「それらのどれでもない寸止め。」スノー・ロワイヤル ウシダトモユキさんの映画レビュー(感想・評価)
それらのどれでもない寸止め。
嫌いじゃなーい!むしろけっこう好きかも!!
どんな映画?って、ひとことで説明させない意地悪さが気持イイ。
「息子を失った男の復讐」的なノワールの2歩手前。
「いつものリーアム兄さん、待ってました!」的なアクションの1歩手前。
「小洒落た仕掛けとブラックなユーモア」的なオフビートコメディの半歩手前。
それらのどれでもない寸止め。でも何かに中途半端な映画じゃなくて、ちゃんと突き抜けてるのが新鮮で、面白くて、なんていうか可愛らしい映画。
リーアム兄さんを主演に置くのも、絶妙に上手過ぎてズルい。
「リーアム・ニーソンの人気とか知名度とか演技力に依存してる」っていう意味のズルさでは全然なくて、「すでにリーアム兄さんと、その常連客の間にはある程度の約束が結ばれていて、こういう映画にリーアム兄さんが出てくると、観客はある程度の心の準備と楽しむ姿勢ができている」っていう暗黙の了解を、確信犯的に最大限に利用しているズルさがある。
でもそのズルさは全然腹立たないやつ。むしろ「わかってる!デキる!!」と感心しちゃう。
その「リーアム兄さんと常連客の暗黙の了解」をフル活用して、ある時は「わかってるよね?」と説明をすっ飛ばしたり、またある時は「こう来ると思ったでしょ?残念でした!」と裏をかいたりしてくれる。
ちなみにその「暗黙の了解」とは何か?うまく説明できるかわからないけど、あえて言葉にするなら、
「リーアム兄さんがスクリーンに映されると、それは不憫でバカ強な男なのだと理解してしまうこと」
という感じだろうか。
僕らリーアム兄さんの常連客は、リーアム兄さんが(映画の中で)どれだけ苦労してきたかを知っている。全身火だるまになったり、雪山でオオカミと戦ったり、遠い昔銀河系の彼方でクマドリ野郎に斬られたり、キリスト布教に来た日本で逆さ吊りにされたり、娘に誕生日プレゼント買ってドン滑りしたり、飛行機に乗っても電車に乗っても必ずロクな目に会わない。
だから僕らはスクリーン越しにリーアム兄さんに会うと、まず挨拶する前に「あ、かわいそう。」と思ってしまうのだ。だからうっかり「いいよ。数人だったら、ぶっ殺しても、いいよ。」と事件が起こる前から許してしまうのだ。
そしてリーアム兄さんは、ちゃんと応えてくれる。バカ強だから。少しくらい雑な物語でも、無理くりな展開でもいいの。リーアム兄さんだから。
それがリーアム兄さんと、僕ら常連客の、男と男の約束だと、僕は思ってる(笑)。
そんな男と男の約束を踏まえた上で登場した僕らのリーアム兄さんは、息子を失った苦悩も、復讐に心が冒されていく苦悩も、残された夫婦関係が壊れていく苦悩も、軽くすっ飛ばしてサクサク悪党を雪かきしていく。
「フツーの模範市民なのに、なんでそんなにバイオレント?」なんて野暮なことは考えない。リーアム兄さんがどんな映画に出てこようが、元ダークマンで、元エージェントで、元ジェダイマスターなんだから、そんなことはいいんだ。リーアム兄さんがスクリーンに出てきた時点で、「何人かはぶっ殺してもオッケー」って約束になってる。
でもこの『スノーロワイヤル』のエライところは、そんな「リーアム兄さん映画」としても、0.05歩前の寸止めで、踏ん張ってるような気がする。
まず、麻薬ギャング団の面々や、その敵対インディアン団の皆さん、地元警察の人まで、脇の登場人物たちがみんなすっげーキャラが立ってて良い。
いちばん良かったのは「編集」かな。人が死ぬたびにテロップ出るのが言及されたりしてるけど、そのテロップが出ること自体が面白いんじゃなくて、テロップの出るタイミングが、死者の数が増えるごとに「食い気味」に入ってきたりする。ということは直接的に人の死がたくさん映されるわけじゃないのも品が良い。
人の死を、ちょっとドライに描いて相対化してるっていうか、それを編集のテンポで調節してちょっと滑稽にしてる感じが初期の北野映画を思い出したりする。
まぁ、リクツどうこう抜きにして、面白い映画だった。後から思い出して面白さがジワジワ来る感じもまた良かったなぁ。
謂わばあれですね、「リーアム・ニーソン専用テンプレ」
テンプレは上手く使えばこんなに時間を短縮できるのだ、という好例。
「どうせリーアム兄さん怒りのブッコロシモードで無双するんでしょ?ありがとうごちそうさまでした」という満足感。