劇場公開日 2019年11月29日

  • 予告編を見る

「オマージュと決着」ドクター・スリープ ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0オマージュと決着

2019年11月30日
iPhoneアプリから投稿

スタンリー・キューブリックの映画「シャイニング」が、これほど原作者スティーブン・キングを悩ませたのかと…。

僕は、映画シャイニングを初めて観た時、こんな怖い映画があったのかと、友人とグッタリして映画館を後にしたのを覚えている。1月の寒い夜だった。

でも、スティーブン・キングは、この映画を批判していた。

理由は、原作ではジャックが、善の心を維持しようと葛藤しつつも、徐々に狂気に苛まれていく様子を大切に描いているのに、映画はそれを正確に描いていないからということだった。
僕は、本当の恐怖は、善良な心が狂気に変貌することなのだと言いたかったのではないかと思った。

ただ、僕は、スタンリー・キューブリックの「シャイニング」には、ジャックのようになかなか世間から認められないような人物が、あのような曰く付きの孤立した場所に置かれてしまったら、人間、誰しも気が変になってしまうのが、実は当たり前の「人間らしい」ことなのではないかと、キューブリック作品に貫かれている独特な逆説(パラドクス)も込められていて、やっぱり面白いし、そして何より、あの演出はおっかないわーと思っていた。

そして、改めて、このドクター・スリープを観て、実はスティーブン・キング自身が、スタンリー・キューブリックのシャイニングを観て、葛藤のようなものを抱いたのではないかと感じた。

酒が人を狂わせるのか、酒に呑まれる人が悪いのか。
ダニーを通じて、永遠に答えの出そうなない問を自分自身にも投げかけていたのではないか。しかし、結果はどちらも同じではないのかと。

映像表現としてのシャイニングと、原作のシャイニング。
原作者の意図と、読んだ側の感じ方のギャップ。
しかし、実は、あのシチュエーションで人が正気を維持出来ず、気が変になっていくことは人間らしいのではないかと逆説的に考えることも、狂気に陥る善良な人間の様を見つめるのも、案外根っこは一緒なのではないか。

そして、批判だけでは、なかなか意図を理解してもらえないことに対する、自身の決着の付け方として、ダニーが父ジャックのように狂気の淵に落ちず、踏み止まり、抱えていた闇の部分を振り払うことによって、映画では描かれていなかった狂気に抗う一縷の良心を描いて、スティーブン・キングのシャイニングにも決着をつけたのではないのか。

そして、これは自身を散々悩ませたスタンリー・キューブリックと、そのシャイニングに対するオマージュではないのか。

三輪車の後を目で追うだけで迷路を感じてしまうホテルの廊下。
ホテルの執事。
静寂を称えた、だだっ広いホールの真ん中に陣取るバーカウンターとバーテン。
朽ちかけたバスタブの老女。
洪水のような血潮。
双子。
追うジャック。
斧で空けられたドアの割れ目。
雪に覆われた幾何学模様のヨーロッパ風の庭園。

後半に描かれるオーバールック・ホテルの場面は、何から何までキューブリックの映像の世界観だ。

やはり、これはキューブリックが亡くなって20年のときを経て綴られたキューブリックへのオマージュのような気がする。

ただ、決着はスティーブン・キングっぽく、少年のような正義感を感じさせる。

これは、これで彼らしい。

ワンコ