パリの家族たちのレビュー・感想・評価
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だらだら感想
⚫︎ある女優のセリフ
私が父親なら よかった
世間は男に寛大だもの
母親は影響力が大きすぎる
母親の視線に
ほんの少しの無関心を感じたり、失望の色があったら、子供は深く傷つき、いつまでも忘れない
母親は一生後悔し、子供の挫折や失敗も自分のせいだと責める
あまりに責任が重すぎる
⚫︎ある母親の葬式 をみて考えたこと
その人を語るには、母親の側面以外ないのか
一人の人として何も知らない
子供、夫、子供を産んでからの知り合い
誰が一人として認識し語ってくれるのか
⚫︎ある友達同士の会話
親の死を願うのは、
人生をやり直したいからよ
変化を求めているの
死は願ってない お葬式を想像するだけ
感想、考えたこと
いろいろな母親と子供の関係がある映画だった。
親はどちらも大切だと思うけど、母親には役割以外に理想像があってそれが高く求められる。
父親に求められる役割はあるけど、どういう人かはない気がする。理想はもしあっても共通認識ではないような。
この映画を見てて思ったのは、娘たちは大人になると母親というプレッシャーがある。
自分と母の関係を考え、自分が母親になることを考える。母親がなんなのかわからないけど、母親というものに自分がなるプレッシャーみたいなもの。
現実では わからないながらに、気づいたら母親になっていてなんとかこなして、それで色々な母親がいるんだと思った。
母親の理想像はどこから来てるのだろうか。
女性はいろんな人がいるのはわかってる。
でも母親はこういうものと記号にしてしまうのもわかる。
そういえば友達が子供を産んだけど、私には友達のまま。昔から知ってる身近な人の場合は理想を押し付けてみない。母親って記号にしないなと思った。
静かで色々な家族の映画。
分かりやすい正解がなく、結末は明るい方へ向かうけど気分は沈んだまま。
最後のタップダンスで少し回復。
タイトルなし
母親になって母の気持ちがわかったこともある。
そのとき母はもうこの世にいなかったけど。
子を持つ持たない
子供が好き嫌い
人が人を育てる
正解もないし簡単なことじゃない
母の日のプラカード抗議
あれには嫌悪感を覚えた
母への感謝は行事じゃない
子供は一人じゃ生きてはいけない
母になるなら育てる覚悟は必要
助けがあれば更によい
方法は其々
考え方も其々
自分と家族のことを考えながら鑑賞
母に感謝
産んでくれてありがとう
家族に感謝
私は幸せだな
「私だけではないんだ」と勇気づけられる
仕事を持つさまざまな女性の母子関係を中心とする心温まる家族の物語…、かと思いきや、いやはや、一筋縄では行かない。「多様な母子関係に配慮しきれないので、母の日のプレゼント作りはやめる」と宣言する教師と、激怒する母親たち。母親よりベビーシッターになついている子どもたち。「面倒くさい子ね」と言って娘を傷つける母親。会食しながら授乳する女性に「母親はそんなに偉いのか」とキレる独身女性。さまざまな立場の女性たちが、傷つき、傷つけ、イラつき、困惑し、疲れ果て、不安になる。母の日というステレオタイプの鋳型に収まらない現実がこんなにあるよ、映画は繰り出してみせる。母になること、母であり続けること、母の子であり続けることに、救いはないのか。映画は答えを示さない。私たちは、小さい頃から教科書、CM、ドラマなどの社会的なチャンネルから、理想の母子像をインプットされている。そのため、自分の現実を理想からの引き算で評価しがちだ。この映画は、さまざまな現実を見せることによって、「私だけではないんだ」と、見る者を勇気づける。話が進むにつれ、予期せず胸がキュンとしたり、ほろりとする瞬間が増えてくる。それは、女性大統領のように救いが示されるシーンもさることながら、何も解決されない些細な場面でもある。たとえば、妊娠検査薬を反抗期の娘に見つけられ、「ママはもう年を取り過ぎ。それに弟は一人でたくさん」と毒づかれた母親が、しばらくしてから、「まだ産めるか調べたかったの」としんみり言う場面とか。中国人の娼婦がスカイプで話している相手が誰かわかった瞬間とか。最後の数分は、今どきの表現を借りれば「号泣」状態であった。
PS ここで「号泣」と表現するのは、「号泣」本来の意味としてはまちがっています。
【複雑化する家族の姿と共に、現代パリで様々な生き方、働き方をする女性を描こうとした作品。】
ーある”可成りヒネクレタ”気性の母親の娘たちの姿を通して、現代の家族の中での母親の立ち位置を描こうとした作品。ー
登場人物が多く、上記娘たちも
・大学教授、ナタリー 母の日に付いて教鞭をとっているが、子供嫌い。
-彼女の2つの”行為”は大人げなく、観ていて受け入れられなかった。-
・ジャーナリスト、ダフネ 二人の娘と上手く関係性を築けていない。離婚しているようだ。
・イザベルは子供時代、母親に愛されていなかった事は心の傷になっているようだ。
又、彼女たちと子育てしながら大統領職務を果たそうとする女性や花屋の女性も群像劇的に繋がりを持って描かれる。
<一人ひとりの描き込み方が浅く、フライヤーにある”365日奮闘する幸せになりたい女たち”という謳い文句が、響かなかった作品。
が、様々な女性の生き方や、母親の存在の偉大さを描こうとした部分は良しとしたい。>
母の日
人間は哺乳類なので好き嫌いに関わらず、昔から強制的に子供ができて出産するのが多数派でしたが、現代は避妊も出来るし、結婚もしなくていいし、子供が欲しくない人には良い時代ですよね。だからこそ多様な生き方がでてきて、今作みたいな作品も作られたのだと思います。個人的には、母=神聖という概念が、子有り女性も子無し女性も苦しめるのかなと思いました。動物が出産したら生物的には勝者でしょうが、まず子有り子無しで悩まないので、動物をお手本にすると女性も気が楽になるのではないでしょうか。
母親って
母親って子供からすると、無条件に愛せる存在でもあるし、なんか訳わからないけど許せない…拒否したい存在でもある。
母の日を題材にして、色々解説されているのだけど、私にはよく解らなかった。
『母の日サラダ』に紛糾したのは笑えたけど、フランス人もそんな事、考えるんだね…日本だけかと思ってました。
女で娘で母で
パリを舞台に、様々な家庭を「母親」というテーマで切り取る。
出産した現職の女性大統領
認知症の母親に悩むジャーナリスト、大学教授、小児科医の三姉妹
舞台女優
妊娠が発覚したゲイの花屋の姪
etc
様々な人物が、パリで生活をしていくうえで、母親、娘、女性という立場での、主に「困難」を描いている。
多様化する家族の形態に、小学校での「母の日」が対応できないとか、老後の母親の面倒を見るのが子供の義務なのか、女は母になるべきなのか。
こうした問題がパリの日常を舞台に語られていく。
登場人物の関係性も面白い。
それぞれの人物が、なんかしらの人物を介して繋がっている。
同一、または近いコミュニティでのエピソードになっているのだが、それぞれのトラブルや問題が独立していて一見すると無関係の物語に見えるというのが面白い。
演者も美人が多いし、おっぱいポロリもあるし良い。
かなり心に刺さる作品であったけど、ひとつ問題点があるとすると、
場面転換に物語性がないため、登場人物が多すぎてわかりづらいというところ!
母という厄介な存在
母の日をテーマに、母について深く切り込んでいます。
女でもなく、母という厄介な存在(笑)
けれど、人はみな母から生まれ、母の影響を受ける。
存在しても、しなくても母の存在は大きいということを実感するのではないでしょうか。
母についての詩を朗読する場面があるのですが、「おかしな人」と(確かそんな表現)。まさにぴったりです。
そして母になってからの混乱。
母になれない葛藤。
母という存在への苛立ち、羨望がよく描かれています。
そのどれもが「あるある」で、国は違っても思うことは同じなんだなと、納得。
地味だけど、いい作品だなと思いました。
世界中の全ての…
いろいろなエッセンスや対比があって、世界中の全ての女性と女性のハートをもった人(男性)に向けたメッセージだと思う。
女性大統領で母親というのはかなり稀有だが、この映画の中に出てくる登場人物の抱える悩みや葛藤は、世界中どこでも共通のことのように思える。
僕は男性で、心も男性だが、この映画は、世界中の、そうした女性や女性の心を持った人への賛歌だと思う。
子育てが終わった母親も、
母親として奮闘中の女性も、
母親になろうとしている女性も、
母親になるのに臆病になっている女性も、ためらっている女性も、
母親になるのを諦めた女性も、
養子を迎えようとしている女性も、
いつまでも女性らしくありたいと願っている母親も、
遠く離れて暮らす子供に想いを馳せ辛い仕事をしている異国から来た母親も、
母親に感謝しつつも母親を終の住処に見送ろうとしている女性も、
そして、これらに該当するかもしれない女性の心を持った人も…だ。
女性や女性のハートを持った人には、この映画のエールが届けば良い。
男性や男性のハートを持った人は、こんな悩みや葛藤があるのだということを頭の片隅に入れれば良い。
大統領アンヌの言葉は、多くの人の心に届くものだろう。
世界は多様化したというが、こうした女性や人の悩み・葛藤は結構似ていて、実は、分かり合えるところが逆に多いのではないか。
多様化しても、案外世界はシンプルだったりするのだ。
じんわりと余韻が広がっていく素敵な映画
脚本が素晴らしいと感じる映画でした。(試写で見て映画館にも来ました)
群像劇で職業もおかれた環境も違う母、母子、母になる子、母性を抱く女性。。。本当に様々な家族・恋人との関係を描いていて、時々ぐさりとえぐりこむような描写もありつつ、家族の在り方・今後のことを考えさせられる映画でした。
一口におもしろいといえるような派手な娯楽映画ではないけれど、じっくりと見て、考えて、じんわりと余韻が広がっていく素敵な映画だと思います。
現代のパリを生きる女たち
この作品には、心に残る場面がある。官邸の廊下の脇を衛兵に整列させ、その真ん中を大統領役のアンヌが、闊歩する場面と舞台女優アリアンが若い男性とタップダンスを繰り広げる場面は、秀逸と言っていい(映像はパンフ 参照)。最後、母の日に、姉妹たちが、彼女たちを育てた老いた母親の後ろ姿を見て『私たちのルーツは(あの)母親よ。』という台詞を呟くと。母の日がどんなに大事なことであろうか。フランス パリの母親事情が、画面から自然に現れる。女は強し、母親はもっと強しという感想に行き当たる。だからこそ揺れ動く女性たちの日々の苦労が、画面から滲み出てくる。年老いた母親の姿を見れば、なおさらそんなことがうかがい知れる。この品は、「現代に生きるフランス女性への応援歌」とも言える。
フランス、パリの母の日に
群像劇で、パリの階級も立場も異なる複数の家族が母の日に向かっていく日々の生活をスケッチしていく。
登場人物がかなり多くて前半で、ザクザクと紹介されるので、分かりにくいところは、有るが複数の女性陣のアンサンブルが中々面白くて個人的には良かった。
架空の女性フランス大統領から街角に立つ娼婦まで、多くの女性が、母として家族といかに接していくのか、どこで登場人物がつながるのかなどのパズル的要素もあまりワザとらしくなくていい。
この手の群像劇でかなり御都合主義のものもあるので。
日本映画やアメリカ映画と比べるとヨーロッパ映画は中年から老年代女優がキチンと活躍出来る状態は、成熟度を感じる。
しかし近年のパリが舞台のフランス映画を観ていると、本当に多種多彩な人種が生活していることが、実感できる。
かっこいい女の人たち
フランス映画に出てくる女の人は、自分の意見をきちんと述べるの。そこカッコいいのね。それでちゃんとディスカッションするんだよね。そこもカッコいい。
フランスの人は「近代民主主義を作ったのは我々だ」って誇りがあるんじゃないかなって、フランス映画のそういう部分を観るといつも思うの。
そしてフランスの女優は年齢を重ねても可愛い。自分の意見をきちんと述べるのと関連あるのかも知れないけど。この映画に出てくる女優さんもみんな可愛いのね。
中でも特にジャーナリスト役のクロチルド・クロが好きだった。続いて大統領役のオドレイ・フルーロ、教授役のオリヴィア・コート。
出てくる女の人は何らかの悩みを持ってて、多分それは「女性」だから持たされてしまう悩みなのね。描きづらいところだなあと思うんだけど、踏み込んで描いてる。
色んなシーンが面白かったけど、授乳する人と同席する食事で、大学教授が自分の胸を出すのが好きだった。確かに、食事中に授乳してたりオムツを机の上に出す人と同席だったら、違和感は抱く。でも……ってところを描いてんのかな。
女、働く女性、妻、ママそして毒母!?
登場人物が多く、場面がコロコロ変わり、人物像や状況がよくわからないまま話が進み、何の話なのか混乱し、なかなか頭に入ってこない。
パリの街並みや、ファッションも期待はずれで、印象に残った言葉は、「母親はそんなに偉いのか」だった。
皆でレストランで食事をしているときに堂々と授乳をして、いかにも私は子育てしてて偉いのよ、と見せつける態度も如何なものか、しかし、それを目くじらたてて怒るのも如何なものか、女性同士のあるあるでこの討論は永遠に続く世界各国共通の問題なのだと思った。
最後はみんな、家族を思い愛していますという終わりだが、どうも毒母は毒子が育った成れの果てなのでは?これも、世界各国共通なんだな?と感じてしまった。
最後にやっと、登場人物の人間関係がわかり、プチ感動が沸き起こる。
女は弱し、されど母は強し
原題「母の日」にあるように、パリを舞台に「母に感謝する日」を巡って様々な職業や状況にある女性の群像劇を通して、母とは、母になるとは、または母にならない選択を含めて、その意味や意義を見詰めていく。
この群像劇の中心になっているのは、認知症の老母を抱えた三姉妹で、夫々仕事を持ち、生活がある彼女らが、人生の転機を迎える中で迷い、葛藤しながら歩む姿を映し出していく。
この三姉妹とコントラストを成すように重責を担うポストにありながら新米ママになった女性と、身籠ったのに恋人がつれない女の子が登場して、改めて母になるとは何かを浮き彫りにする。
この作品を観ると、母の偉大さ、母に対する感謝を新たにします。
母親との絆と呪縛
てっきりいろんな女性の“生き方の選択”にスポットを当てた映画かと思っていましたが、テーマは“母親”でした。
いろんなタイプの家族を通して、“母親としての悩み”だけではなく、“母親に対する悩み”も描かれているので
きっと誰が見ても、どこかしらに共感出来る部分があると思います。
きちんと向き合おうと奮闘する人々の姿がとても愛おしい…無力な自分を受け入れたり、大胆なアプローチをしてみたり、時にはイライラが爆発したり…
そして、一つ一つのエピソードの登場人物たちがリンクしているところからは、「自分だけじゃないんだ。実はすぐ側に自分と同じ悩みを抱えている人がいるかもしれないし、お隣の人は自分とは別の悩みを抱えているかもしれない。様々な悩みを抱えた人々が繋がって社会が出来ているのだなぁ。」と思えて、少しホッとするような、もっと社会としても出来る事があるような気がしてきます。
ゴールも正解も無い問題だけれども、前向きになれるヒントがたくさん詰まった映画でした。
この世に生を受けた人間には必ず母親がいる。
父親はわからなくても、必ず十月十日お腹の中で育ててくれた産みの母はいる。
ただ問題なのは、子供を産んだからといって、それだけで誰もが母親検定合格とはいかないところ。(^^;;
そもそも母親だけに子育ての責任を押し付けないでほしいところではありますが、
女性自身も「良い母親像」という幻に振り回されていると感じています。
フランスなんて、日本よりずっと女性の生き方の選択肢が多くて、恋愛だって生涯現役なイメージでしたが、いろんな悩みを抱えているところは同じなんだなぁ。
むしろ選択肢が多いだけに、他にもワンチャンありそうな気がして、もがいてしまうのかも?
例えば「女性は子供を産んで家事をするもの」といった、他に選択肢の無い国では、女性達は悩む暇すら無いかもしれない。
せめて悩める私達は、有り難く真剣に悩まなければいけないと感じました。
いろんなエピソードのなかでも、特に私が共感したのは、
時間の無いなか不得意な事を頑張り過ぎないで、時間のある得意な人に手伝ってもらえば良いというアプローチ。
手伝ってもらう事で心のゆとりが生まれるうえに、子供にとって良くも悪くも大き過ぎる母親の影響力の緩和にもなる。
大家族なら、おじいちゃんやおばあちゃんが緩和剤になったり、母親とは別の価値観を持ち込んでくれたりしたのだろうけど。
私は自分が母親なので、私が子供に与える影響力が怖くてたまらない。
母親vs子供の閉鎖された関係には、ろくなことが起きない気がする(^_^;)
出来るだけ、パートナーや社会が介入した子育てが理想だと、改めて感じました。
この作品こそ母の日サラダ
パリで暮らす様々な人々の日常の話。
誰がどんな人物でどんな状況にいるのか良く判らないなかで、沢山の人物が登場するそれぞれのシーンをスキップしながら話がスタート。
何か良くわからないけど、みんなモンクばっかだな…。
何度かシーンを重ねたところで何となくそれぞれの抱えていることが判ってくるけれど、一つ一つのシーンが非常に短く兎に角跳びまくる。
結局はみんな親、子供、パートナー等家族を思い愛していますという群像劇だけど、一つ一つの話は大して深みがないし構成が面倒臭くなかなか頭に入ってこない。つくった人は判っているから良いのだろうけど…。
つまらなくはないし、何度かみれば最初から頭に入って来てもっと面白く感じるかも知れないが、何度もみたいと思う程惹かれる感じはしなかった。
完璧じゃなくてもいい
"母"という存在について考えさせられる映画でした。
お母さんだって、一人の人間で、女性で。
愚痴をこぼしたくなるときだってあるし、泣きたいときだって、寂しいときだってある。駄々こねたいときもあるだろうな。
「完璧じゃなくていいよ、もっと肩の力を抜いて」
そんな風に寄り添って、そのあとポンっと背中を押してくれるような映画。
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