「食卓から始まり食卓に戻る映画」浅田家! keithKHさんの映画レビュー(感想・評価)
食卓から始まり食卓に戻る映画
両親、兄、そして自身の家族四人が様々な職業のコスプレに扮した写真集「浅田家」で、2009年に木村伊兵衛写真賞を受賞した写真家・浅田政志氏(1979~)の、自著に基づいて制作された実話ドラマであり、多くの人の想像通り、「家族」をテーマにした作品です。
ドラマの舞台は彼方此方に広がりながら、浅田家の食卓から始まり食卓で終わるという、浅田家のダイニングルームを小宇宙にして展開する、いわば“浅田家”という一家族の私小説映画といえます。
但し、単純に家族愛、家族の絆の崇高さを謳い上げてはおらず、笑い、泣き、(手に汗)握る、という、やや不完全燃焼気味ながら、娯楽映画に必須の三要素を備えた秀作です。
映画は前半と後半で作風が全く異なります。
コミカルな前半は、主役の政志は専ら客体となり、その時々により兄と幼馴染の恋人の二人の視点から描かれていき、政志の感情表現より行動表現に徹します。やや奇矯な彼の言動とそれに翻弄されつつ包容する家族が、殊更クローズアップされ映像化されていくために、観客は一幕の喜劇を観賞するように、仄々とした愉快な気分に陥ります。寄せカットが殆ど無く、引きカットで撮られているので、深刻で重々しい空気感はなく、弛緩して心地良くただ微笑ましく眺めていられます。
但し、後半、東日本大震災後が舞台になると、カメラの視点が政志に移り、政志自身の感情が情動的に直に描かれていきます。前半の抑揚のない緩いテンポの長音階から、激しいリズムの高速の短音階へと、映像が転調します。
落差の効いた、この切れ味鋭いメリハリを創作した脚本構成は見事です。
被災支援の苛烈で悲惨な、ある意味で殺伐とした情景が、徹底的に政志の主観で描かれていきますが、そのプロセスで家族写真成立ちの本質に覚醒し、物語は原点、即ち「浅田家」のダイニングルームに回帰することになります。
そこにフォーカスされる食卓こそ家族のシンボルであり、レゾン・デートルであり、エッセンスであるという、非常に深遠な哲学的サジェスチョンを寓意している、と捉えるのは穿ち過ぎでしょうか。
「家族」をしかつめ顔で振り被って表現されるより、日常の一断面を捉えた家族写真を通じて浮き上がってくる暖かさには、率直に感動します。政志が家族写真を専門に請け負い、各地の家族を演出して写真を撮っていく、他愛ないシークェンスを眺めていた時、何故か涙が溢れるのを禁じ得ませんでした。