「武士の中の武士たる土方歳三の生涯」燃えよ剣 でいさんの映画レビュー(感想・評価)
武士の中の武士たる土方歳三の生涯
司馬遼太郎の原作である「燃えよ剣」の劇場版。
大河ドラマ「新撰組!!」の影響もあり、近藤勇、土方歳三、沖田総士らはその生没に併せた若い俳優たちにキャストされ、井上源三郎はお爺さんとなっている。
展開としては函館滞在中の土方が自身の半生を振り返り、幕府顧問のフランス人武官の質問に応える形で西暦による出来事を時系列で語る。
土方は「バラガキのトシ」として天領多摩の百姓の子であり、自分たちの主君は「公方様」(徳川将軍)という意識を持って成長する。
実戦剣術と打ち身に効く石田散薬の行商売買により土方は青春を過ごす。
また土方は攘夷論者であったことが一度もなく、蘭学者に師事した開国論者であり、江戸を離れる際に餞別に貰った懐中時計を肌身離さず大切にしている。(劇中で最愛のお雪に預けられる重要アイテム)
また新撰組の組織も旧来の武士団と違い、西洋流の指揮系統を持つ組織として素案を練った。
沖田総士らの「助謹」という役職も「オフィサー」を日本流に呼び換えたもので、小隊長であり局長、副長の指示で動く戦闘単位を示す。
そうした考え方故に同じ副長であり、天然理心流の食客で生粋の武士かつ攘夷論者の山南敬介とは初めからソリが合わず、土方の構想が実現していくと山南は次第に居場所を喪い、離隊した後に武士の意地で切腹している。
一方で土方と対を成す、会津藩主松平容保は旗本の子に産まれ、会津藩主の後継に抜擢されるが「桜田門外の変」の後に幕府総裁となった松平春嶽と「安政の大獄」から復権した一橋慶喜の恫喝に屈し、京都守護職という新設された火中の栗を拾う羽目に陥る。
松平容保の唯一の誇りと心の支えは孝明天皇から勅定を受け取り、過激派公卿に手を焼く孝明天皇が最も信頼するのは会津公だと示され、王城(京都)の平安を護れるのは容保と会津だと明言されたことだった。
ちなみにこれは「燃えよ剣」でなく司馬遼太郎の別の作品「王城の護衛者」からの引用。
攘夷志士たちを取り締まるのは正規の武士にとっては「穢れ」である(江戸の治安を取り締まる同心たちもその実、非正規武士)ため、清川八郎が会津の与力として江戸で浪士組を募って上京することになり、天然理心流の門下生たち近藤勇とその門弟達はその一員として支度金を与えられる。
土方は佩刀として大名の持つ名物を欲し、兄と姉に無心して大金を用意し「和泉守兼定」を求めるが、使い手がおらず埋もれていたとして古物商から僅か5両で入手し、磨き抜いた上で正に命を預けて戦うことになる。
その実、尊王攘夷派たる清川八郎は幕府の金で浪士組を上京させながら、将軍家茂警護は口実に過ぎず、長州と呼応すると宣言。
土方は水戸天狗党の生き残りである芹沢鴨らと清川暗殺を企てるが、打ち合わせ通りに行動しない芹沢が大喝したことで襲撃に失敗し、挙げ句に失敗の責任を巡り私闘することになる。
結局、清川は別の刺客に暗殺された。
近藤と共に浪士隊の局長となった芹沢は勝手な金策や酒色に溺れ、赤穂浪士を彷彿とさせるだんだら模様の隊服を採用するなどやりたい放題する。
土方は偶然沖田総士と共に土佐の攘夷志士たる岡田以蔵を発見して戦闘に及ぶが長州藩の援軍により窮地に陥り、負傷を手当しようとしていたところ、後に妻となるお雪に助けられる。
お雪が江戸出身の絵師だと知った土方は実戦想定型の隊服デザインを依頼する。
芹沢派を抑えるため土方は局中法度を作り、芹沢排除の手筈を整えていく。
また隊士募集においても監察として活躍する山崎蒸ら畿内の事情に精通した非武士も加え、密偵として使いこなす。
会津藩連絡役として松平容保の信認も得た土方は豪商鴻池からも金策した芹沢の蛮行への謝罪後始末と共に排除の確約を得る。
芹沢派で剣客たる新見錦を先に罠に掛けた土方は芹沢を泥酔させた上で厳選した部下たちと共に暗殺を決行。
芹沢は亡き弟に似ているとの理由で特に可愛がっていた沖田総士に討たれた。
やがて隊内で絶大な発言権を持つ土方自身が調査され、土方が懇意にしているお雪の元夫が長州藩密偵だったと山南に詰問され、土方はお雪と距離を置こうとする。
土方の真意を知る沖田は二人を取り持つキューピットたろうと奔走する。
だが、そのお雪から池田屋に長州藩士たちが集まっているとの情報を得る。
300年前の関ヶ原の戦いを未だ恨む長州藩士たちは足を東に向けて寝る慣習があり、襖の張り替えで出入りしていたお雪はその模様を見ていた。
土方は古高俊太郎を捕縛して拷問にかけ、長州藩士が池田屋に集結していると確認するが、敢えて自分たちは別働隊として御用改めにより他の潜伏先候補を潰す側に回る。
薬屋として池田屋に潜り込んだ山崎は宴会の準備を手伝うフリをして長州藩士たちの佩刀を隠し、内部から新撰組突入を手引き。
近藤、沖田、藤堂らは池田屋に入り戦闘を開始。
志士のリーダー格たる宮部鼎蔵については山崎が事前に人相を確認しており、近藤に知らせる。
急報を受けた土方らも後詰めとして池田屋に向かう。
池田屋では激闘となり負傷者死傷者が続出し、土方を案じるお雪は臨時救護所を設けて治療に尽力する。
土方到着時には沖田は労咳により戦闘不能に、更に藤堂も額を負傷していた。
藤堂と吉田稔麿との戦闘に加わった土方は討ち果たすものの、藤堂との間に遺恨が生じてしまう。
池田屋事件に続く蛤御門の変においては新撰組は主戦場から離れていた為に目立った活躍もなく終わる。
しかし、名を上げた新撰組は分裂と内部闘争に突入する。
沖田は土方とお雪を結び付ける役に徹するが、労咳は次第に蝕むようになり、山南の離反を追跡し、切腹においては介錯役となるが沖田の持つ「菊一文字」が殺めたのは同志山南一人となる。
近藤がスカウトした伊東甲子太郎は新撰組の分裂工作に関わり、同門の藤堂を抱き込む。
15代将軍徳川慶喜は朝廷との対立や内戦を危惧するあまり大政奉還を断行。
攘夷佐幕派の象徴だった孝明天皇も不審死し、伊東一派は御陵衛士として近藤と袂を分かつ。
近藤はあたかも大名のように佐幕派を纏めるため奔走し、土方と距離が生じる。
そんな中、近藤暗殺未遂が発生し、狙撃された近藤は二度と刀を振れぬ身となる。
土方は薩長同盟を成立させた坂本龍馬こそ日本の将来に必要な人物だとして巷間の噂に反して暗殺事件に関与せず、伊東らへの復讐で油小路事件を主導し、先に殺めた伊東の遺骸を囮に御陵衛士を集め、殲滅しようと藤堂も討ち果たす。
だが、この事件の影響が近藤の命運を絶つことになる。
鳥羽伏見の戦いにおいて新撰組は精神的支柱だった井上源三郎を喪い、松平容保と近藤は戦闘を忌避した慶喜に拉致される。
フランス式洋式主力部隊を擁しながら江戸に撤退した慶喜の決定で鳥羽伏見で惨敗。
江戸での戦いを嫌われた新撰組は甲州街道で官軍を迎え撃つ形となるが、心折れた近藤は新撰組を土方に託して投降し、御陵衛士の残党の告発で斬首される。
恭順を示し謹慎する徳川慶喜に対し、薩長から恨み骨髄で狙われる松平容保は苦悩の末に会津で交戦する決意をし、土方も容保の味方として会津に向かう。
松平容保を京都守護職に就けた松平春嶽は官軍に、慶喜は恭順と、梯子を外された容保と運命を共にすると誓う土方こそ悲劇の志だった。
転戦を重ねる中で、労咳療養のため江戸に預けた沖田は誰にも看取られることなく病死し、山崎は江戸への撤退中に死亡。隊士たちもそれぞれの判断でちりぢりとなった。
函館五稜郭を電撃的に制圧した土方の武名は敵味方に知れ渡る。
また転戦に際して髷を切り、洋装した土方は嫌っていたフォトグラフで後世にその勇姿を残す。
そして、対話の場面たる現在に到った。
友情の証として「和泉守兼定」と拳銃を交換。
お雪はその生涯を土方歳三の妻として送る決意で函館にやってきた。
別れ際に預けられた懐中時計を土方に返却して抱き合う二人。
すでに降伏を決意した榎本武揚と袂を分かち、官軍参謀部に単騎突入した土方歳三は狙撃によりその生涯を閉じる。
その亡骸はお雪たちの救護所に運び込まれるのだった。
洋装で洋式戦術や組織運営の中心を担った土方歳三こそ、形骸化していた武士の概念を新たな方向性に進化させようと苦闘した武士の中の武士であり希代のケンカ屋だった。
岡田准一が土方歳三を見事に演じきっている。