「脈絡のない登場人物???」慶州(キョンジュ) ヒョンとユニ Naakiさんの映画レビュー(感想・評価)
脈絡のない登場人物???
映画の舞台は、韓国の古都、慶州(キョンジュ)。韓国南東部に位置し、紀元前1世紀から10世紀に渡って新羅王朝の首都として栄えた土地で歴史的遺産やそのたたずまいから“屋根のない博物館”と称されることもある土地柄を少し記憶にとどめていると、この何とも言えない雰囲気の映画が、分かりやすくなるかもしれない。個人的には、約30年前、ある国から日本に帰る途中で、韓国の知り合いから、あくまでも彼女が言うには、京都と似ている慶州に立ち寄ったほうがいいと言われたのだが、時間の都合と、あまり歴史に興味がなく、そのままソウルからプサンまでバスで直行してしまった。大きな理由は、韓国の旅行案内の本を韓国で調達すればいいと勝手に思っていて、その当時、日本語の本が、発禁になっていることは、知らなかったのと韓国の人が簡単な英語なら誰でもできると早合点してしまっていたから、顛末として旅行気分になれなかったのである。
個人的なことは聞き流してもらってもよいが、この映画、シナリオ自体、丁寧というか時間の経過が映画とあまり関係していないと言っていいのか、上映時間が、2時間半近い映画に個人的には、参ってしまっている。しかも、主な登場人物が全員といっていいほど“生きているのか?”それとも“死んでしまっているのか?”訳が分からなくなる演出の仕方で、最後に至っては???の連続になる。それもこれも監督が意図的に見ているものを混乱させるような映画作りをしているように思える。
途中、あからさまに脈絡のない二人の日本人のおばちゃん観光客が登場し、それもセリフが棒読みでどう考えても、そこら辺にいた観光客をそのまま連れてきたような人たちで、しかも主人公のヒョンを映画俳優と勘違いし、厚かましくも写真を撮ってもらうよう茶店の女主人に頼み、その女主人も嘘の通訳をするシーンが出てくるのはいいが、一度帰った日本人観光客が、もう一度戻ってきて、「韓国の方にお詫びしたかったことがあるんです。過去の日本の過ちをどうぞ許してくださいね。」と答えたのにヒョンは「わたし、納豆が好き。」とだけ答えていたのに女主人は「痛ましい過去は当然忘れてはいけませんが、これからは一緒に前に進むほうが大切です」と嘘の通訳をする場面が出てくるのは、何の意味があるのか?政治的意味合いがあるのでこの映画の不思議な部分が消し飛び、しらけさせてしまっている。冒頭に出てくる、ヒョンの友達との食事のシーンで“クチャクチャ”と音を立てて食べたりする文化的、伝統的、通称:"クチャラー"やヒョンが毎回、タバコを鼻に近づけて嗅ぐシーンを我慢してみていたのに、脚本が朝鮮系中国人のチャン・リュルによる個人的な思惑は控えてもらえればありがたかったのだが.......。