主戦場のレビュー・感想・評価
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韓国も慰安婦問題で一枚岩ではなかった
慰安婦問題とはなんだったのか
ということを解きほぐしていく映画
情報量が多いのでなかなかついていくのが難しい
本作は日系アメリカ人によってつくられた映画だが
日本人に対してのインタビューが多い
テキサス親父(トニーマラーノ)、櫻井よしこ、ケントギルバート、杉田水脈など
多数の右派論客がでてくるが最近は忘れ去られている人もいる気がする
2020年代くらいから
もう慰安婦のことは右派にとっては関心がなくなっているのだろうか?
日本、韓国、そしてアメリカと
慰安婦問題の関係を描写している
アメリカに慰安婦像が作られていることに右派が拒否反応をしめして、
それを「バックに中国がいるので、カネをもらって慰安婦像をつくらせた」
という発言があるがそれは事実ではない
歴史修正主義者と呼ばれる右派論壇と左派論壇の意見を対比させている
基本的には「従軍慰安婦はあった」と受け止められる映画だと思う
「慰安婦は人数20万人」
「強制連行があった」
「慰安婦は性奴隷か」
という問いに対しては
20万人という数は別にして、ほかは肯定しているようように見えた
本作を観ると
韓国も戦後当初は慰安婦問題について積極的ではなく
元慰安婦は韓国でも沈黙させられていた
儒教、家父長制が理由としているが政治的な理由もあるらしい
2015年の日韓合意は元慰安婦当事者を無視して決められたというのは驚いた
挺対協の人が
強制連行されていないとされる慰安婦もいるという意見に拒否反応を見せるのは
かなり政治性を感じたし
韓国もこの問題に関しても一枚岩ではない
一方日本人は
自分も含めて慰安婦問題に対してはそもそも知らない人が多い
日本の若者をインタビューするが慰安婦問題を若者はみんなしらない
河野談話では従軍慰安婦問題で謝罪を認め
そこから義務教育などで啓蒙されると思ったが
「つくる会」などがその反動で結成され
2007年ごろの第一次安倍政権下では教育に政治が介入できることにより
教科書に慰安婦の記述はなくなったというのは
日本人の自分でも知らなかった
右派が慰安婦問題に固執するのは
慰安婦を認めてしまうと天皇の責任を追及され
戦前を肯定することができなくなってしまうかららしい
日本会議が右派を主導しており
そのボスが保守論客の加瀬英明氏とされる
加瀬氏は慰安婦問題で
他の歴史家の本などは読んでいないという発言は驚いた
ネトウヨは本は読まないとされているが
それは保守論客のボスにも当てはまるのか?
では、韓国に対してはどう考えているのかというと
「韓国は中国が没落したら日本に泣きついてくる」と言うが
そう思っているのなら、『中国が攻めてくるから軍事増強』という
右派がよくしている主張とどう整合性をつけるのかわからなかった
元ナショナリストの女性にもインタビューをしているが
南京大虐殺の証拠を突き付けられて右派論客から転向したという
彼女は6万ドルを櫻井よしこ氏と関係があるジャーナリストに寄付をしていたらしいだが、それは詐欺にしか見えなかった
右派論客は寄付金チューチューもしていたのか?
ラストに監督から
「日本人はアメリカの戦争で戦うつもりなのか?」という問いがあるが
少数のネット右翼は「日本のために志願兵として戦うぜ!」となるかもしれないが
自分を含めて大半の日本人は深く考えていないと思うので猛省をしないといけない
この映画を2024年に見ると安倍晋三元首相も杉田水脈議員も自民党が旧統一教会と関係があったのに
嫌韓なのは意味不明だよな
フェイクニュース作成のお手本
良く出来ていました。フェイクニュース作成のお手本です。なのでメディア・リテラシー啓蒙のための格好の教材です。
人は自分に都合のよいものばかりを集める「確証バイアス」に陥りやすい。その典型です。編集テクニックの成果ではあるが、よくもまああそこまで醜悪な右翼の論陣を集めたものだ。監督に気を許したのか、思わず前のめりに興奮気味だった。なんとも侮蔑的・差別的な物言いで、普段ならあそこまでは言わないような表現が多かったように思う。学術的価値よりもこうした言説を好まない人達に向けたエンタメとして消費されることを狙っている。反対にリベラル側の物言いは淡白で、対比から誠実そうに見えた。考え方や数値の非合理性が薄められたように思われる。
一方で「歴史修正主義」のレッテル貼りが陳腐というか、公平性を欠く。
戦前は売上のためアテンション・エコノミーに走り、満州や中国大陸の租借地利権に飽き足らず、中国内地への進出まで後押しして軍の尻を叩いて煽っていた新聞メディアが、戦後は「一億総懺悔」などと一般国民に責任を押し付け、軍をその気にさせた責任を知らんぷりして軍国主義の弊害を非難し、全てを天皇制と軍国主義の責任として擦り付けた。戦後すぐの左派勢力が決めつけた「歴史観」のみが正しく、それに異を唱えるとまたもや今度は「歴史修正主義」とレッテルを貼る。間違った認識は検証して丁寧に根気よく修繕していくべきで、それが学会やメディアの責務なのだが、絶対にそこには手を付けさせない傲慢さ、不寛容さ、歴史に対する「謙虚さ」の欠如がこの映画からは感じ取られる。その意味で万人が見るべき映画だと思う。
言葉の力
2時間、知識が薄いなりに必死で内容についていくために、集中しました。
家族に勧めてもらって鑑賞するまで、こんな凄い映画が作られていたことを知らず。この映画ができてから今日までの間にも、日本、世界の状況は変わっていて、それがとても良い方向だといえるわけではない現実。
戦争が終わって今年で78年。
その間に何度も何度も歴史についての論争が行われてきた。事実は一つなのに、何故それが180度違う事になって話になるのか?
不思議で仕方ないけど、対比されている本作を見ていると、とても良くわかる。
事実をそのままにしておくと、都合が悪い。
謝ることが出来ない(正しく)
※政府は謝罪しちゃだめなんだって言ってた藤田さん。ビックリしたわ。そんな政治家いらんわ。恥ずかしないんかな、そんなおかしなこと真顔で発言するなんて、、、
立場が変われば歴史の捉え方が変わる。
でも、事実は事実。
日本の戦争に関する重要な書類の7割が焼却されたこと、これだけでも大事なのに、正直初めて知りました。
日本◯議のリーダーて言われてる加瀬さんも初めてみました。言ってることが気持ち悪すぎて理解できないし、こんな人をTOPにもってきてる団体を相手に議論しなければいけない世の中って???マジ?ってなった。
言葉の力ってすごいなって。
一つのインパクトのある言葉が独り歩きしてしまう。その言葉を利用する輩がいる。
発言に責任を持たないくせにべらべら喋る杉田議員とか、ほんま、言葉がない。
女性、差別、奴隷、人権、いろんな言葉が一つ一つもっと丁寧に考えて、捉えて、扱わないといけないことをひたすら感じた。
一度見ただけではとてもすべてを理解することが私にはできなかったけれど、今まで知らなかったことを一つでも知ることができてよかった。
世界のどこの国とも仲良くできる、敵のいない国にいつか日本がなるように、しっかり今の子どもたちに平和について伝えていきたい。
日本資本の作品じゃないことが悲しい。
観終わって思うのは、慰安婦の有無はフリで、日本に巣食う病魔の正体に迫ろうとしたものの、もっと踏み込んで欲しかった。
アメリカ資本で作られるこの作品は、いわゆるマニアックと呼ばれる単館でしか公開されなかった。きっと劇場にも日本のメディアと等しく政府の監視による圧があったのだろうか。あるいは日本のメジャーや劇場が腰が引けたのか。かつて、とある議員が自ら担当する省庁のことを伏魔殿と称した。そのお父さんの時代は経済的にもイケイケドンドンだったので金権政治が話題になったが、今の時代は思想を背景にしているからこそややこしい。
「騙された奴が悪い」は性悪な親や口の悪い近所のおじさんが教えてくれた。全国の学校の先生の口癖は「みんな仲良く」。今こそ万国共通のスローガンなのでは。
この映画を見る価値は、元日本兵の言葉だけだ。1時間45分頃登場する。
この映画で煽られてはいけない。
歴史修正主義者との会話は時間の無駄だ。この映画を見てそう思った。
さて、
『自由と民主主義の美しい日本を望む』事に異論は無いが、未だに日本人の叡智は『PLAN75』を容認する様な程度だから、まだまだその実現には程遠いと思う。(俯瞰した言い方で申し訳ありません)
また、この歴史修正主義の考え方は『PLAN75』の考え方と共通する所がある。それが分かる方は、この映画を見る必要はない。
慰安所があった?虐殺があった?食べた?と議論する事自体無駄。全てあった!とすれば、この映画の価値は無い。寧ろ、この映画を見て、真面目に検証しようとする方が問題。つまり『PLAN75』があった方が良いか?悪いか?と同じ。『良いわけが無い』で、話は終わり。
追記
この映画見るよりも、この映画のレビューの方が為になる。
鳴り響く音楽や扇情的な字幕などの演出は、ちょっとね・・・
従軍慰安婦問題に関心を持った日系アメリカ人のドキュメンタリー作家ミキ・デザキ。
関心のきっかけは、日韓から遠く離れた米国に「平和の少女像(慰安婦像)」が建てられるようになったこと。
さて、強制連行、性的奴隷といった実態は、あったのか、なかったのか。
双方の主張をインタビューして、デザキなりの実態に迫っていく・・・
といった内容で、2本立てで先に観た『i 新聞記者ドキュメント』が「ひとに迫るドキュメンタリー」ならば、こちらは「コトに迫るドキュメンタリー」。
個人的には「ひとに迫るドキュメンタリー」の方が断然好きで、「コトに迫るドキュメンタリー」はどちらかというと好きな形式ではありません。
「コトに迫るドキュメンタリー」でも科学分野ならば、客観的に冷静に、さらに「ほぉ、なるほど、これが真相か!」となるのですが、こと政治が絡んだコトになってくると、どうしてもイデオロギーが全面に出ちゃう。
そうすると、演出が押しつけがましくなりがちで、鳴り響く音楽や扇情的な字幕などが多くなりがちで、観ていて疲れてしまう。
ということで、この映画もそんな演出の呪縛からは逃れられず・・・
もう少し、淡々と演出した方が、コトの本質がわかりやすかったと思うのですが、いかがなものかしらん。
それにしても、「なかった」派のひとびと、目が笑ってませんね。
笑える内容ではないですが、どことなく死んでいるというか・・・そんな感じでした。
上智大学の倫理観の没落が見てとれる作品
産経新聞のみが去年の映画について忘れずに注目している模様。なにやら、学者の会が上智大学の倫理規程に完全に違反していながら、当該大学の卒業テーマとして本映画をつくりあげた監督が公開を強行採択したことに対して強く批判しているようだ。
SNSでも、本ニュースを受けて上智大学を擁護する人々は、口を揃えて学者の会を「極右」などと表記している点も、映画監督が一方の論客を「歴史修正主義者」とレッテル貼りした行為と似ており、面白い。
要はそんなやつらしか観てなかったし、この映画をよく評価してくれてなかったのだろう。
そんな中でのこのニュースである。もちろんリベラルな新聞社は全て報道しない権利を選んだ。恥ずべき態度である。
さて、そのニュース記事を見て、上智大学のどん底を見ることができる機会かもしれないと思い至り、レンタルショップに足を運んだ。
なるほど、劣悪なマスコミ関係者の常套手段をふんだんに使った印象操作の塊のような映画であり、大学が認可したものというよりは、ありし日のシールズが編集したイメージビデオのような出来だった。
知性のかけらもない。これを高く評価できる連中はコロナにやられる前から脳がなにかに侵されているに違いない。
よくできてる〜
日本映画大学ドキュメンタリーコース公開講座で鑑賞。
そんなに期待してなかったんだけどすごい面白かった!
監督ははっきりと結論を持っていて、そこに向けて完璧にストーリーが構成されていた。編集とか音楽の使い方とかもすごく上手くて、見てると気持ちが盛り上がる。映画としてのクオリティが高い。
「愛国者」の人たちはこれを見てそりゃ気持ちよくないだろうけど、それならこれのカウンターとなる作品を作ってほしい。もしくはこれに対する真摯な回答を見せてほしい。
それが提示されるなら、私はすごく見たい。
上手く臭いものを並べたとは思うが残るのは虚しさ
ひとことで言うと慰安婦について、ああだこうだ言う主な論壇の人物を並べました所、非常に香ばしい事になりました。と言った処でしょうか。
慰安婦問題について、取り敢えず何だかわからんと思っている人には参考になる映画かと思います。
でも結局、どういう立場の言論人であってもほぼ政治なんですよね。
自らを保守、右派だと思っている人は、左派のプロパガンダ映画だとレッテル張りをするだろう。そもそもそういう奴らの思想は自分で思っているだけで、本来の保守でも右翼的でもない。困った事にこの保守、右派を自称するナラズモノでしかないエセ右派の奴らが世間一般的に保守派、右派などと認識されてるんだから困る。靖国で民兵的なコスプレで行進する映像も出て来るが、エセ右派の本質とはこのコスプレ右翼と同じである。想像の中にある輝かしい過去の栄光の大日本帝国を勝手に着飾って同化し、自分の足りない隙間を偉大な国家イメージで補完しているに過ぎない。そして自分と同化した輝かしい国家にキズは許せないのだ。国のキズは勝手に自分のキズと認識するバカなナラズモノである。勝手に国家をお前のモノにするなと言いたい。
そして恐らく、自分が左派だ、リベラルだと思いこんでいる人たちの殆どは、憎き右派が顔を表し、本性の一端を出したか!この野郎。って盛り上がった感じだろうが、そんな感想では浅い。エセ右派に怒るインチキ左派に偽リベラルとしか言いようがない。
なお、出演している一般的に左翼レッテル貼られそうな学者先生一同は論理的で、冷静で、誇張もなく、極めてマトモである。南京大虐殺についての件では中国の誇大な人数を肯定する人もいない。
エセ右派の奴らは人種、性別に差別的である。映画で徐々にその部分が滲み出てくる。インタビューと言うのは恐ろしいモノだ。運動家に女性が多いと言うのが気にかかるが、以前国連か何かのレポートでも日本の女性は自分たちの存在を否定するような保守派を支持し、それは抑圧的な日本社会が逆にそういう女性を育てるのだと結論付けていた様に覚えている。
私の目から見ると、元慰安婦は置き去り。
映画にも出てくる一部の慰安婦の傍にいる挺対協でさえも、本当に慰安婦の事を想って傍にいるのか私は懐疑的だ。元慰安婦の傍には、ほぼ彼女らの事を思っている人など誰もいないのだ。でも頼る人も、取り返せない時間も、酷い過去も消えない、寿命が目の前に迫っているだけ。
見る人にも依るとは思うが、私にはそういう救いようの無さが見えた。
偉そうな上から目線的な感想としては、
よくまあ学生がこんだけ丁寧にインタビューを集めたなという事。
そしてまたしても、こういう日本の問題を描いたのが日本人では無かったと言う映画が一つ増えて悔しく思った。
とはいえ日系米国人という微妙な距離と怖さを感じない知識の薄さが功を奏しているのかもしれない。いずれにしてもどういう立場でも日本人にはこうは描けない。
あえて苦言を言うと、卑怯にも過去から逃げるクソ野郎を右派とか保守と言うのをやめてもらいたいし、先の戦の失敗を失敗とも思わず全肯定とする者を国士と持ち上げ、先の戦で事実上軍の公報紙だった朝日を、戦後の謝罪広告一つとその後のペンを向きを左っぽくしたことで左翼の親玉みたいに持ち上げ、紙相撲の双方の力士に仕立てた状態を土俵の基本とするのはやめてもらいたい。
この映画でも右派という言葉は出て来るし、朝日があたかも良心のような感じであり、その右派とか言う奴らに対する好敵手の役者として当たり前に存在している。
この構図にはうんざりだが、仕方がない部分もある。
登場人物がこの土俵で戦う事の前提の頭しかないので、このまま話が続くしかないし、多分見ている観客がこの土俵で認識するので、この土俵のままで進めざるを得ない。
事を単純化して一見分かりやすくなっているんだろうが、レッテルとスローガンだけがビラビラ中に舞い、思想の中身がどこかに行ってしまっており、知らないうちに八百長相撲を取らされているようなものだ。
私は概ね反米主義者だと思うが、あの国民が自国の問題を自ら暴き、告発する姿勢には敬意を表したいし、「Born in the U.S.A.」の曲を代表とするその姿勢は何しろかっこいいと思うし、日本にはその姿勢が感じられず、悔しく、情けないと思っている。
反省と言えば萎れる事であり、過去を全否定し、黒く塗りつぶして、軍に全責任を背負わせて決別し、生まれ変わる事であり、それが生き辛くなったら、拗らせて今度は過去を全肯定で劣化コピーだ。結局本来あるべき前向きな反省は誰もしていない。
しかし国士面した奴らはやたらと武士道精神や美しい日本を取り出すが、何処が武士道精神で美しいのだろうか?
心やさしく、言い訳をせず、人のせいにせず、常に自らの行動を心に問いかけ顧みて、知識を増やして更に自らの行動に照らして工夫と改善の目を養い、常に自らを厳しく律し、例え刀を鍬に持ち替えても変わらずに平時より自らを磨き、心から足の裏から明日へ備え整えるのが武士の姿なのでは無かったのか?
それにしても、描かない事が悔しいのに増して、ケツを自分で拭かずに人のせいにする事を良しとする自称国士さまは何とかならんのか。国賊以外の何物でもない。
映画でも語られるが、なんだか慰安婦について、その言葉が最近生み出されたとか、その反論も何だかマニアックな話になって、更に韓国に利用されてあたかも日本に対する韓国の問題に特化してしまい、そこしか話が広がらず、エセ右派論壇もそれに対する抵抗というか、単に嫌韓のツールでしかない。なんだかおかしいことになっている。
昔は慰安所、慰安婦について、その中身の問題意識についての認識は薄いが、その存在自体の事実は普通に語られていた。
私は50歳手前ですが、子供の頃に慰安所、慰安婦の話は普通にその頃の映画の中でも描かれており、単に戦場の悲しい話の一つであり、連行とか匂わせ程度しか描いてはいないが、その存在は普通だった。皇軍の規律を守るためのツールであり、暴行を防ぐ皇軍ならではの画期的な福利厚生システムだと言われていた。TVで中曽根元総理が海軍主計時代に行った慰安所の設置予算割り当ての自らの手腕・実行力を自慢していた。元総理が言わなくとも中曽根主計官の慰安所の予算を割く為の要望書も残っている。
なぜ今になって無いとか嘘を言うのだ?
嘘だと本当に思っていないのであれば思考能力低下を心配した方が良い。
証拠がない?
軍が出入り業者に任せて最初から証拠つもりが無いと思うのが普通だと思うんだが、間違っているだろうか。桜の会も名簿が無い事になっているのにさ。
慰安所・慰安婦に関しての証言は個人的に実際の当事者でもあったが、それを否定する人たちが結構居て、彼らの証言が結果的にその事実を語っている事が多く、結局「軍による強制」という意味が実際に命令し、軍が徴用を実行した事のみを言うか、出入り業者に口約束でやらせている事を含めるかとか、言葉遊びでしかない。
性奴隷と言う使い方に関しても、金銭が発生したから、息抜きの時間があったから奴隷では無いとか、映画でも語られるが、私から言わせれば「女郎」「くるわ」の言葉をはじめとする公娼制度や人身売買システム自体が恥ずべき行為で、性奴隷で、慰安婦だけに収める問題ではない。
更に昔は仕方がなかった。では明らかにダメで、今は全部犯罪である事が出発点でなくてはならないのに何でであろうか。
慰安婦問題が韓国発の政治問題化された事も全てはこの部分の初期認識、行動が間違っているから、収まる訳がない。ましては日本政府と皇軍は与り知らぬなどとシラを切り、逃げるなんぞは恥知らずの売国野郎だ。
映画では語られないが、そもそも慰安婦の半分弱は日本人なんだぜ?
ところが日本人の慰安婦の語り部がいると言う話は余り聞かない。
映画では韓国社会の構造的差別が慰安婦の供出に結果的に協力した様や、戦後なかなか言い出せなかった原因、証言内容がなかなか定まらない原因として語られる。
では日本は何であろうか?
全員本心で立候補した稼ぎ手だから?強制されていないから?そんなの有る訳ない。
最近になってやっと満州引揚前のソ連兵の性の防波堤に村から供出させられた婦女の証言が少しづつ出始めた。
日本人は慎ましいから。とか言う奴までいる。どっかのレイプ問題で炙り出てくるクソ野郎どもと同じ土壌がそこに見える。その土壌は深すぎる。
誰も考えないし、日本人は日本人自らをバカにしている。
この問題自体を韓国から言われてあたかも韓国に対する問題だと思っている。
情けないことだ。
映画は最終的に香ばしさの原因の解明と分析に入る、この辺はドキュメンタリーと言うよりはレポートになるかも知れないが、概ね正しい内容かと思う。安倍、麻生を筆頭とした日本会議との繋がりが影響力を発揮し国家が妄言を発するバカげた世の中。
自民党の河野さんが公式に語った河野談話に否定的なんぞは、もはや自民党でもないのに党名も変えずイケシャアシャアと国会でふんぞり返っている。
最後に映画で出てくる日本会議の幹部の香ばしさと言ったら堪りません。だれの目にもイッちゃってます。かなりの収穫でしょう。
日本政府は今後、慰安婦を含めた公娼制度、人身売買システムとその社会を許しません。日本の過去・現在だけでなく、世界の何処に存在するものでも許しません。それを撲滅するためには日本政府は汗と援助を惜しみません。の一言でも言えんものだろうか。
慰安婦問題は日本の糧に宝に出来るはずなのに、勿体ない。長期的には世界的な支持も得られるだろう。
と、自分も政治問題化しようとしている。。。
あらかた映画の内容は自分にとっては知っている内容であったが、あまり知らなかったのは朴裕河さんの内容と韓国内の評価とその構造である。なんか韓国の裁判になっているな、挺対協が批判の中心らしい、やたら産経が取り上げ、その割には朴さんを助けているのは日本の左派陣営で話の構造が変だなとは思っていたが、これまた深刻な話だった。戦中の外地時代の朝鮮が元々持つ差別構造を利用して朝鮮の社会が日本の女郎作成システムや慰安婦募集システムに組み込まれていく様を冷静に説明し、慰安婦の問題を正しく広く知ってもらおうとする事が、日本の右派に協力したと言うような感じで非難されるのだ。
慰安婦問題は抗日パルチザンとしてヒステリックに叫ばないとダメなのだ。恐らく元慰安婦が隠れずに自尊心を持って韓国社会で生きるにはこの方法しか選択肢が残されていないのではないだろうか。また挺対協とは左派の面を被った韓国に措けるエセ右派ともはや同じだ。これまた日本のエセ右派の喜びそうな餌である。
またしても元慰安婦の心は置き去りである。
被害者、弱者は利用し尽くされて、市井の人々の娯楽に、生き甲斐に消費されていく。
むなしいばかり。
歴史修正主義者のみなさんに好き放題喋らせて、それをひとつひとつ理詰...
歴史修正主義者のみなさんに好き放題喋らせて、それをひとつひとつ理詰めで潰して、「その前にお前ら人としてダメやん」とトドメをさすという展開なので、歴史修正主義者のみなさんが「騙された」と怒る気持ちはわかりますが、よしりんコピーのいつもの主張はしっかりと伝わってましたよ。
「ディベート」を映画にした訳では無い。
最初から『歴史修正主義者』となってて「ん?」と思ったが、あれだけ差別発言、二重規範、妄言を浴びせられたら「そうせざるを得ないのかな」と監督に同情した。とにかくマラーノ氏、藤木氏、杉田氏、加瀬氏の差別発言、差別的態度は酷かった(編集方法とは無関係だと思う)。
『差別にはとことん反対する』
とにかく両者を握手させる前に監督が云いたかったのは、こういうことだろう。
日本会議の目指すもの、「慰安婦」、「南京大虐殺」を否定する先にあるのは明治憲法の復活ではなく、国民の怒りを煽り、思想的分断を顕著にしたあげく天皇制を利用した特権階級もどきの確立なのか?現政権のクロをシロにしようとする様子から、そんな妄想をしてしまった。
簡単に「怒り」に煽られることがないように気を付けよう。
そして勿論、差別にはとことん反対する。
調べる気概もない人間が見ると洗脳されて終わる駄作
監督自身のコメントを和訳して以下にまとめます。
目的:差別の糾弾を通して憎悪犯罪を抑制すること
きっかけ:アメリカの知識階層にはネトウヨが多い。あいつらは自らの汚点を省みない!日本も慰安婦問題をみてると同じ構造のようだ!俺があぶり出してみせる!だそうだ。
この時点でなんかおかしいと気付いてほしい。
慰安婦問題はダシに使われているのだ。
後半からはもはや論客よりも監督のナレーションによる持論の吐き散らしが主体となる。
ちなみにリベラルのみなさんがよく使う手だが、ネトウヨのことをリヴィジョナリスト(歴史修正主義者)としてナレーションして、開幕から印象操作をおこなっている。この映画を観て思い出されたのは、A市の市長に対して行われた「切り取り」による貶め行為である。熱い意見交換の場を差別の現場のように観せるやり方は評価できない。はっきり言うが、差別者として映ったのは監督であり、リベラルであった。悪態をつきまくったネトウヨのみなさんは、被害者としてしか映らなかった。
課題でコピペしてんなよ・・・
よくこれを修論のテーマに出来るよなぁ、これで卒業させてくれる大学院チョロすぎない?
文系はよく知らないが、論理性が感じられない。あの題材で政治批判は無理がある。司会進行が誘導してるんだから世話ないよね。
結論、ゼロ点。
ただ、それだと評価に影響しないからやむを得ず0.5点出すよ。
政治になった
従軍慰安婦問題について、主張の隔たる双方の意見を呈示する映画なのね。
「実際はどっちなんだろ?」と思って最初は観てたんだけど、どっちかは解らないね。同じ素材使って、編集で、どっちにも結論もってけそうだし。
たぶん自分で調べたら、一目瞭然なんだろって気はした。でも、従軍慰安婦問題を、一次資料にあたって調べることをするより、他にやりたいこと一杯あるからね。
それでそうなってくると、両陣営とも、「実際にどうだったの?」よりも、皆を自分の陣営に引き込むのに有利な話を探すよね。うまく整理して主張すれば、自陣を利することができるもん。これ、もう、政治なんだよね。史実・事実・真実は関係なくなってんの。
「こちらの陣営の論理の組み立ては、ちょっと甘いなあ」ってのはあったよ。だからといって、そちらの陣営を全否定しようとも思わなかったけど。
最後の方で、ケネディ日砂恵の「国の誤りを見つけたら、もうナショナリストではいられない」って発言は、そうだろうと思ったね。そうなると、ナショナリストは、国のやったことを全肯定するしかなくなるね。
時は金なり
いい言葉だと思います。
時間はお金に変えられますが、お金は時間に変えられません。
コメントが映画と関係ないですって!?
だったらこの映画の最後30分も「慰安婦」とは関係ないことをデザキさんが語っています。
この映画を見て、「慰安婦問題」が理解できた!と考えるのは間違いです。
そこがこの映画の騙しの手法です。
なぜならば、保守と言われる人たちが否定している「強制連行」「20万人」「性奴隷」について、デザキ監督は何一つ反論していません。しかし、演出によって小気味よく保守派が斬られているように描かれているのがこの作品です。
この映画の演出と同じ手法を使えば、リベラル論者に「慰安婦問題」を否定させることも可能です。
全体の文脈を捉えずに、コメントを切り貼りすればよいわけですから。
あなたの大切な時間とお金は、あなたのもっと大切なものに使って欲しいと思います。
でも、予告編で櫻井よしこさんが、「It's very complicated」と言っている部分、「It」がどういう意味なのか知りたければ本編を見なければなりません。
さよならレボリューション
歴史修正主義者たちの呆れた妄言は、もはや一顧だにする価値などないことは今さらながら明白なのだが、彼らがこれまでいかに虚言を弄し、誇張し、糊塗してきたかを客観的に、根気よく解きほぐしていく過程が小気味いい。
名古屋や大阪での慰安婦像の展示をめぐる騒動に暗澹たる思いを抱いてきたが、あの問題にどのような立場をとるのかが、その人の民度をはかる一種のリトマス紙となる(芸術作品としての良否はこの際措く)。要するに、品性下劣な政治家に最高権力を与え続けているおめでたい国に住み、せっせと働いて彼奴らを食わしている現実が腹に据えかねるのである。人間の尊厳を徹底的に踏みにじってきた過去の過ちに真摯に向き合わず、あまつさえなかったことにしようとする悪魔の所業に非を唱えることは、極めて真っ当である。映画は、この点を指摘しているに過ぎないが、それをすらリスクと捉える勢力が中枢にいるという日本の現実。そして飼いならされている衆愚。さよならレボリューション。
映画監督とは呼びたくない
前振りの文章と中身が違いすぎる。
私は右派でも左派でもないが、作品の偏向が度を過ぎている。
新しい事実を研究するでもなく、右派対左派の議論をするでもなく
なんの新しい視点もない。
最初から作者の思惑をひとの手を借りて表現しただけ。
ドキュメンタリーにもなっていない。
政治的プロパガンダにもなっていないし、それほど考えられた作品
にも見えない。
人生に失敗し教員をかじっただけで知ったような気分になり、出たがり屋の
自己満足でしかない。
こういう作品が評価されるなら津田大介のほうがまだマシ!
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