「サングリア(sangría) どこかで飲んだような?」CLIMAX クライマックス Naakiさんの映画レビュー(感想・評価)
サングリア(sangría) どこかで飲んだような?
個人的に数秒間、見ただけで敬遠をし、鑑賞ができる環境にありながら勝手に塩漬けにして、数か月の間、見るのを放っておいたモダン・ミュージック・ホラーとされる作品。
冒頭のダンスシーン、赤を基調としたフロアでダンサーが踊り始める。肌の色が違えば、人種も違う。男女関係なく、ジェンダーなんて言葉も存在しない。太いのも痩せも、小さいのも大きいのも不揃いの衣装を着た異様な22人。表現が悪いが、そのデコボコした統一感というものを無視した中に言葉に言い表すことが出来ない反転した”調和”が存在し、圧倒される。
Psychology Todayというサイトより、「ダンスは音楽によって合法化された水平的欲求の垂直的表現である。」ある有名な劇作家の言葉。また「ダンスが何らかの形で人生の熱狂と欲望、別の人間の魂、そして他の人の身体との接触への欲望と一致しないなら、それはダンスではない。」
欲望、欲望、欲望、欲望!!
シナリオとして、ダンスが終わると、カメラが、なめまわすように登場人物をとらえ、少ない人数の2人ないし3人ずつによる会話から各々の登場人物が共有している考えや彼ら自身の性格を押さえ映し出している。この映画には、主人公はいるにはいるが、だれかれ関係なくアップビートの音楽が次から次へと流れる中に群像劇要素を色濃く取り入れている。
"Living is a collective impossibility"
Bustle:オンラインのアメリカの女性誌。 女性向けの美容、有名人、ファッションのトレンドに関する記事と並んでニュースや政治を取り上げている。「ダンスとセックスの間の明白なリンクを否定するものがないことを知っています。 両方の行為は私たちの主な衝動を利用し、両方とも、グループで、またはソロで完全に結合して実行できます。」
中盤になるとドラッグによる過渡期になり、今度は天井からフロアに向けての彼らの素晴らしいパフォーマンスが見られるが、この時より、精神的崩壊に向かっていくように受けとめられる。
アメリカの都市デトロイトの主要新聞社Detroit News:「映画"Enter the Void(2009)"で、彼はこの効果を使って幻覚の体験を映像化したが、しかし、ここでは、悪い男の子はトリックを使い果たしているようで、彼はその効果をやり続けることができることを証明するためにだけ、懲りずにあなたの脳に打撃を与えようとしている。」また、ライブイベント、音楽、映画などについての評判の良い文化と意見の源と自負しているIsolated Nationというサイト。「この種の物語は息苦しい感覚的重圧による簡単に終わる可能性がありますが、監督のカメラが映画に出演の各被写体を、感情的に遠く離れていても、安定して、興味深い目で追っています。」
ソリッドシチュエーションの中に時間という存在を無くし、色々多彩な照明を使いながら映像自体は角度の異なったカット割りを多用し躍動感を出している。後半に至っては、怒号とも叫びともとれる声をサウンドスケープ(音風景)として使っている。ラストの大団円では、赤と黒を基調としたダンテの憤怒者の地獄のように大勢の者が1人を責め、またある者は個という自分自身の内を責めている。
"Death is an extraordinary experience"
冒頭のインタビューのシーンで、このクレージーな企てをしたものがコメントを述べていたが、とっくにそんなことはどうでもよいものとなっていた。
この照明の色使いと音楽に合わせて、ある意味、軽い麻薬的なものが出演者だけでなく視聴者に対しても影響を与えている.........
余計なお世話:ディバイス環境が整っていない中での視聴は避けられたほうがいいかも。映画館って、何よ? 映画館の設備次第。
警察官が来ると自然光がさし、キリスト教の最後の審判か? ローリング・ストーンズとしては、当時として珍しいバラード「Angie(1973)」のインストゥルメント曲だけが流れる。
そして、終わりを迎える.......