ジョーカーのレビュー・感想・評価
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アーサーは変わったわけではなく、解き放たれた。
彼は生まれつきか、幼少期の環境によってサイコパスとしての内面が形成されたように思う。
抑圧し、善人として生きていたが、様々な不幸や残酷な現実によって、心を解き放ったと解釈した。
その描写は3人を殺した動機を歌が下手だったからと言っていたし、笑いをこらえることができない病気も最後の方は症状が出なくなっていた。
心を解き放ち、ジョーカーとなったアーサーが本来の姿だと思う。
善人が悪に落ちたわけではないと思います。
つまり、貧しさや不幸が原因で善人が悪となり、そして暴力を正当化する映画ではないですね。
すべての人がジョーカーになりえるのではなく、アーサーがジョーカーなんだと思う。
狂気の演技に息を飲んだ2時間
ノーランが描いたジョーカーも素晴らしい演技で強烈な印象を受けましたが、こちらのジョーカーも負けず素晴らしかったです。
何もかもが不幸の人生で、周りから見捨てられ、トーマスウェインからも気持ち悪いと言われ、最愛の母親からも愛されず、苦しむアーサーの姿に、映画を越えて訴えかけてくるものがありました。
愛情を受けずに育った人間がどうなっていくのかということを。ジョーカーという仮面に身を包んだアーサーも本来愛情を受けて育っていたら別の人生だったんだろうなと。もっと幸せのある人生だったんだろうなあ。
人間として次第に落ちぶれいく姿にどこか観ていて悲しさを感じました。
また、この映画に社会的なメッセージ性を感じた点も良かったかなと思います。ジョーカーが起こした事件がきっかけで街に暴動が起きたあの状況はまさに、弱者が現実に不満を抱えてながら生きているのだと言うことを象徴しているシーンでした。
富裕層(強者)は貧困層(弱者)が倒れていようと踏みつけ、一切気にも留めない。強者は強者でしたかないのだと言うこと。弱者にとってこの社会が生きづらい世界であること。そんな弱者にとってはジョーカーのような存在はヒーローであり革命者なんだと。
どこか忘れましたが、多分アメリカ?の映画館では、ジョーカーを鑑賞する際に入場規制を強くしているというニュースを見ましたが、確かにそういうメッセージ性が強いのかなと思いました。特にアメリカのような社会では暴動や事件が起きてもおかしくないのかなと思いました。日本ではありえませんが。
とにかくこの映画は息を飲むような緊迫感と臨場感で観ていて飽きませんでしたし、これからどうなっていくのかという好奇心を煽るようなシーンが多くて、しっかりとまとまった作品でした。
アーサー(ジョーカー)演じるホアキンフェリックスの演技も素晴らしかったです。あの狂気は映画「シャイニング」に出たジャックニコルソンと重なる部分があり、おそらくこれからもこの映画は名作の一つになるだろうと思いました。
内容が分かりやすくてすっきり終わる。万人が声揃えて面白かったという。そういう類の映画では無いかと思いますが、僕はこの類の映画こそ、監督、俳優の腕の見せ所だなと感じています。意見はそれぞれあっていいと思いますが、僕はこういう映画が好きです。
昔だったら多分意見違っただろうなぁ。
自分から漂いだしたおっさんの匂いも感じられたそんな映画でした。
ブラボー!
2つの視点
『悪のカリスマ誕生』を描いた映画だと言われると、それはちょっと違う気がする。
やはりヒース・レジャーのジョーカーと比べてしまう。ダークナイトもジョーカーが主役の映画と言っても過言ではなかっただろう。あちらのジョーカーは『悪のカリスマ』という言葉がよく似合う。
結論から言うとこの映画は良くも悪くも『期待を裏切られる映画』だと思う。ずる賢くてカリスマ性を持ったジョーカー像とはかけ離れている。逃げてばっかりで全然強くない。
しかし、『映画を見る人の視点』では今回のジョーカーはひとりの弱い人間でしかないが、『映画の中で描かれている群衆からの視点』で見ると、今回のジョーカーも紛れもなく『悪のカリスマ』だったのだと思える。
ーー以下、ネタバレを含む・・・ーー
治安が悪く『持てる者』と『持たざる者』の格差が広がる社会に暮らすアーサー。優しい性格の彼だが、ある出来事から生業としていたピエロの仕事をクビになってしまう。失意の中ピエロの衣装のままで地下鉄に乗っていたところ、暴漢に絡まれて持っていたピストルで3人を殺してしまう。何てことはない。よくある物語のプロットだ。
しかし、『映画の中の群衆』という視点で見ると、この瞬間だけがジョーカーとの接点になる。実は殺された暴漢はウェイン産業(バットマンの父親の会社)の社員だった。つまり『持てる者』側の人間だった。
ウェイン産業の社長であるトーマス・ウェインはニュース番組で「この凶行を許さない」と発言するが、この出来事は『持てる者』への不満が溜まっていた『持たざる者』の視点で見ると、ジョーカーは突如として現れた『社会の闇の代弁者』なのである。
ここから紆余曲折あるのだが、信じていたものをすべて失ったアーサーは結果的にテレビ局で電波ジャックを行うことになる。有名テレビ番組で自分がピエロ姿の殺人犯だと暴露し、『持たざる者』の不満をぶちまけ著名な番組司会者を殺してしまう。行き場のない個人的な恨みをぶつけることでアーサーは自分の物語を終わらせようとしていた。
アーサーはあっさり逮捕されてしまう。そりゃそうだ。もう何もする気はないのだから。何かをやり遂げた清々しいような顔で護送されるアーサーだったが、テレビを見て暴徒化した群衆によって救出されてしまう。
ーー『社会の闇の代弁者』は大胆にもテレビ局をジャックし、あっさりと逮捕されたかと思ったら群衆を味方につけて警察を翻弄するーー
地下鉄での殺人とテレビ局ジャックしか接点のない群衆から見れば『ずる賢くカリスマ性のある、いつものジョーカー』が社会の闇に舞い降りたということになる。
群衆に救出されたことで終わるはずだった物語は続き、ジョーカーという役割を背負わされたアーサー。沸き立つ群衆の中、虚無感と高揚感が入り混じる目と『笑顔の仮面』でお道化たダンスを披露する。まさに笑えない喜劇がスタートした瞬間だった。
このジョーカーがどのように成長していくのかは分からないが、『ジョーカービギンズ』として見るならとても面白い映画だった。「思っていたジョーカー像と違う」という批判もあるようだが、今まで我々のジョーカーとの接点はこの映画に登場する群衆と同じだったのだと思う。誕生のバックグラウンドを知らずに、今回起こした凶行だけ見れば『悪のカリスマ』という印象を抱くはずだ。
個人にフォーカスした人間としてのアーサーと、社会にフォーカスした今まで同様の悪のカリスマとしてのジョーカー。その2つの視点で見ても面白い映画なのではないかなぁと思います。
そんな感じで
今も世界はJOKERの掌
観賞後、ずーっと最後のオチが腑に落ちなくて。モヤモヤしてたんですわ。
で、一週間後くらいに気付く訳です。あー。やられたと。
この話、『ユージュアル・サスペクツ』と同じ構造ですね。ジョーカーの戯言ですわ。映画全体が「笑えない冗談」ですわ。最後の「fin(だったかな?)」の文字デザイン、オープニングのぶっとい骨太ゴシックタイトルに対して、レトロなshow風のあしらい。あれって日本で言う「チャンチャン!」ですよね。。。
人間的尊厳が希薄化する社会とそこで崩壊・滑落していく主人公。偶然シンボルを獲得し、それを祭り上げ、群体として思考停止にも似た状態で、高揚に絡め取られる大衆。現代社会を抽出して強烈に批判するこの物語が、すべてジョーカーの与太話という皮肉。
これからもそんな世界で生きていく我々にとって、これ以上「笑えない冗談」が他にあるか?
さらに映画を鑑賞した人のうち、少なくない人数がこの与太話に真正面から向き合い、感情を揺さぶられ、いみじくもジョーカーに同情すらしている始末。世界がジョーカーの掌で踊らされている状態が、現在進行形で続いています。
ジョーカーである必要性を感じない、という意見もあるが、これはまさにジョーカーでしか成立しない映画。『ダークナイト』のジョーカーと繋がらないという意見もあるが、このキャラクターはまさに『ダークナイト』のジョーカーそのもの。見事すぎるスピンオフです。
ここまでキャラクターの本質に立脚している映画は、そうはない。歴史に残る構造的傑作です。
ただし一つ言うならば、この妙味はあくまでメタっぽい構造に拠るものです。100分以上見せられるお話が、そのものとして優れているか、と言われれば懐疑的。個人的な「可哀想」に満たされた話は、カタルシスに弱く、言ってしまえば不幸の描き方が下手で冗長。
この辺の感想は話の構造を理解した今でも変わらない。「まぁ与太話だからね」と言われても、それとこれとは別。
映像と芝居、映画としての構造はすごい。ただし見せられたものの大半は、なかなかに退屈。あくまで変化球。諸手を挙げて称賛はできない。
と言うところでしょうか。
狂気とそれを捉える視点
最後に語った主観の話でオチをつけるのが筋だと思うので、そこを主題と捉えました。
観客(客観)から見れば当然適切な支援を受けられずに凶行に走った哀れな精神病患者です。狂った本人(主観)から見れば、自分が狂うほど狂った社会の現状と適合する正常な人のように感じるでしょう。
利益や善悪で行動するのではなく、彼のユーモアで動くことも重要な要素だと感じます。思えば、序盤から自分の中で葛藤しているかの様な発言をしてきましたが、行動そのものは最初からイキイキと狂気のユーモアに溢れていました。
突然笑いだすのも障害のせいではなく彼自身が本当に面白く思っているからだし、結局あのメイクもクラウンとして人々に笑いを与えたいという欲求をそのまま表しているのだと思います。
最後のコミカルな殺人シーンが主観の象徴でしょうか。本人にとってはただ、面白いから楽しいからというだけ。ただのジョークだという内容だったと思います。
誰かのレビューでダークナイトのジョーカーは今回のジョーカーのフォロワーで、別人ではないかという説を読みました。その説に私も乗らせて頂こうと思います。(そうでないと流石に色々な辻褄が合い辛いですね)
演技については皆さんが語られている様に本当に素晴らしい演技でした。
ただ、演出についてはやたらと挿入されるダンスシーンがテンポを悪くしていると感じました。当然アメコミ作品らしからぬそういった点が芸術的な評価を受けているのでしょうが、それこそダークナイトの様な作品を期待していったのでそこはちょっと想定と違いました。
極論だけど、今の日本と未来の日本を感じた
自身の疾患である笑い症により、仕事があまり無くピエロをやっている普通の男性だが、会社に裏切られ、仲間に裏切られ、そして自身の母親にも裏切られ…様々な裏切りや心的病から殺人への歯止めが効かなくなり、遂には貧困層が富裕層へ抗議するための象徴になる。
この映画を見ていて思ったのが社会や貧富の差へのメッセージだと思った。
今の日本は我慢しているジョーカーだと思う、そして吹っ切れ遂には人を殺めてしまうジョーカーは近い将来の日本に感じた。
日本も我慢の限界がきて暴動が起きるのも時間の問題。
一見の価値あり。
まず、傑作です。主役のホアキンの演技がすごい。そして、映像、構成、音楽等全てのレベルが高いです。
感情移入しすぎて危ない!と世間で言われていましたが自分はそこまで感情移入はできませんでした。
資本主義の格差社会について考えさせられる、社会派の映画のようにも感じられました。
中盤までずっと不憫な目に合っていたアーサーが、吹っ切れてジョーカーになってからはだんだん明るい描写が増えていって爽快感を感じました。
正しいか正しくないかは置いておいて、アーサーにとっては良かったんじゃないでしょうか。
ただ、そうなるしかなかった社会のことを考えると少し暗い気持ちになりますね。資本主義の終焉が近づき日本もゴッサムシティ化しないとも言いきれません。
自分の中の悪が目覚めるのでは!と世間での感想を見て不安でしたが全くの杞憂でした。映画としては楽しめました。
何はともあれ、映画の内容をついて語りたがりの批評家の方々に評価がいいのは納得です。
終始暗い映画だったので、もっとスッキリ爽快な感じが好きなわたしの好みではありませんでしたが…笑
演技等々、映画としてハイレベルで素晴らしいので一見の価値ありです!
孤独で絶望的な時代のトリックスター
大都会ゴッサムシティ。
市のゴミ収集員たちがストライキをし、巷は悪臭が満ちている。
大富豪トーマス・ウェインがこの窮状をどうにかしようと市長に立候補している。
そんな街の片隅で、コメディアンを夢見るアーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)はピエロ姿で店の閉店セールの宣伝をしている・・・
といったところから始まる物語で、巻頭早々、ピエロ姿のアーサーは悪ガキどもにからかわれ、宣伝看板を奪われ、結果、袋叩きにされてしまう。
それでも、彼は笑っている、大声を出して笑っている・・・
というのも、彼は脳と神経に障害があり、突発的に笑いだすことがある病気を抱えている。
そんな彼は、安アパートで老いた母親の面倒をひとりで看ている。
ふたりの唯一の楽しみは、テレビ。
古い映画と有名コメディアンがホストを務めるトークショウ・・・
とアーサーの日常が綴られていくこの映画、目指すところは『バットマン』のようなヒーローに対する悪役の物語ではない。
アメコミの映画化の形、架空の街での物語での形を取りながら、実のところ、現代社会の病巣を描いている。
悪臭溢れる街、ポルノの看板が目立つ街、誰もスマホなど持っていないその街は、たぶん70年代のイメージだろうが、そこは貧富の差は絶望的に大きく、弱者は見捨てられている。
当初あった市の福祉施設は予算削減で閉鎖される。
弱者やマイノリティに手厚いとも思える施策をとっていた時代とはまるで別。
弱き者はどんどんと隅へ追いやられ、孤独になり、疎外感を感じるしかなくなっている・・・
それはやはり、現代だ。
そんな中でひょんなことから手にした拳銃で、アーサーは自分を袋叩きにするエリートビジネスマンを殺してしまう。
これにより、世論が動いていく。
ピエロの恰好をしたアーサーを、世の人々は認め、ある種のトリックスターへと祭り上げていく。
そして、ひとびとの奥底にあった不安や不満が終局において突如として爆発する。
(この終局の直前、劇場の看板に「BLOW OUT」(噴出)と書かれている)
孤独で絶望的な時代のトリックスター。
それがジョーカー。
嘲り笑うしかない、弱き者たちのシンボル。
それをホアキン・フェニックスは、抜群の演技でみせていきます。
現実と妄想が混濁した映像も見事。
ただし、いくつかの不満もなくはない。
ひとつめは、演技は見事だけれど、役柄的にホアキン・フェニックスが歳を食い過ぎている。
30代半ばぐらいでないと物語として成立しないが、冒頭からかなり老け込んでいるようで、ちょっと戸惑ってしまう。
大物コメディアン役は ロバート・デ・ニーロが演じているが、『キング・オブ・コメディ』を連想してしまうので、これもどうか。
ま、彼ぐらいの大物でないと映画が締まらないのだけれど。
あと、重低音の音楽がうるさすぎで、ときには無音で盛り上げる演出も欲しかったところ。
さて、『バットマン』との関連はどうなのかしらん。
元々はブルース・ウェイン(バットマン)の両親はジョーカーに殺されたことになっているが・・・
そこんところは、ちょっとヒネッてある。
また、アーサーの出自、曖昧にしてあるが、個人的はバットマンと同種(胤)とみたが、ここは観る人によって見解は異なるかもね。
アメコミの映画化と侮っていると、とんでもないものが飛び出す、サプライズボックス(びっくり箱)。
アーサーに自己を重ねると危険、要注意。
喜劇と悲劇は紙一重
たぶん虐待受けてたとこは本当で
生まれた頃から親も狂っててスタートからめちゃくちゃな人生で
ピエロ騒動では
富裕層にはわかりえない苦しみをかかえた人たちにまつり上げられてヒーローに
ここはなんとも言えない感動があった
本人が望んだのとは違う形でスポットライトに当たり
喜劇のヒーローを夢見たのが悲劇のヒーローになってしまった。
ただ、最後にこれもすべて妄想なのかな?って考え始めると
いま見たストーリーは何だったのかとふと脱力する。
もしかしてチャーリーチャップリンにインスパイアされてる?とか考え始めるとヒーロームービーシリーズでそれは無しだろと思うし...
モヤモヤする
なんとも形容し難いストーリー
音楽、演出が素晴らしかったのと
出演直前の生き生きとしてるジョーカーはすごくカッコよかったな。
ひょっとして
公開初日に観て、最後の数分の言葉が気になってずーと
考えていたが、やっぱり今回の映画は、
最後の精神病院の数分以外はジョーカーの考えた妄想ストーリーって事なのかな。
面白い話を思いついた。と言ってたからなぁ。
冒頭からいるカウンセラーの方が最後に出てきてた?
最初の精神病院を退院した経緯が不明、退院するにしてもあまり動けない母親が身請け人になれる筈がないと思う。
幼少の記憶がなぜ無い?脳の障害だから?
まず、バットマン登場前にジョーカーの名前が知れ渡っている状況は、過去の作品に無かったような。
私の無知かもしれない。
最後のシーンでカウンセラーがジョーカーがに笑った時に普通に質問している。笑う障害もジョークなのかな?
全部ジョークなら凄いね!
殆どの人を騙しているからジョーカーの手中範囲と思うとジョーカーらしいね。
主演と監督は素晴らしい作品を作ったと思う。
バットマン詳しくない勢です。
バットマンにはあまり興味は無かったのですが今作は気になって映画館に足を運びました。
感想としては人生が上手くいってないがそれでも割と良い奴で彼なりに毎日を生きてる主人公アーサー、が色んな不幸な目にあってそれに対して過激にやり返すお話。
やり過ぎだけどあんな境遇になったら無理もないよねとアーサーに感情移入する作品でした。
総合するとえらい暗い話やったな的な感想で勝手に期待してた悪のカリスマ誕生秘話ではなかったかな。
主演の方の演技は素晴らしかったです。
最下層の一般市民から悪のカリスマへの変遷
バットマンシリーズをそれほど観ていない、原作コミックも読んだことが無い者の感想です。
少ない知識ながら僕の中でジョーカーに対するイメージと言えば
飄々として掴みどころがなくカリスマ性があり
その名の通りこの世の全てを馬鹿にしているような純然たる悪の権化と言ったようなものでした。
しかし、この映画に出てくるアーサーは障害を抱えつつもコメディアンになることを夢見て真面目に生きる一般市民。
最初、ジョーカーのイメージと全く結びつかなくて困惑しました。
しかし、映画が進むにつれてアーサーはどんどん狂気に飲み込まれ大衆を巻き込み混沌と化していき
その中で正真正銘カリスマ的ヴィランが誕生したのです。
その変遷を素晴らしい演技、映像、音響で見せつけられ、後半は終始、魂を揺さぶられました。
ラストでは群衆に称えられ立ち尽くすジョーカーと、両親を殺され立ち尽くす幼きブルースに熱いものを感じました。
完成度の高い映画だが…
音響、映像、シナリオ、演出、役者…どこをとっても非常に完成度が高い映画であり、公式が言うように「アカデミー賞間違いなし」なメッセージの強い怪作であることには間違いない…
ドルビーシネマズで観たのだが、特に音響の出来があまりにも高く感心した。
しかし一方これがバッドマンシリーズのスーパーヴィランであるジョーカー誕生の物語かと言うと少し疑問がある。たしかに本作はゴッサムシティの社会的弱者にとってのアイコンとしてのジョーカーの誕生の物語であることには間違いないのだが、彼が頭のキレる「カリスマ」としてのあのジョーカーになるとは到底思えないというのが正直な感想。
この物語をジョーカーを素材にしてやる意味があるのか?という思いもある一方、ジョーカーを素材にしなかったらこの物語はこれほどにも世界中に響く映画とはならなかっただろうなとも思い、タイトルにある通り「完成度の高い映画なんだけど…」となんとも言えない気持ちで映画館を後にした。
どエグい悲劇を喜劇でお届け
内容最高。それは置いといて。
救いのない悲しい男の悲しい物語を喜劇仕立てに包んで「アッハッハ、どうぞ笑って晴れやかな気持ちで帰ってください」みたいにした始まりと終わり方の狂気。
バットマンと対峙してる頃のジョーカーが嫌味と悪趣味で作ったかのような不気味な演出が最高だった。
ジョーカーが生まれた夜にバットマンも…というサーガ的なつながりはさすがアメコミ映画。期待を上回った部分。
口を裂くのは別の話なんだっけ?
存在感を焼き付ける
なんと言っても、主演のホアキン・フェニックスの演技が素晴らしく、怒り哀しみ悲劇喜劇を体現するような、異様な存在感を大いに放っています。
その演技、キャラクターを魅せる為、存在感を焼き付ける為の、カットや演出も効果的で良かったと思います。
また、貧困層と富裕層、福祉切り捨て、銃社会など、理不尽な現実を反映したリアルな世界描写も印象的で、暴力描写もリアルでかなり痛々しいです。
理不尽な待遇から犯罪者へと変貌する様は、やるせないとも感じます。
ラストの収容所での面談では、最初の福祉局との面談場面にリンクしているような、この物語自体がそこからの回想?妄想?作り話のジョーク?、とも思わされましたが。
やるせないと共感してたら一杯食わされたかのような、これがジョーカーか…と。
とは言え、暴力は肯定出来ませんが、やはり弱者を無視する理不尽な社会に対する怒りには共感してしまいます。
もっとドロドロはダメなのかな、、、
うーん、正直期待しすぎて少し肩透かしを食らった感はある。グラディエーターの時からホアキンはイヤらしい演技に定評があったけど、今回はもっとぶっ壊れを演じて欲しかったかな。その点、やっぱヒースのジョーカーはカリスマ性が凄かった。題材と役者はいいけどそれを活かしきれてない気がして残念だった。
盗人にも三分の理
家族に高笑いをしたり叫んだりする障害者がいる。
虐待でそうなったわけではないのはこの映画とは違うが。
血を分けた家族といえどもその異常性に嫌悪感を覚えないわけではない。いくら病気のせいだとわかっていても。増してそのような近親者がいない人々に「やさしくして」と言っても期待はできないだろう。
主人公が憤りを膨らませる描写は特筆すべきところである。だが、そこから殺人に罪悪ではなく高揚を感じたというのは短絡的すぎる。やはりアーレントが述べたように「根源的な悪」とは存在しないのだろうか。とくにフィクションでもあるし。好まれない性質を生まれ持った者が笑いとともに押しつぶしている涙がどんなものか、それを知るには家族といるほうがいいようだ。
悪くもないが、オスカー云々と騒ぐほどアカデミックなできとは思えない。
サジー・ビーツが彼を慰めなかったのがよくわからなかったが、恋人になったのは妄想の中だったとパンフレットをみて知った。なるほど、うまくいきすぎだし。そのあとどうしたか、おそらく殺したシーンがあったんだろうけどカットされたか。
最後に閉鎖病棟で面接していたが、結局今までのは全部妄想だったか。まあ、どっちでも構わない内容だけれど。
格差問題だったり、あと、銃規制などの社会問題を盛り込みたかったのか、たまたまなのか。ハリウッドのお説教くさい政治メッセージは遠慮したい。オスカー狙いならなおさら。
共感できない。
僕は彼みたいな人間が大嫌いだ。
貧しい家庭環境、持病である精神疾患、自分の弱さや世間や社会、周りの環境のせいにしてアーサーは闇の中へ堕ちていく。
彼は言っていた、失うものは何も無い。それはそうだ彼はなんの努力も何もやってこなかったから。
僕は彼に共感できない。どんなに不遇な環境でも努力して生きるのが人生だ。アーサーが犯した罪は決して共感できる事でも許されることでもない。
この映画を見て共感したと思った人。それは危険な考えだ。
ただ、映像の見せ方、役者の演技力はさすがだなと思いました。
過去のバットマンの見方が変わる映画
今までのバットマン映画においてアルフレッドやトーマス・ウェインはあたかも聖人のように描かれていたが、今作の彼らは嫌味な上流階級の人間というイメージが色濃く出ていた。
これはお坊っちゃまのブルース視点では無く、底辺層の人間のアーサーという男から見た彼らを描く事によって、終盤でジョーカーがフランクリンとの対談で語っていた「善悪なんて個人の主観でしかない」という事を表す為だと思う。
これを観た後では、その彼らによって育てられたバットマンは正義だとは思えなくなってしまう。
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