慶州(キョンジュ) ヒョンとユニのレビュー・感想・評価
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猛烈に不思議な話。思わず、二度続けて観ました
不思議な話だった。雰囲気のある話だった。そしてヒロインを演じるシンさんはきれいだった。なんか、何度でも観たくなる作品だった。変な話なのに... 観て2日経った日に書いているのだが、これはみんなに観てほしい映画だという思いが日に日に高まっている。機会があったら、ぜひどうぞ。 主人公が、昔行った慶州へ行き、壁に春画が描いてあった茶屋を訪ねる話。主人公が何も考えていなくても、周りのペースで事が進み、本人はけっこう楽しい。そうして茶屋の女主人といっしょに過ごしたというだけの話しなのに、観客の我々は、主人公が時間の狭間にでも落ちたかのような経験をする。 これから観る人がいるなら、前半で次のシーンは、よく観て記憶しておくとよいと思う。 ・慶州に着いた場面での、観光案内所のシーン。特に川の音の話。 ・主人公が昔の恋人を慶州に呼び出した場面での、易者のシーン、ミネラルウォーターを渡す店。 それらを記憶しておいて後半を観れば、自分のように二度観ることなく、すっきりするかもしれません。いや、すっきりはしないか。不思議な感じが増すだけかも。でも、それはそれで価値だと思う。 以下、観た感想を書いてみようと思うけれど、まとまった内容を書ける気は、全くしない。疑問の羅列になってしまうが、自分のためのメモとして書き残しておく。 --- ここからネタバレのリスクあり。ご注意ください --- 主人公は、主人公が非常に高く評価されている東アジアの政治学を、いくら自分が評価されても、クソみたいな学問だと思っている。戦争の恐怖が、主人公を、より安全な中国へ赴かせたのだろうか。北京大学の教授にまで昇りつめたとはいえ、東アジアの政治学はそのための手段に過ぎないということだろうか。戦争の恐怖によって、雷が北の砲撃に聞こえ、暴走族の爆音にさえビクビクするのだろうか。主人公が本当にやりたかったことは、茶屋の女主人が、何の教授なのか予想した際の回答だった、「美術の先生? 違うの? じゃあ哲学の先生?」という辺りが、やりたいことだったりするのだろうか。 「前のオーナーは美人でしたね」とあなたは言ったが、前のオーナーもあなただったのか、とわかって笑わずにはいられなかったのだろうか。 女主人は主人公との会話中に予約の電話を受け、「はい。明日、3人ですね」 と答えているが、この予約は、7年前の主人公を含む彼ら3人からの電話だったのだろうか。 妻の歌う「茉莉花」が、彼を、時の狭間から呼び戻したのか。 写真に写っていない、写りたがらない女主人。見えない壁にでもぶつかったかのように、突然転倒した暴走族。 主人公の願望が、妄想として現れるのか。たとえば、死んだ先輩の若き妻が突然茶屋に現れるシーンは、死因はこうであってほしいと主人公が願ったのだろうか。 「人々が散らばった後、三日月が浮かび 空は水のように青い」
人はなぜ動くのか 行動原理についてのお話
この映画に通底するテーマ
それは、人間(登場人物)の行動原理について、だと思う
主人公の男の行動原理は極めて希薄である
昔の女を呼び出したシーンでは、別に計略や下心を持っていたわけではない。わざわざソウルから出て来ている女に対して、とりあえず飯に行き、とりあえず酒を勧める。ガツガツもしてなければ、飄々ともしているわけだ。女は酒と彼の過去に対して深い行動原理があるのとは対照的に。
権威的な立場にある、自身の学問分野に対してもクソだと云い捨てる。田舎の大学から出世したい、地元の大学教授の行動原理とは対照的に。
お茶屋の娘の行動原理は、死んだ夫と似た耳をした主人公に対する、失ったものを求める情愛から。なんの行動原理もなくただ家について来たから、彼女を求めることもしないのとは対照的に。そして、彼女がその耳に触れた時、夫のそれとの違いに気づいた彼女は彼を求める行動原理を失うのだ。
そんな彼の行動原理は何か。それは、ただ気になったお茶屋の春画であり、昔の女友達に会うことである。目の前で起きた交通事故とその怪我人よりも、観光案内所の女に否定された、自分があると信じた川の音が彼を突き動かすのだ。
自分の妻への疑いから自殺を遂げた友人の苦悩が、わかろうはずもない。彼はただ妻の歌声を聴くのみである。
生気のないような出で立ちと、立ち振る舞いになるのも当然と言える。
これはそんな、人にとっての行動原理のお話なのかなと思いました。
実はなかなか見ごたえある、韓国の新しい喪失の物語。
間違いなく喪失の物語ではある。 ただ、ユーモアにくるまれている。 映画館がたびたび笑いに包まれた。 喪失に直面したものが持つ「おかしさ」ゆえなのか。 喪失は魂の渇きでもあるのだと思う。 潤いを失った魂は、ときどき立ち止まってしまう。 無理矢理背中を押すこともできないし、無言でそんな渇いた魂に寄り添うことも簡単なことではない。 お互いを気にかけながらも、脈絡の説明がつかないやり取りになるのだと思う。 ユーモアにくるまれて当然なはずだ。 喪失なんてよくあること。 愛する人との不条理な別れからおのれの出世欲の喪失や、喪失の予感におののくことまで、世の中には、人生には喪失の物語があふれている。 韓国の喪失の物語、実に読後感が豊か。 孤独感を表すかのようなユーモアの数々が面白かった。 そして旅人と茶屋の女性主人のある夜のめぐりあいの時間がとてもやさしくて美しいシーンだった。おバカ中年のような旅人のやせ我慢のようなユーモラスさに救われる思いだった。
慶州でしか撮れない映画!
もの凄く良かった…!! 現時点で今年一番の作品。登場人物は悲しみや後ろ暗い所を持っているのが垣間見れるんだけど、それがユーモアと隣り合わせにある。館内で何回も大きな笑いが起きた。 慶州の、古墳が街中に普通にある感じが面白い。すっと異世界に入ってしまう。プレイボーイみたいな主人公同様、物語も飄々としてるかと思ったら、すとんと暗い現実の穴に落ちたりする。丁寧に作られている映画なんだな、と思う。 『春の夢』も最高だったし、チャン・リュルの作品をもっと見たい。日本語も中国語も普通に出てくるのも面白かった。
これぞ映画の醍醐味
チャンリュル監督の『春の夢』が大好きなので観に行きました。
パンフレットに載っている暉峻創三の評が素晴らしいので、それ以上いうことはないですが、感じたことを少し書きます。(パンフレットは内容が濃いのでお買い得だと思います。)
すべての登場人物が味わい深い。
監督はインタビューで、すべての人生は悲しみが土台となっていると語っていますが、その人生観が映画にも反映されています。
映画では登場人物たちの感情が吐露される場面は少ないですが、誰もがそれぞれ何かしらの物語を抱いて生きていることが伝わってきます。それは主要人物だけでなく、酒の席で隣の部屋にいたチョイ役の客ですら、この人にも何かしらの物語があることがわかり、映画のすみずみにまで行き届いています。
ただ、映画では悲しさだけではなく、主人公の飄々としたおもしろさであったり、ユニと心を通わせることの美しさであったりも描かれます。
こういう人生の悲しみであったり、おかしみや美しさを描けるのが映画の素晴らしさであり醍醐味だと思います。
自分にとっては、どストライクの映画でした。
脈絡のない登場人物???
映画の舞台は、韓国の古都、慶州(キョンジュ)。韓国南東部に位置し、紀元前1世紀から10世紀に渡って新羅王朝の首都として栄えた土地で歴史的遺産やそのたたずまいから“屋根のない博物館”と称されることもある土地柄を少し記憶にとどめていると、この何とも言えない雰囲気の映画が、分かりやすくなるかもしれない。個人的には、約30年前、ある国から日本に帰る途中で、韓国の知り合いから、あくまでも彼女が言うには、京都と似ている慶州に立ち寄ったほうがいいと言われたのだが、時間の都合と、あまり歴史に興味がなく、そのままソウルからプサンまでバスで直行してしまった。大きな理由は、韓国の旅行案内の本を韓国で調達すればいいと勝手に思っていて、その当時、日本語の本が、発禁になっていることは、知らなかったのと韓国の人が簡単な英語なら誰でもできると早合点してしまっていたから、顛末として旅行気分になれなかったのである。
個人的なことは聞き流してもらってもよいが、この映画、シナリオ自体、丁寧というか時間の経過が映画とあまり関係していないと言っていいのか、上映時間が、2時間半近い映画に個人的には、参ってしまっている。しかも、主な登場人物が全員といっていいほど“生きているのか?”それとも“死んでしまっているのか?”訳が分からなくなる演出の仕方で、最後に至っては???の連続になる。それもこれも監督が意図的に見ているものを混乱させるような映画作りをしているように思える。
途中、あからさまに脈絡のない二人の日本人のおばちゃん観光客が登場し、それもセリフが棒読みでどう考えても、そこら辺にいた観光客をそのまま連れてきたような人たちで、しかも主人公のヒョンを映画俳優と勘違いし、厚かましくも写真を撮ってもらうよう茶店の女主人に頼み、その女主人も嘘の通訳をするシーンが出てくるのはいいが、一度帰った日本人観光客が、もう一度戻ってきて、「韓国の方にお詫びしたかったことがあるんです。過去の日本の過ちをどうぞ許してくださいね。」と答えたのにヒョンは「わたし、納豆が好き。」とだけ答えていたのに女主人は「痛ましい過去は当然忘れてはいけませんが、これからは一緒に前に進むほうが大切です」と嘘の通訳をする場面が出てくるのは、何の意味があるのか?政治的意味合いがあるのでこの映画の不思議な部分が消し飛び、しらけさせてしまっている。冒頭に出てくる、ヒョンの友達との食事のシーンで“クチャクチャ”と音を立てて食べたりする文化的、伝統的、通称:"クチャラー"やヒョンが毎回、タバコを鼻に近づけて嗅ぐシーンを我慢してみていたのに、脚本が朝鮮系中国人のチャン・リュルによる個人的な思惑は控えてもらえればありがたかったのだが.......。
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