ある船頭の話のレビュー・感想・評価
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そこには失ってしまった大切なものがあった
オダギリジョーの監督作ということで、彼の志向が気になり観賞した。
これは山間の川岸で暮らす船頭トイチの物語。橋がない時代は渡し舟で川を渡るのが常だったが、橋の建設がトイチの人生を変えようとしていた。
変わっていく自然や生活の中で本当に大切なものは何かを問うシリアスな作品。終始美しい自然を映し出す瑞々しい映像があった。素直に感動した。
トイチを演じた柄本明のオープニングの眼差しが忘れられない。「火口のふたり」の佑と親子で主演男優賞を争いそうだ。
宮崎駿監督へのオマージュと飛ぶ少女
ひょっとしてオダギリジョーさんはものすごく宮崎駿監督とその作品を愛しているのではないか。
①もののけ姫へのオマージュ?
お祭りの少年たちの登場の仕方が『こだま』(首というか顔というか、とにかくクルクル回ってカタカタ鳴ってた、あれです)にしか見えませんでした。
〝自然〟と向き合う人間のあり方についての探求。自然から命を貰い世代を繋いでいる人間が、結果的に自然の中の命を奪っていることについて無頓着過ぎるのではないか。そのようなテーマ性がどことなく重なって見えました。
②ピュアな少女、飛ぶ少女
宮崎駿監督作品には、必ず出てきます。紅の豚の飛行機修理工場の孫娘フィオだってジーナとの対比では〝女〟ではなく〝少女〟に属します。
ピュアな少女を前にすると、男はなぜか、いい年食った冴えない中年男であっても、自分がどう見えるのか気になってしまい、時として、遠い思春期に置き忘れてきたはずの自意識に目覚めてしまう。
船頭だって今まで散々、利用客との会話で自分を見つめ直すキッカケはあったはずなのに、少女との出会いで急に自意識センサーの感度が高くなっていたわけです。
そして、宮崎駿監督作品の少女は良く飛ぶのです。
ナウシカ(メーヴェ‼️)、シータ(翔ぶというより浮かぶですが)、キキ(魔法使いですから当然、箒)メイとサツキ(トトロと一緒に飛んでますよね)、ポニョ(波の上を飛ぶように走ってました)、千尋(言うまでもなくハクと)。
この作品の少女が川の中で舞っている姿も〝飛翔〟を表していると思いました。少女が飛翔する姿はそれを見るものに「いつまでもその笑顔のまま飛んでいて欲しい」「自分はそれを見守り続けたい」という気持ちを起こさせます。
ひとつとても気になったのは(私の見間違いでなければ)ピュアな少年の心を持っていたはずの源三が、あのような〝汚れた大人〟になってしまったきっかけのひとつとして、少女の初潮の場面に立ち会っていたことを描いたことです。大人になることの戸惑いを少女自身が感じることを描くのなら理解できるのですが、なんとなく釈然としないものが残りました。
『魔女の宅急便』で12歳のキキが、自意識(恋愛感情)に目覚めた途端、それまで自然体で飛べていた箒に乗れなくなる展開があったので、その辺のことを何か形を変えて表現しているようにも考えたのですが、うまく結びつきません。
そんなに酷くなく安心して見られた
見終わってそれほど不満の残らなかったオダギリジョー初監督作品。作品が始まって、話の流れとか、キャメラの撮影が初監督とは思えないとつい関心してしまった。元々小田切は、「映画監督」希望の役者と聞いているが、「役者」としてドラマや映画で広く活動していた。
最近は、海外の映画にも参加していて「監督」でなくて良かったのではないかと思わせる活躍ぶりであったが、それらは全て映画監督になるための「礎」「足がかり」になっているように思える。それが、血肉となっているように感じた。今回の作品おいてもキャメラのアングルやキャスティングの豪華さに引き込まれた。しかし、パンフを拝見し、撮影監督にクリストファードイルを起用しているのを知り、「どおりで…」と思った。柄本が演じたトイチの櫓で漕ぐ手慣れた仕草は良かった。舟の速さと四季折々の遠景のコントラストは、ドイル自身の技かそれともドイルが小田切に伝授した撮影技法なのかは判らないが、落ち着いた描写で描かれてている。「橋を架けること」を「時代の流れ」に見立てているところは、小田切自身の着想か。
ただし、一つの話の要所要所をフェードアウトを起用しすぎている点は、作品の流れを削いでいるように見えて、カメラ独特の技術に頼り過ぎていると思われる。
トイチが自分の将来を思い巡らし幻想的な場面を見る所や時に残酷な場面の挿入は作品を飽きさせないものにしている。小舟に乗る人と漕ぐ者の他愛もない会話は、作品に良いスパイスを与えている。特に、草笛さんの独り言のようにトイチに語りかける所、大女優ならでは。芸妓役の蒼井さんのぼやき。トイチに仁平が父親の遺体の処理の協力を願い出る所は、仁平役の永瀬の演技に妙に安心してしまうのはどうしてだろうか。物語が始まって最初、仁平の父親が客としてトイチの舟から下りる際、ある言葉(内容は忘れちゃいました。)を残して立ち去る場面とリンクしているような…。作品の作り方は丁寧だと思うし、酷い飛躍もなく最後はそうであろうという着地点で収まっている所は、個人的に不足のない作品でした。次回はどんな題材の作品を見せてくれるのでしょう。
監督の〇〇観が詰め込まれた作品
映画ファンではなく、オダギリジョーファンとして、彼の人生観、人間観、生死観、宗教観、笑いの感性を垣間見ることができ、とても満足でした。
前評判通りの映像美にも引き込まれます。
主題として強く問題提起されるのは古いもの・新しいものへの価値観。新しいものへの期待、憧れと同時に抱く、古いものへの執着、憧れ。
便利さの追求による人間性の崩壊、社会的歪みが表現されている。
狩人の死のエピソードについては、生死観と宗教観が見えたように思う。
仏教、キリスト教、アニミズム、それらを思わせるものが散りばめられ、トイチは悲しいと言う。人が死ぬことは変わらないのに、宗教は分かり合わない。そんな悲しみか。
会話の中に登場する小ネタには過去出演作を思わせるネタや、おかしなセリフの間、リズムには監督の笑いのセンスが出たように思う。クスリとくる笑いが嬉しかった。
序盤、妙にきれいで丁寧なセリフに違和感を持ったが、徐々にストーリーにメッセージ性を感じ、世界に引き込まれていた。
キャストも豪華、メッセージは盛り盛り。詰め込み過ぎと言われるかもしれないが、大テーマは一貫して表現され、それに付随して監督の〇〇観が垣間見え、まとまっている。
オダギリジョーの長編初監督作、長年温めた脚本から彼の〇〇観を感じ、満足でした。
ノスタルジーと秘密
物語はほぼ、山あいの川の両岸で綴られる。
近代化が進む日本で、最後まで開発から取り残された山奥の集落をつなぐ「渡し」の「船頭」の話としてだ。
ストーリーは、新しく川に架かる橋の建築中から完成後まで。
しかし、この映画には、橋が完成したら船頭の仕事はもう要らなくなるといったノスタルジー以上の濃密な、そして、多くの秘密を孕んだ物語が散りばめられていた。
上流から傷を負って流されてくる少女・フウ。
なぜ流されてきたのか。
村を去った人間がトイチに残したマリアの肖像画。
この山奥の集落は隠れキリシタンの里だったのか。
仁平の父は、多くの山の生き物を頂いて、そして自身が遺体となって、山の奥で動物たちに食べられることを望む。
これは、本当に個人的な希望なのか。狩を生業とする者たちの半ば鳥葬のような宗教儀式ではないのか。
そして、まるで、動物に食べられた仁平の父の魂のように舞うホタル。
トイチが、「川を渡してやってるのは俺なんだ。橋なんかできなければ良い」と考えたことを告白するようにフウに話すのは、まるでキリスト教の告解のようでもある。
トイチはフウにマリアを見たのではないか。
どうして、トイチは自分の村を出なくてはならなかったのか。
もしかしたら、マリアの肖像画自体がトイチの持ち物で、トイチ自身が隠れキリシタンなのではないか。それが理由なのではないか。
また、終盤のトイチが動物の皮を扱っている場面は、日本の差別・被差別の問題を想起させる。
そして、近代化によって様変わりする村人たち。特に、源三の変わりようは激しい。
最後の事件で、フウは、実は近親相姦の因習のなかにあって、そして、途中で密かに語られていた一家殺害を、復讐の衝動でやってしまったのではないかと思わせる。
トイチを見て狂ったように泣き叫ぶフウは、キリストに助けを求めるようにさえ見える。
船頭小屋に火を放ち、もう一つ新たな秘密を抱え、トイチはフウとともに、舟で渡しを後にする。
二人が幸せであれば良いと願う。
近代化に向かう日本の、100年と少しぐらい昔の話だろうか。
人と自然。
近代化と因習。
こうした対比のなかで、隠される秘密、告解、そして再び隠される秘密。
ずっしり見応えのある作品だった。
何もない人間
村外れの川辺の小屋に独りで暮らす渡し船の船頭の話。
橋の建設が始まり仕事の終焉が見えてくる中で、流されてきた大ケガを負った少女を助け共に暮らす様になっていくストーリー。
主人公と仲の良い青年源三との描写がアクセントになってはいるけれど、村人や橋の工事関係者等、様々な人を渡しながら少しの会話を交わす日常が深掘りされるでもなくまったりたっぷり続いて行く…名前の由来の件では、トイチといえば奈良漬けだななんて脱線した思考が頭に浮かんだ程のまったり感。
その割にやけにサスペンスフルな少女の噂話が背後に流されているというね…。
世情を受けて変わって行く人と変わらない人の機微がどうのというには少女の件はエキセントリック過ぎるし、それをやるにはまったりがたっぷり過ぎて怠いし、と鑑賞している最中から感じてしまった。
ある意味「贅沢」な映画
本作はオダギリジョー監督と仲間たちで創りあげた映画です。昔のセゾン系配給作品を思い出します。日本を代表する俳優たちがオダギリジョー監督のために手弁当で出演したとしか思えない脚本と演出は、的が定まらず不鮮明で少し詰め込み過ぎだったかもしれません。(※監督が伝えたいことは映画を見て理解できます)が、ああ~勿体ないなぁ…と思ったのは、猟師役の細野晴臣さんの遺言を息子が叶える葬儀のシーン。この話しだけで一本映画が撮れます。しかも本作の中で一番良い話しなんです。好き勝手なことを書いて申し訳ありません。オダギリジョー監督の次回作に期待します。
オダギリ監督作品!
初っ端、タイトルがスクリーンに映し出された時の不穏な雰囲気に怖気づく
これは映像美だけがウリの作品じゃないぞ!と覚悟を決めて鑑賞🎞
人は便利さを求める生き物
環境は絶えず変化していくが、人の心はどうだろう?
変わる人と変わらない人…
風の音、川の流れる音、雨音、鳥のさえずり、蝉の鳴き声、そして橋を作る音、様々な音が印象的
そこに神秘的な音楽が加わり想像力をかきたてる
人間の優しさと卑しさが詰まっている
こんなふうに書くと小難しい作品だと思うかなぁ?
単純に楽しめたんだよ、いや楽しむっていう言い方は適切じゃないのかも
映像も音楽も素晴らしいんだけどストーリーが秀逸!
ぜひぜひ劇場で♪
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