劇場公開日 2019年5月24日

  • 予告編を見る

「挑戦的なものを感じた」歎異抄をひらく カタ・ロースさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0挑戦的なものを感じた

2019年6月19日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:映画館

知的

歎異鈔に「親鸞は両親のために一度の念仏も唱えたことがない」という言葉が実際にあるのですが、今の浄土真宗では長い念仏で葬式をあげるのがメインというのが一般的になり過ぎてるので、この映画で「最も大事な“教え”を聞かないで、形ばかりの葬式をあげるのが親不孝なんのだ」というセリフが出てきた時、こりゃ他の宗派から相当叩かれるなだろうな、、と思いました。予想通り、のようです。
仏教の宗派は捉え方によって無数に枝分かれしていて、その中に違うものも正しく伝えられてるものもあると思います。しかしながら、”釈迦が実際に説かれたもの“がある以上、正しく知らないと意味がないし、色んな捉え方があって良いんだ、というものでは決して無いと思います。少数派が正しいこともあるだろうし、多数の人が求めてるから正しいとも限りません。
最終的には自己判断にならざるを得ないのですがそこの選択を間違ってはいけないというのが最も仏教の難しいところであり重要なことだと思います。

私は、実際に歎異鈔に書かれている通りの解説をされているこの映画を支持します!

“親鸞は父母(ぶも)の孝養(きょうよう)のためとて、一辺にても念仏申したること、いまだ候はず。” 歎異鈔第5章

“わが力にて励む善にても候わばこそ、念仏を廻向して父母をも 助け候わめ”

(それが自分の力で励む善なのであれば、念仏をさしむけて父母を 助けることもできましょう。しかし、善などできる私ではなかっ たのです。)

コメントする
カタ・ロース