりと。観客の気持ちを、ほんの少しだけ逆撫でさせる音の演出には賛否が分かれるかもとは思ったのですが…。
幼いディランはお祖父さんに聞いた「死ぬの?」…と。
お祖父さんは「いつかは死ぬ!」と答えた後、ナレーションは本当はこう言ったと…。
「死ぬ訳ないじゃないか!」
そう死ぬ訳は無いのだ!
愛する人は肉体は滅んでも人々の心には生き続けて行くのだ!
そして。人が人生の決断を迫られて苦しんでいる時に、その背中を押してくれる人はヒーローに他ならないのだ!
2019年11月23日 TOHO/シャンテシネ1
因みに、ロドリゴが事故を目撃した時に。ハビエルはスマートフォン(iPhone?)を手に持っていた事からして、この時が現代か?
以後、15年以上後に2人は出逢う。その後、エピローグにあたる5章では、少なくとも42年以上は経過していた事実から考えて。映画の最後は、2080年頃にあたるのだろうか?(´Д` )
久しぶり一杯飲りたくなる映画
純愛をカート・ヴォネガットが書いたようです。って云ったら完全なネタバレだ。演者が皆さん達者で他の大根演劇見られなくなるなぁ。中でもバンデラス爺最高です。
やっぱり恋愛ものは良いなあ。こういうのが大箱で映れる日が来ないなぁ…
シェリーは甘口が好みです
THIS IS USは残念ながら知らないし、ボブ・ディランの曲も数局知っている程度で鑑賞。
ニューヨークで起きた交通事故から世界に繋がる家族の物語で、5章からなるオムニバスストーリー。
幸せな夫婦やカップルを襲った悲劇や皮肉な出来事を時系列を弄りながら紡いで行く展開で温かさと哀しさが入り交じったとても良い話だし面白かったのだけれど…。
後で一応設定で回収はされるけれど、突飛で作風とは合わないオープニングはちょっと空気感がおかしな感じだし、全体を通しても、個々の章でも時系列が弄られまくっているし、結構無茶な道の選択等々、後出し感とか作り物感を覚えた。
それとこういうオムニバスだし、これは仕方ないところもあるけれど既視感もあって、更にはこのサブタイトル。もう少し勿体つけて欲しかったかな。
自分の人生の一部は誰かの人生の一部でもある
キノフィルムズにて試写会鑑賞。
自分の人生の一部は誰かの人生の一部でもある。この作品の一番のメッセージ性であると解釈し鑑賞した。
このメッセージ性は特段新鮮味のあるメッセージではないかもしれないし、ありきりたりかもしれないが、こういうったメッセージ性の強い作品は改めて受け取っても、個人的には好きなメッセージの一つである。
そのため楽しい気持ち、ワクワクした気持ちで序盤から鑑賞していたが、2時間で描くには各々のパート描写が薄く感じてしまった。
その為あまり各々のキャラの苦しみや悩みへの感情移入がしづらく、言いたいことはわかるけど…って気持ちで終わってしまった。
まぁ言いたいことはわかるし、メッセージ性は好き。
自分に置き換えても、僕の人生は両親や兄弟、祖父母の人生の一部でもあり、だからこそ大切に人生を歩まなければいけない。
辛いこと、苦しいことがあったら共有し、一緒に乗り越えることも大切だ。
そのあたりを自分に置き換えて捉えて劇場を後にするとまた明日から前向きな気持ちで生活を送ることができる。それもまた映画の楽しみ方の一つであり、この作品はそういった作品だったなと思った。
☆2なんて.......中途半端!?
Life itself trick us.
It misleads us.
It paints one man a hero when he may well be a villain.
"Hero or villain?"
................
この作品、NHKでも放送された"This Is Us"というテレビシリーズをご存知の方なら、このテレビ番組の脚本家であり、プロデューサーを務めていたのが、今回は、この映画の監督と、脚本を務めているダン・フォーゲルマンであるので、"This Is Us"でも取り上げたtime frame形式とnon-linear narrative形式をとっているので、時間軸が多少入り乱れることによるミスが散見し、シナリオの腰を折るような興ざめをさせられることとなる。もともとこの"This Is Us"でも感じたのだが、その言葉を聞けば、行き場をなくして、憤りを覚える"I Nagasaki'd him."なんて平気で使えて、しかも誇張した良い言葉として使われるのには、ナイーブでもなく、どちらかというと無神経な者でも不快感を持ってしまう。つまり彼の作風は、物語を面白くするためには、いかなる方法や手段を択ばない、身勝手な作家と個人的にはとらえている。
アメリカの新聞紙Village Voiceの記者はこのように揶揄している。「 この映画には、被害を軽減するエクソンモービルのコマーシャルに見られるのと同じくらいの誠実さと本物の感情がある。」また、San Francisco Chronicleの記者は「仮に失敗をしたとしても、彼には才能があり、役者とはうまく付き合っていけるのだが、彼が描く物語は、彼の作ったキャラを理解するのに大変な苦労が必要とされる。」と投稿している。
I've already said goodbye to him.
It's not necessary to say goodbye twice.
前出の"This Is Us"は、プライムタイム・エミー賞やゴールデングローブ賞の2冠を達成しているので、3冠には、あとオスカーだけ?無理か.....!
時空を捻じ曲げているシーンもあり、先ほどの興ざめをさせられるのだが、しかも妊婦の嫁さんをさせるわけがないものも出てくる。そのシーンは特別に重要で、2家族の繋がりを結ぶ糸となるものなのだが......。これも捻じ曲げをして物語の意外性を持たせ面白みをプラスする手法は健在ということか?
この映画、残念なことにTVシリーズのようにはゆかず、A box-office bombになるのは避けようがないようだ。
amazon.comではプライムビデオ、4K UHDで視聴が可能であるので、ディバイスが揃えばわざわざ映画館に行く、エネルギーは必要としないものとなる。
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