「写真の力に泣く」浅田家! R41さんの映画レビュー(感想・評価)
写真の力に泣く
撮るだけ撮って、アルバムにしたらもうあまり見返さない写真。
完全デジタルな時代は撮って終わりだ。
意外に皆知らないSDカードなどの媒体の寿命。SDカードに限って言えば、たった2~3年だ。
「僕の写真はSDカードの寿命で全然ないんだ」 こんな会話は今後増えるだろう。デジタル時代だからこそ、大切な思い出は写真としてアルバムにしておくべきだろう。
さて、
3.11の時に被災写真を洗浄展示し持ち主へ返却する活動の報道は覚えている。
確かにあの時、何もかもすべてなくなった人にとって、1枚の家族写真がどれだけ大切なものかを感じた。
あのクレームを出した人のように、最初は遺体発見だが、次は写真探しをするのが日本人だろう。日本人の被災写真洗浄返却作業という活動は、世界中に報道されていた。他の国ではすべてゴミとして一掃処分されるようだ。
もし写真が一枚もないなら、どんなに悲しいことだろう。
少女が政志に依頼した家族写真だが、もう父はいない。
かつての浅田家の写真風景から少女のの想いを叶える方法を発見した。その風景の中には、内海家しか見えない父がいた。
脳腫瘍の息子と家族写真 いまこの瞬間、息子は生きている。その瞬間を切り取った一枚。かけがえのない一枚。いま、この瞬間が、永遠にそこにあるのだ。
普段は気にもしない写真だが、写真の持つ力を改めて感じた。
冒頭、父の死に母が泣き崩れるシーンの違和感、「あれ、おかしい?」
ですよね。さすが風吹ジュンさん、そんなことだって簡単にできてしまう。兄の次男役もまたよかった。
最後もハッピーエンドがこの作品にはふさわしい。写真を撮るときというのは基本的には最高の今だから。
作品の中に登場する被災地の取材カメラ。現地で活動する人の動き方を注文しているような場面。それに嫌悪を示す政志。使い方次第で大きく変わってしまうことをさりげなく忍ばせているあたりがよかった。
親父の遺影が消防士の恰好というのはありだと思う。遺影はその人が最も輝いていた時のものでいいはずだ。それをおかしいと考える方がおかしい。
個人的なことだが、実家にカメラが登場したのは、私が生まれたときからだった。それ以前にはなかった。
昭和40年ごろから徐々にカメラが普及し始め、平成時代にはレンズ付きフィルム「写ルンです」が主役だった。
いまではカメラは一つのアプリになっている。
家族も徐々に代が変わってゆく。すべてが大きな流れの中にあって、立ち止まっているものなどどこにもない。
だから、いまこの瞬間の写真を撮るという思いは、意外にとても自然なことなのかもしれないと思った。