「平板で底の浅いドラマ」歎異抄をひらく 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
平板で底の浅いドラマ
アニメの作り込みは今ひとつ。しゃべるのに鼻から上がまったく動かないで口だけ動くのは昭和のアニメのレベルである。最近のアニメはもう少し細かく出来ている気がする。声優陣は熱演で、アニメの不備を補っていた。
親鸞といえば悪人正機説が有名だ。本作品では善人が救われるならそれ以上に悪人が救われるという悪人正機の考え方を中心に、善とは何か悪とは何か、善人とはどんな人か、悪人とはどんな人かを説いていく。
しかしその説法に違和感があった。浄土真宗の開祖にしては言葉が浅いのだ。宗教を興すのはそれまでの宗教とは違った考え方を持っているからであり、つまり思索の人が新しく宗教を興す。にもかかわらず本作品の親鸞は一方的に浄土宗から引き継いだ悪人正機を説くだけだ。とても思索の人とは思えない。実際の親鸞は全然違うと思う。
深みのない言葉に子供が納得するわけがないのに、いきなり説法を聞いた子供がその言葉に驚いて感心するのはリアリティに欠けると言わざるを得ない。ご都合主義的な臭いを感じた。
平次郎たちの成長物語としてもいまひとつ。波乱万丈とまでは行かなくても、人生には紆余曲折があるはずだ。うわべは坦々と過ぎていったにしても、内面には苦悩や葛藤があって当然である。しかしそれが感じられなかった。ただ親鸞の言葉に感心し従うだけの若者というのは真実味に乏しい。おかげで物語に立体感も深みもなく、平板で底の浅いドラマになってしまった。親鸞という人物を掘り下げた物語が観られると思っていただけに、少しがっかりした。
しかしこの作品のおかげで親鸞という人がどういう人だったのか興味が湧いた。五木寛之さんの「親鸞」を読んでみることにする。
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