「【今作と「帰ってきたヒトラー」との違いを少し真面目に考える。】」帰ってきたムッソリーニ NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【今作と「帰ってきたヒトラー」との違いを少し真面目に考える。】
ー 御存じの通り、今作はドイツでベストセラーにもなり、それを映画化した「帰ってきたヒトラー」に、イタリアのヒットメイカーであるルカ・ミニエーロ監督が着想を得て、映画化したモノである。
だが、今作と「帰ってきたヒトラー」では、同じシニカルコメディ―ではあるが大きな違いがある。ー
◆感想
・私が劇場で「帰ってきたヒトラー」を鑑賞した際に強烈に覚えているのは、ヒトラーに全く似ていない俳優(今作の、ムッソリーニに扮した俳優も本人とは、全く似ていない。)が、ヒトラーの恰好をして街を歩いている風景を撮ったシーンでの、年配の方々の反応であった。
物凄い嫌悪感を表情に出した年配の人々の姿。(人によっては、モザイクが掛かっていた。映画に登場する事を拒否したのである。)
一方、若者が面白がって、ヒトラーの写真を撮る風景。
「帰ってきたヒトラー」は現在、ネオナチ勢力が蔓延りつつある、ドイツを象徴的に表した映画であった。
購入したパンフレットには、ヒトラーに扮した俳優の身の危険を守るためにスタッフが苦慮した事が記されている。
・では、今作はどうか。
作品構成は、空から降って来る冒頭シーンや、犬の射殺シーンなどオリジナルとほぼ同じだ。
だが、決定的に違うのは、ムッソリーニ処刑後70年の間に政権が63回も変わり、今やヨーロッパの中でも最貧国になってしまったイタリアの人々の蘇ったムッソリーニに対する態度及び、現在のイタリア政権に対するシニカルな意見である。
・愛犬を射殺されたユダヤ系の老婆は、最初ムッソリーニの過去の所業に対し、厳しい言葉を浴びせるが最後は”貴方を赦します・・”と言ってしまっている。
・若者だけではなく、多くの現在のイタリア情勢に不満を持っている人たちの、移民問題などに対する不寛容な意見。
それを、今作では深く突っ込まずに、コメディで通してしまっている。
<お国柄の違いと、ヒトラーの極悪非道振り(ついでに言えば、三国同盟を組んだ東條英機)との違いもあるのかもしれないが、只の中途半端なコメディ映画になってしまったかなあ、と思ってしまった作品である。
劇中、ムッソリーニが屡、口にするクラレッタは、彼の愛人であったが、政治的に関わった訳ではないのに、ムッソリーニと共に銃殺刑にされ、遺体が晒された女性である・・。>