「窮鼠はチーズの夢を見る」窮鼠はチーズの夢を見る 重金属製の男さんの映画レビュー(感想・評価)
窮鼠はチーズの夢を見る
誰かを好きになることに明確な理由など無くてもよいのです。「一目惚れ」っていうロマンティックなものがこの世には存在しますが、それも誰かを好きになるきっかけとしては充分なのだと思います。恋愛において誰しも相手に求める条件というものがある程度あると思いますが、多少条件に沿えない相手だったとしても、好きになったのであればそれは例外になってしまうらしいです。ただしそれは相手の持つ倫理的・道徳的によろしくないところも飲み込んでしまおうということではないと思います。相手のよくないところを指摘できてこそ、相手の本質を観れていると言えると思うのです。「心から相手と向き合う」とはこういうことなのでしょう。それを歪な形ではありながらも唯一体現していたのが今ヶ瀬だったのではないでしょうか。
愛する人には喜怒哀楽全てを伝えたいけれど、誤解や軋轢が生じるリスクもあり、素直に伝えるのは決して容易ではない。「1ヶ月に一度、半年に一度でもいいので、そばに置いてくれませんか。」なのに「お前はもう要らない。」でしょ。相手との温度差を感じる時ほど凍えるものはないと思います。その反面、たったいっときでも同じ温度で重なる時の喜びはこの上ないものだとも思います。髪を撫でる指、分け合う煙草、誕生日のディナーへ向かう足取り。どれも素敵なシーンでした。
結局大伴は今ヶ瀬と再会してどう変わったのでしょう?きっと優柔不断で自分の意見を言えない自分と向き合えるようになったのではないかと思います。よく「恋人は自分を映す鏡」だなんて言いますが、直向きで自分の意見を容赦なく言える今ヶ瀬を通して大伴は自分自身をようやく認識できたのだと思います。最後に二人が共にあの部屋に佇むことはなかったけれど、元通りになったカーテンと、そこから差し込む柔からな光と、空になった灰皿に、私は希望を感じました。